中学、高校受験は積極的に [学校の選び方]



こんにちは。
前回は合格実績から学校選びを行なってみました。
なるべくたくさんの高校を見てもらいたいと思いますね。
高校は内容で勝負ですから、ある程度の高校知識がなければ始まりません。
大学選びに親が関与することは少なくなりますが、高校選びは親子一緒に行なうべきです。
高校選びは現実的で冷静な判断をしてあげて欲しいと思います。
けれど、今の成績面に関してシビアになりすぎるのはあまり賛成できません。
チャレンジも可だと思います。
高校受験に失敗することが悪いことだとは思いません。
全力を尽くして志望校に落ちるのであれば、充分に意味のある受験だと言えます。
そこで学んで大学受験で頑張れば良いのです。
高校は通過点なのですから・・。
全力を尽くして受験校に落ちた子供は大きく二つのタイプに分かれます。
高校でどんどん成績を伸ばす子供とその逆の子供です。
これはどういう事が起こっているのでしょうか?
受験直前の3ヶ月くらいの期間はかなり学力が伸びる時期です。全力を尽くして志望校に落ちてしまった生徒というのは、自分の想像以上に学力が伸びているので、「20:80:20の法則」に従い、上位20%に入ります。
ここで子供が何を思うかなんです。
いつまでも受験に落ちたことを引きずって、高校で勉強が思うようにいかない理由を学校のせいにしている生徒の成績はどんどん落ちます。
逆にこの環境で全力を尽くして頑張ろうと心を改めた生徒は信じられない程、成長します。
入学時点での成績ですでに「20:60:20の法則」が働いているので、普通に頑張れば、かなりいい成績で高校を卒業できるはずなのです。
忘れてはいけません。
逆境や失敗はチャンスなのです。
全力でチャレンジした結果が無駄になるということはありません。
だからこそ、僕は最後の最後まで志望校にこだわらせます。
本当に行きたい学校があって、その学校がその子供の限界能力を引き伸ばしてくれるのであれば、そんなにいい経験はないと思うからです。
中途半端に行きたいくらいの学校ではそこまでの力は湧きません。
もう一つ。
ギリギリの成績で志望校に合格した生徒はどうなるのかという問題です。
僕の考えではこれはこれでOKです。
限界まで努力をして志望校の合格を勝ち取った。
これは子供にとっては、勉強面での大きな成功体験です。
成功体験ほど子供に自信を与えるものはありません。
その自信を糧に高校生活を頑張れば、明るい未来が待っていることでしょう。
ただし、燃え尽き症候群にならないように配慮する必要はあります。

合格、不合格に関わらず、受験を機に、大きな成長の機会とした子供の共通項は、「受験に向けて死ぬほど努力をした」という経験です。
頑張ったにも関わらず、その後に成績が落ちてしまったとしたら、原因は

合格した子供→合格による燃え尽き症候群
不合格の子供→不合格を人や環境のせいにして腐ってしまう

ほとんどの場合、この二つです。
逆にあまり努力せずに受験した子供は、それなりの高校生活しか送れません。
きっかけがなければ、入学時の成績とあまり変わらない成績で卒業していくことでしょう。
強烈な成功体験も、滑り止め校で成績上位になるという経験も出来ないからです。
無難な志望校選びを僕が好まない理由はここにあります。
人生は若ければ若いほど失敗や、やり直しが許されます。
大学受験よりも高校受験の方がやり直しがきくのです。
「浪人が出来ないから高校受験は慎重に・・」という人が多いですが、僕はそうは思いません。
滑り止め校を確保しておけば、ほとんどの受験は大学受験より安全です。
私立に入学するとお金がかかる・・かもしれませんが、大学に落ちれば浪人になるので、同じことです。
高校受験は勝負するべきなのです。

しっかり頑張った子供達が高校で成績が伸びない理由は二つでした。
合格による燃え尽き症候群か、不合格をいつまでもひきずるパターンです。
こうならないためにも、僕は一流大学の受験を勧めています。
先にもっと大きなビジョンがあれば、高校受験は通過点なので、結果の如何に関わらず頑張れるのです。
それがないと、高校入学後の成績下降パターンに陥るかもしれません。
高校合格のことで頭がいっぱいの子供にはなかなかここまで考えられないです。
だからこそ、高校受験における親や教師の役割は非常に重要です。
高校受験までの精神的なフォローはもちろんですが、その先(大学受験)までを見据えた将来についてのお話を子供と一緒にしておかなくてはなりません。
「大学はどこでもいいよ」ではこの部分が中途半端になります。

高校受験まではチャレンジが原則です。
進学実績などで「これは!」という学校を見つけたら、積極的に挑戦させてください。


大企業への就職が有利な理由 [就職]


学校の選び方について書いてきました。
中学受験や高校受験はチャレンジしてもいいと思います。
でも、中途半端な背伸びなら、止めたほうがいいです。
周囲のレベルが高い高校に行って、苦労することになるのは自分自身なのですから。
何度も書いてきましたが、入試の難易度と大学の合格実績にはズレがあります。
(中学卒業時点で)いい成績の生徒が集まるので、入学試験が難しい高校になればなるほど、いい実績になる傾向はありますが、入試が難しいからいい高校だというわけではないのです。
多くの子供や保護者は入り口の難易度から、高校の良し悪しの評価をしています。
塾などで難易度順に高校を並べられると、どうしてもそういった基準になってしまうのでしょう。
しかし、高校の質は出口で問われるべきなのです。
大学合格実績という漠然としたデータが示されるのみでは、なかなかその判断が出来ません。
判断が出来ないから、入り口のレベルで高校を評価してしまう・・これが実態です。
そこで、合格実績をもとに高校のレベルを判断するための基準を紹介させていただきました。
重要なので、再度、確認させていただきます。

【大学合格実績による高校のグループ分け】
S:東大、京大合格者が20~30人に一人程度、国公立大学合格者が25%以上
A:東大、京大合格者が150人に一人程度、国公立大学に10%以上
B:国公立大学に数人、有名私立大学に10%以上
C:国公立大学、有名私立大学への合格者が数人

高校卒業後の進路が、漠然としか描けていない場合は、まずこの表を参照してください。
別の分け方、細かい分け方、色々あると思いますが、私はこの方法が一番簡単で、なおかつ高校の実態をある程度、正確に表すと考えています。
高校3年生の卒業時に全国模試を行なって、その偏差値をもとにしたランキング表があれば一番良いのですが、それは不可能なので、このように分けています。
入り口のレベルに比較して、出口のレベルが高いほどお得な高校です。
子供の卒業後の希望する進路に合わせて選ぶべきですが、基本的にはSもしくはAの進学実績の学校でないと、大学受験に苦労することは肝に銘じておいてください。

少しお話を脱線させます。
一流大学を勧めてきた理由の一つに、大企業への内定率が高いということがあります。
大企業に就職することがいい事なのかという点については述べていませんでした。
いい事かどうかは分かりませんが、結論から申し上げると得です。
大企業に就職するためのチャンスは基本的に新卒のみです。
例えるなら、一生に一度しか乗る機会のない列車です。
その列車に乗り遅れてしまうと、次はありません。
だいたい、列車はどれも超満員なのです。
列車も超満員なら、それを駅で待つ乗車希望者も超満員です。
次の駅も、そのまた次の駅も乗車希望者で溢れています。
これが就職前線の実態です。
雀の涙程度の中途採用はありますが、余程優秀な人材でなければ、採用はされません。
大学受験のときと同じ原則がここに適用されます。
すなわち、後々の選択肢は多い方がいいということです。
大企業から中小企業への転職は容易ですが、その逆は困難を極めます。
中小企業よりも大企業の方が採用にお金と時間をかけています。
採用するに当たってはずれを引く可能性が低くなるのです。
大企業がすでにフィルターに通してくれたわけですから。
でも、一番の理由はそこではありません。
大企業の持つノウハウや人脈は多くの中小企業にとって垂涎の的なのです。
本人の資質はあまり関係ありません。
本人がそこで得たであろうものに興味があるのです。

とりあえず就職した先が大企業か、中小企業か・・
これが本人の将来を大きく左右してしまいます。
大企業を選ぶほうが選択肢が多いのは言うまでもありません。
ベンチャー企業や中小企業に新卒が無意味に飛び込むのはもったいないです。
本当にそうした仕事に就きたいのであれば、大企業で経験を積んでからでも遅くはありません。
将来が明確に描けない場合は、自分の付加価値を高めておくというのが、基本戦略です。
一流大学、大企業・・それは人生の付加価値に過ぎません。
付加価値に過ぎませんが、自分の将来がどうなるか分からない不安定な期間は、ないよりはあった方がいいものです。
単純にその後の人生で有利になるからです。
・・・

これまでのお話は現実的な側面から見た人生戦略です。
偏差値教育の成れの果てである大学受験制度。
20歳そこそこの大学生が全員同じような格好をして駆け回る就職活動。
敗者復活の機会を与えない大企業・・。
本音では、どれもバカバカしいと思っています。
一流大学に行きなさい。
こんな記事を読んで不愉快になられた方もいるかもしれません。
でも、これが日本の現実である以上、それを語らないのは嘘になります。
バカバカしいとは思いながらも、あえて現実的な側面からお話してきました。
しかし、こんな狂った環境に振り回されずに生きる方法がたった一つだけあるのです。

それを次回お話したいと思います。

夢を持った高校生 [学校の選び方]



社会の不条理に振り回されずに生きるための方法。
それがたった一つだけあります。
他でもありません。
夢(ビジョン)を持つことです。
高校生の時点で夢を持てばいいのです。
そうすれば、一流大学に入る必要も、大企業に行く必要もありません。
でも、中学生にそれを求めるのは少し早すぎる気がします。
社会のことをあまりにも知らないからです。
中学生くらいまでは詰め込み教育で、将来に関しては明確な夢ではなく、漠然とした期待や希望でいいと思います。夢ややりたい事は何度でも変わっていいと思います。
小中学校は基礎学力をつけることや部活動に専念させるべきでしょう。
中学校までに身につけたい力や経験を挙げれば、
読解力、計算力、暗記力(書き)、コミュニケーション能力、努力した経験、平均を超える技術(何でもいいです、部活動をすれば身につきます)、3年まで部活を辞めない忍耐力・・
他にもあるでしょうが、まぁこんなところでしょう。
中学生では、どこの高校に進学するべきかという判断が出来ません。
だからこそ、高校選びではその後の選択肢を多く残せる環境を用意してあげるべきです。
つまり、大学合格実績のいい高校です。
本人の夢は東京大学の延長線上にあるかもしれません。
それに気付いたときに、それを実現できる環境がなければ本人はがっかりします。
「中学のときにきちんと考えておかないからだ!」
これはあまりにも酷でしょう。

どんな人生を選ぶかは本人の責任です。
これはたしかにそうなのですが、中学生くらいまでは周りの責任半分というところでしょう。
だから、高校選びは周囲の大人が積極的に関与しなければなりません。
高校生になれば4分の3までが本人の責任です。
残り4分の一の大人の責任は何かと言えば、夢を与えられたかどうかでしょう。
大人が子供に夢を与えられるかどうかは、その子供の周囲の大人次第となります。
端的に言えば、夢を持って主体的に努力している大人が周りにいるかいないかです。
高校卒業時点でも夢が全く見つからない。
これは大人の責任なのです。
こうなりたいと思える理想像が近くにいないから、テレビや雑誌の中に理想を求めてしまいます。
メディアによって虚飾された飾り物みたいな芸能人や安物のミュージシャンに・・。
理想論の域を出ませんが、偏差値教育に染まってしまった社会を変えるには、大人一人一人の意識を変えていくしかないと考えています。
身の回りの大人が高校生くらいの子供にとって憧れの対象であれば良いのです。

社会全体を変えるのは大変ですが、自分の子供くらいは変えられます。
自分の子供が一番身近に接している大人は親なのですから。
そうした意味で、親や教師は子供の前で愚痴を言ってはいけないのです。
空元気でも、いつも楽しそうにしていなくてはなりません。
その上で、社会で活躍している人と触れ合う機会をたくさん提供してあげましょう。
夢やビジョンは紙に向かっていくら考えても、子供にはイメージ出来ません。
体の中から沸き起こる衝動のようなものだからです。
夢やビジョンを描かせるには、「こうなりたい!」そう思える見本を見せるしか仕方ありません。

社会の不条理に身をまかせて生きるのも一つですが、それに流されない人生の方が魅力的です。私としては、子供がそう育つようにサポートしてあげるのが最善だと考えています。



理想と現実 [雑談]



一流大学に行けと言ったり、行くな(とまでは書いてないですが)と言ったり・・。
一体どうなっているのか!?と思われても困るので、前回までの内容を少し整理しておきます。
鋭い読者の方は気付かれていると思いますが、ブログ記事に少し矛盾があります。
僕の頭の中では矛盾していないつもりですが、そういう風に読めないこともありません。

こういう構成でブログを書いてきたのには理由があります。
一流大学に行ったほうが、人生の様々な局面で有利になることには変わりありません。
これは動かしようのない事実です。
しかし、その本質が正しく伝わっていないことに、僕は危機感を感じました。
社会は子供達にとって必ずしも親切ではありません。
皆、自分の利益を得るために必死だからです。
大学、専門学校、マスコミ、広告代理店・・
少子化を受けて、これから先は生き残りを賭けた戦いがより一層激化していくことでしょう。
大人の都合によるバイアス(歪み)のかかった情報を真に受けてはいけません。
そんな気持ちから、まずは現実のありのままを徹底的に伝えてきました。
もし、就職活動をしている大学生がこのブログを読んでいるのなら同じことです。
説明会では、いい事をいう会社が多いかもしれませんが、だまされないように気をつけてください。
学生にとって危険な会社とはこんな会社です。

(↓ダメな会社の募集要項例)
この仕事の魅力が「人」との出会いです。
仕事で出会うお客様は年齢も職業も多種多様、貴方はこの出会いの中から信頼される喜びや新たな自分の可能性を学ぶことが出来ます。そして、そうした貴方の成長を私達は高く評価します。
当社のポリシーは、能力・実力主義。仕事の実績は、学歴や年齢に関係なく正当に評価され、給与やボーナス、昇給や昇進として評価されます。やればやっただけ必ず評価される仕事、そこには夢とやりがいが無限に詰っているのです。

抽象的で何も言っていないことを読み取ってください。
本当に自信がある会社なら、具体的なPRを持っているものです。
ポリシーが、能力・実力主義ではどうしようもありません。
年齢を重ねても、若者と同じ基準で評価されるのでしょうか?
それならば、ずいぶんとしんどい仕事です。
少し話がそれましたが、学校選びも同じことです。
この会社の募集要項にあるように、何もない会社が人を集めるために使う言葉の代表格が「夢」や「自己実現」や「やりがい」です。
色眼鏡を外して冷静に社会を見渡すと、ここ何十年、日本の教育はほとんど変わっていないことに気付きます。つまり、学歴社会です。
この傾向はまだまだ変わらないでしょう。
これからますます日本は高齢化が進み、保守的になります。
老人は変化を恐れるものだからです。
大手銀行は利益が出ているにも関わらず法人税を払っていませんし、JALが経営難だと言えば、日本政府が助けます。天下りは何年も前から同じようなニュースばかりです。
既得権益を容易に離そうとしない老人達によってこの国は運営されています。
老人達の安全は守られますが、弱者は守られません。
地方の中小企業は大変です。
倒産が相次ぎ、失業者が街には溢れています。
新卒者の企業内定率は62.5%と過去最低並みの記録です。
こんな実態があるのに、嘘は言えません。
人の人生に関わる仕事をしている以上、現実は正直に伝えるべきだと考えています。
結果的には、「一流大学に行きなさい」こういう結論になります。
これは、現実的な意見ですし、夢を語る理想論は現実の冷めた意見には勝てません。

オバマ大統領は「核のない世界」という歴史的なスピーチを今年行ないました。
理想論だとは思いますが、理想論がなければ歴史は変わりません。
でも、理想論には人を動かす力があります。
その力はときとして、不可能を可能にします。
そんな出来事は歴史上、枚挙に暇がありません。
まさに思考が現実化する瞬間です。

個人的には、高校生全員が夢を持ち、自分自身の信念に従って大学選びをして欲しいと思います。理想や信念がある人にとって、その後の人生における困難など、全く問題ではありません。
全員がブランドに左右されない学校や会社選びを出来るといいと思います。
でも、その難しさを知っているからこそ、軽々しくそれを勧めることも出来ません。

教育を語るものとして冷静な自分と、それを否定する自分が同居しているのです。
子供達には不健全な苦労をして欲しくないですしね。
難しいものです・・。

刺激と反応の間に [教育全般]



最近、ブログのアクセス数が急上昇しています。
どういうことかと思って、調べてみると、「創造学園大学」というキーワードに反応して、人がやってきているみたいですね。
「創造学園大学 ひどい」と、googleで検索をかけると僕のページがトップに来てしまいます。
そのページの下に「創造学園大学に息子を通わせている母親ですが・・」というページがあって、心が痛みました。
創造学園大学の学生の名誉のために申し上げておきますが、学生の皆さんは別に悪くはないですよ。でも、受験で楽をした分、大学の勉強と就職活動は頑張ってくださいね。

今日は僕の人生を変えるきっかけとなった考え方を紹介させていただきます。
その考え方は、スティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」から学びました。
初めて知ったときは衝撃的でしたね。
自分なりの考え方を差し挟む余地もない素晴らしい概念なので、ほぼそのままの形で紹介させていただきます。
コヴィー博士はこう言います。

「問題は自分の外にあるのだと考えるなら、その考えこそが問題である」

現代社会では、一般的に人は、条件付けや環境によって決定づけられています。
それらは3種類の決定論によって広く浸透しており、その3つとは以下のようなものです。

①遺伝子的決定論   ex「僕が短気なのは、お父さんからの遺伝だ」
②心理学的決定論   ex「子供の頃の両親の育て方に問題がある」
③環境的決定論    ex「自分の上司、妻、子供、経済、国政のせいだ」

このような理論は、パブロフの犬の実験に起因する「刺激と反応のモデル」に基づいています。
私達は常に、外界の刺激に対して「反応」しているんですね。
これらの生き方をコヴィー博士は「反応的な生き方」として否定しています。
もう少し詳しく見ていきます。
私達は、外界の刺激に対して、反応をしているのです。
どういうことかと言えば、
火を触った→熱い、梅干を見る→よだれが出る・・
これらは生理的な反応。
あるいは、
悪口を言われた→その相手に腹を立てる、絶望的な状況→あきらめる・・
こういう反応の仕方もあります。
これらはすべて外界の刺激に対して、自分の脳が「反応」しているのです。
フロイト学説の心理学によって教育された学説によれば、人は幼児期の体験によって人格と性格が形成され、基本的に人生の行方が決まってしまうといいます。
それは、広く信じられていた概念なのですが、ビクター・フランクルという心理学者は壮絶な体験をすることによって、その考え方を否定するにいたります。
フランクル博士はユダヤ人です。
第二次世界大戦時に強制収容所に送られ、筆舌に尽くし難い経験をします。
その地獄の中で、彼は究極の真理を発見するに至ります。
それは、「刺激と反応の間にはスペースがある」ということです。
本から引用します。

「ある日、フランクルは裸にされ、小さな独房に拘禁されてしまった。そこで彼はナチスの兵士たちが決して奪うことのない自由―人間の最後の大いなる自由―を発見したのである。看守達はたしかに彼のおかれた環境のすべてをコントロールすることができたし、彼の身体を思うがままにすることができた。しかし、フランクル自身は、自分の状況を客観的に観察することが出来る。「自覚」のある人間であった。彼の基礎的なアイデンティティーそのものは健全で、損なわれてはいなかった。だからフランクルはその状況下で自分はどう影響されるのかを自分で選択することが出来た。彼に起きた出来事、あるいは受けた刺激と、それに対する彼の反応との間には、彼の自由、すなわち反応を選択する能力が存在していたのだ。」

つまり、人間は「刺激と反応の間に選択の自由」を持っているのです。
これを知ったことは僕にとっては衝撃でした。
コヴィー博士は言います。
この選択の自由の中にこそ、人間の人間たる4つの独特な性質があると・・。
四つの性質とは、「自覚、想像力、良心、自由意志」です。
人間は他の動物にはない「自覚、想像力、良心、自由意志」という独特の性質を持っているため、刺激に対して、自分の反応を選択する自由があるのです。
それは例えばこういうことです。
悪口を言われた→(良心)→相手にもっと優しくしよう
絶望的な状況→(想像力)→ほかのやり方を考えてみよう
このような考え方を「主体性を発揮する」とし、第一の習慣(最も重要な習慣)として、位置づけられています。
自分の人生に対しての責任を放棄すると、反応的になります。
例えば、反応的な人の多くは周りの物的な環境に大きな影響を受けます。
天気が良ければ気分も良い。
けれども、天気が悪ければ、気分も悪くなり、遂行能力も低下します。
それに対して主体的な人は自分の天気を持ち合わせています。
雨が降ろうが、陽が照ろうが関係ありません。

エリナー・ルーズベルトは次のように表現しています。
「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」
また、ガンジーの言葉によれば、
「自分で投げ捨てさえしなければ、誰も私たちの自尊心を奪うことはできない」
と言います。
本当の意味では、自分の身に起こる出来事によって傷つけられるのではなく、自分がその状況を容認するという選択によって、傷を受けるということです。

反応的な人の言葉は自分の責任を否定します。
それは例えば、こういう言葉です。
「僕はそういう人間なんだよ。生まれたときからずっとそうだし、変えられない」
―自分は生まれた時に決定づけられている。だから、自分では何も出来ない
「あいつは本当に頭にくる」
―自分の責任ではない。自分ではコントロールできない外の要因が、感情を支配している
「できないよ。時間がないんだ」
―時間という制限が、自分をコントロールしている
「妻がもっと忍耐強かったら、家族はうまくいくのに」
―ほかの人の行動が、自分の生活や幸福を制限している
「やらなくてはならない」
―状況やほかの人によって、自分の行動が強要されている。選択の自由がない

要点をまとめるならば、以上のような内容です。
「7つの習慣」では、章の最後にこうまとめています。

「主体性の原則を30日間試すようにお勧めしたい。実際に行ってみて、その結果を見るだけでよい。裁く人より光を与える人になり、批判者より模範となる。問題を作り出す人でなく、問題の解決に貢献する人になる。結婚生活において、家庭において、仕事においてやってみてほしい。
他人の弱点について争うことをやめてみる。自分の弱点を弁護することもやめてみる。間違いを犯したときに、素直にそれを認め、修正し、それからすぐ学ぶようにする。他人のせいにしたり、彼らを批判したりする無駄なエネルギーを使わないようにする。コントロールできることに働きかけてほしい。自分自身を変えるようにし、自分のあり方に集中してみてほしい。」

中学受験① [学校の選び方]



中学受験と高校受験では受験にいたるプロセスが異なります。
今日は中学受験について書いてみたいと思います。
中学受験は大きく5つのカテゴリーに分かれます。

【中学校の分類】
①超難関私立中学校(灘、開成、麻布、ラサール、洛南、東大寺など)
②国公立大学付属校
③有名私立大学付属校
④公立中高一貫校
⑤私立中学校

それぞれの学校は試験内容も違えば、カリキュラムも全く異なります。
学校にもよりますが、入試の難易度は上にいくほど高くなります。
子供の学年が小学校5年生以上であれば、①~③の受験は厳しいかもしれません。
小学校で頭がいいというくらいではとても合格出来ない試験内容だからです。
一部の中学校は、大学受験よりも難しいと言われています。
入学することがではなくて、単純に問題の内容が難しいのです。
「嘘?」と思われるのなら、チャレンジしてみてください。
理系大学生でも、灘中学校の算数の入試問題には太刀打ちできません。
小学校では決して扱わないレベルの問題なので、塾などで3年以上習ってから受験するのが一般的です。
小学校5年生以上であれば、毎日3時間以上の家庭学習を継続している子供でなければ厳しいでしょう。

何を考えて中学受験させるのか?という目的によって学校選びは全く異なります。
極端な話、難関大学に入学するということにこだわりがなければ、①の中学校に進学する理由はありません。併設の私立大学に入学させる意志がなければ、③の中学校を受験させる理由もありません。
※私立大学付属中学校の中には、他大学への進学を前提とした進学コースを設けている場合もありますが、難関私立大学の併設校には少ないです。

①の学校に行くメリットは、抜群の進学実績です。
東大や京大への進学はかなり難しいです。
長年培った受験ノウハウを学校に保有している①の学校に行かなければ、現役合格はかなり難しいというのが今の東大、京大受験の実態です。
東大や京大へ合格したいのであれば、①の学校に行くのは最も近道となるでしょう。
③の学校には、大学受験まで受験の心配をしなくてもいいというメリットがあります。
そのメリットはこういう場合に発揮されます。
例えば、帰国子女で語学のプロフェッショナルを目指していたとしましょう。
そのように自分のやりたい事が明確な子供には、大学入学までその勉強に専念出来るというのは、大変魅力的な環境と言えます。
②、④は国公立なので、学費はそれほどかかりません。
これ幸いとばかりに応募者が殺到します。
当然、倍率が高くなり、入試の難易度も上がる。
こんな状況が何年も続いています。
卒業後の進路はどうでしょうか?
①の学校は私立なので、合格実績にはかなりこだわっていますが、④の学校は程々といった学校もあります。都道府県や学校によってかなりバラツキがあります。
地元の中学校に進学させるのとあまり変わらない場合も多いでしょう。
無理に受験する必要はありません。

お話は変わりますが、小学5、6年で中学受験を思い立ったようなご家庭のお子様が行けるのは、公立中高一貫校(④)か、難易度の高すぎない私立中学校(⑤)です。
⑤に関しては、卒業後の進路も、入試のレベルも様々になります。
当然、学校の質も玉石混合です。

こうしたレベルの中学校の選び方について次回は書いてみたいと思います。

中学受験② [学校の選び方]



小学校5、6年で中学校受験を思い立つときってどんなときでしょう?

二つのパターンに分かれます。
まずは親から言い出した場合。
突然、中学受験を子供に勧める親の気持ちには共通点があります。
公立中学校に対しての不信感です。
地元の中学に行って悪い友達と付き合うことになるのではないか?
学級崩壊しているという噂があるが、そんな中学校に進学させて大丈夫なのか?
などなど・・
根も葉もない噂に振り回されている可愛そうな保護者もいますが、当たらずとも遠からずといった中学もあるので難しいところです。
親から受験させたいというときは多くの場合、このようにネガティブな感情が出発点となります。
逆に、子供から受験の話が出た場合。
これはポジティブな感情が出発点になっていることが多いです。
この場合はそのやる気を上手に導いてあげたいところですが、注意点があります。
どんなに賢い子供でも、学校の勉強だけでは、難関中学には入れないことを知ってください。
過去に私の塾に来ていたU君の例です。
彼は勉強好きで学校の成績もすべて「優」。
塾内でも非受験の生徒では、常にダントツトップの成績を取っていた非常に優秀な生徒です。
6年生になった春。彼は自信満々で中学受験にチャレンジすると言い出しました。
どうやら仲のいい友達が私立の難関中学を受験するようなのです。
こうした話は珍しくありません。
学校では似たレベルの生徒同士が友達になりやすいので、6年になってふたを開けてみると、実は親友は私立中学志望だったということになるのです。
お母さん方も周りに遠慮して、塾に通っていることをギリギリまで黙っていたりするんですね。
U君もまさにこのパターンでした。
彼はいつも一緒にいる友達とはライバルです。
学校のテストではいつも100点。一見同じくらいの成績に思えます。
それから面談を重ねて、夏期講習前の6月に彼が志望校として最終的に提示しきたのは、地域でも最難関のR中学校でした。
彼は努力家だったので、かなり頑張りました。
それでも、半年と少しくらいの勉強で難関中学に合格するのには無理があります。
偏差値はもちろん届いていませんが、志望校の変更も頑として受け付けません。
不安を抱えながらも、願書を提出し、受験することになりました。
結果は不合格・・。
当然と言えば、当然の結果です。
ここまでは普通のお話かもしれません。
しかし、U君にとって本当につらかったのはその後の毎日です。
彼はその後登校拒否になりました。
中学に入学してからも塾にだけは来ていたのですが、塾もいつしか無断欠席をするようになり、休塾扱いに。
お母さんはそれが原因でうつ病になってしまうなど、悲惨な結末をたどることになるのです。
僕自身、塾長としての経験が浅いときに担当した生徒なので、もっと出来ることがあったのではないかと当時はかなり反省しました。
不登校になってからのご家庭とは毎週のように電話をしていましたが、残念ながら、彼を立ち直らせてあげることは出来ませんでした。
その後、U君がどうなったのかは今の僕には分かりません。
この経験は僕にとってのトラウマです。
そして、こう思ったものです。
容易に中学受験を勧めるべきではないと・・。
僕が考えるに彼がそうなってしまったのにはいくつかの要因が重なっています。
一番大きかったのは、父親が単身赴任で不在であったことです。
高校受験はいざ知らず、中学受験は父親の支えが非常に重要です。
父親の協力なくして成功なしと思ってください。
母親は献身的に子供を支えますが、女性の特質として感情的になりやすいのです。
中学受験で子供以上に、不安定な精神状態になっている母親は少なくありません。
それを支える役割の父親がいないと、中学受験は厳しい戦いとなります。
他の要因としては、同レベルだと錯覚していた友人の存在です。
学校では同じレベルでも、中学受験というフィールドに立ったときには、はるか遠く及ばないほど先に行っていることを彼は知りました。
中学生くらいであれば、そんな彼を友達はフォローしてくれたかもしれません。
でも、小学生にそこまで気を回せという方が難しいです。
そもそも、自分自身のことで頭は精一杯なのですから・・。

あの時の僕に出来た最善の選択は、曖昧な期待を持たせないことだったと考えています。
家庭環境や友人関係から、難関校受験の是非を総合的に判断するという視点も欠けていました。
それからは中学受験には非常に慎重になりました。

次回に続きます。

中学受験③ [学校の選び方]


前回まで中学受験の難しさをお話してきました。
僕は生徒の意見を優先するほうだと思います。
しかし、中学受験だけはU君の出来事があって以来、非常に慎重になっています。
むしろ止めることも多くなりました。

では、超難関校ではない私立中学校はどうなっているのでしょうか?
私立中学校の質は私立高校以上に玉石混合です。
ほとんどの中学は高校の併設校です。
高校は昔からあるのに、中学校は最近出来ましたというような学校があります。
多くの学校は、中学から生徒を囲い込んでおくことで、高校の生徒数を確保出来るという目的かと思われます。あるいは優秀な生徒を自分達の手で6年間かけて育てることで、高校の進学実績を高めるという戦略かもしれません。
ここ数年の流行は私立、公立に関わらず、中高一貫教育です。
これは簡単に言えば、中学3年、高校3年のカリキュラムを6年でまとめたものです。
年齢で言えば中学3年生時に、高校の内容を習ったりします。
1998年の学校教育法改正により正式に認められ、市民権を得た言葉です。
文部科学省は全国に500校の中高一貫校設置を目指しており、その数は年々増え続けています。
現在は全国で370校ありますが、3年前で203校、6年前で118校だったことを思えば、かなりのペースで増え続けていると言えます。
中高一貫校の典型的な授業の進め方は高校2年生までに全てのカリキュラムを終え、高校3年生時を大学受験に特化した授業を行なうというものです。
高校募集しない学校も多く、そのような学校は完全中高一貫校と呼ばれています。
公立の中高一貫校は入試もありますが、選抜に抽選が用いられる学校もあります。
(すべての都道府県で抽選が行なわれるのかは知りません、スミマセン・・)
私立中学校の場合は、抽選はなく、入試で決まります。
これは中高一貫校でなくても一緒ですが・・。
ここで中高一貫教育の是非を問うのは、やめておきます。
公立の中高一貫校についても触れません。
話が長くなりすぎてしまい、本題から外れてしまいますので。
中高一貫教育は、現代の中学受験とは切り離せないキーワードなので、少しだけ触れてみました。

さて、私立中学校。
そのような事情でたくさんの中学校がありますが、完全に中高一貫教育で行なっている学校とそうでない学校があります。完全に中高一貫教育を行っている場合は基本的に高校で外には出られませんし、高校から入学してくる子供もほとんどいません。
中高一貫だからいい学校ということはないです。
そこは本質ではないので、それを基準に学校選びをする必要はありません。
しかし、僕は中学受験するなら、完全中高一貫校をおススメします。
なぜなら、その方が学校の質を判断しやすいからです。
私立中学選びは非常に難しいです。
情報源がかなり少ないので、口コミ情報をもとに学校の評価をすることが出来ません。
そもそも本人が私立中学に行くことを隠しているので、それを公にして、情報を集めることの出来ない方もいます。
私立中学は玉石混合ですと述べました。
そうなってしまう理由は、中学受験組と高校受験組がごちゃまぜになった大学進学実績しか学校の質を数値で判断する材料がないからなんですね。
それをいいことに中学は適当な指導しかしていない学校もあります。
そうした実態を普通の人が外から見極めるのは困難を極めます。
学校説明会や体験入学に参加しても、学校はいいことしか言いませんしね。
だから、これからは完全中高一貫でない私立中学は選択肢から省いた方が無難かもしれません。
いい学校もあるにはありますが、それを判断する基準がないのです。

中堅レベルの私立中学校には、このように学校選びが難しいという弱点があります。
小学校の勉強がかなり出来るのであれば、おススメの選択肢があります。
特待生で入学してしまうという方法です。
これなら学費は公立と同じくらいですし、行くメリットもあるかなと思います。
特待生というと、特別優秀な成績をイメージされる方は多いのですが、そんなことはありません。
意外に門戸は広く開かれています。
こうした中学校は優秀な生徒ならお金を払ってでも来て欲しいのです。
学校の成績でほとんど「優」が付くような子供なら、一度塾の先生に相談してみてください。
そうでない場合・・。
中学校選びは少しギャンブルになってしまいます。
入学してみて結果的に良かったという学校はあるとたくさんあるとは思いますが、はずれもたくさんあります。
中堅レベルの私立中学は地域の公立中学校の評判が悪い場合の緊急避難として考えておくくらいでいいのではないかというのが、僕の基本的なスタンスです。



自分の過ちは認めない [教育全般]



素直な子供に育てたい。
そう思われる方は多いと思います。
今日はそんな子供に育てるための方法を紹介させていただきます。
うちの子供は何でこんなに素直じゃないんだろう?
何で悪いことをしても、嘘をついてごまかしたり、同じ事を繰り返したりするんだろう?
そのように思われたことはありませんか?
実は、子供がそうなってしまう理由は簡単なんです。
親が子供に対して、素直に過ちを認めて頭を下げたことがないからです。
それだけのことです。

僕自身の体験談からお話しましょう。
僕のいた塾にRちゃんと言う中学3年生の女の子がいました。
反抗期特有のやんちゃな女の子で、塾内でも一番成績の悪いグループに入っていました。
中学校でも先生を困らせる常習犯としてマークされている子供でした。
通知表には、問題児の証明である「1」もついています。
昔で言えば、他の生徒を煽って学級崩壊をさせようとするようなタイプの子供ですね。
勉強をしないので成績は悪いのですが、頭が非常に良くて悪知恵が働きます。
先生の側からしてみれば、非常に難しい生徒です。
入会したてで、僕と話したことはあまりありません。

塾にはポイントカードというものがありました。
宿題をやってきたら1ポイント・・のようにしてポイントが貯まるカードです。
それが貯まると図書カードなどがもらえる仕組みになっています。
忘れたら押さないというのがルールになっていました。
前回の授業時にカードを忘れていたRちゃんが僕の前に来て一言。
「先生、前の授業のときにカード忘れてたし、その分のポイント押して!」
そこからはこんな感じで会話が進みます。
(僕)「いや、それは押せないな」
(Rちゃん)「何で?」
(僕)「この塾ではカードを忘れたら押さないというルールになってんねん。」
(Rちゃん)「そんなん知らんわ、それは先生の都合やろ?」
(僕)
「なんで押せないか教えてあげるね。Rちゃんが大人になっても忘れ物したりしたら困るやろ?今は確かに悔しい想いをしてるかもしれん。でも、先生はそういうことをこの経験から学んで欲しいだけやねん。他の生徒も同じように押してないし、今まで誰にも押したこともない。Rちゃんだけ特別扱いで押してあげるということはできひんな。」
決まりごとだからと言って押し付けるわけではなく、何でそういう風にしているのかまでしっかりと説明するのが、僕の教育方針でした。
あとは自分自身の信念として、ルールや規律は絶対に守るようにしていたので、ポイントを押さないというのは僕にとっては当たり前の回答だったのです。
少なくとも、このようにきちんと言って聞かせれば、ほとんどの子供はあきらめます。
僕がダメと言ったら、絶対にダメな事を知っているからです。
しかし、Rちゃんは引き下がりませんでした。
彼女は頭がいいのです。
ポイントを押してもらえないルールなんて、当然知っています。
知っていながら僕に突っかかってきているのです。
僕を困らせるために・・。
彼女には秘策がありました。
Rちゃんはこう言います。
(Rちゃん)「でも、先週S先生は押してくれるって約束してくれたで。」
(僕)「え!?そんな事言うはずないやん。その事は講師全員知っているよ。」
でも、S先生は新人でした。
もしかしたら間違えてそう伝えてしまったのかもしれません。
でも、僕は引くことは出来ません。
内心ではあせりつつ、それを否定したいという気持ちでRちゃんへの口調は少し厳しくなります。
(僕)「S先生がどうとか関係ないやろ!それが塾のルールになってるんやから絶対無理!」
彼女は引き下がりません。
このやり取りを授業が終わって家に帰ろうとしている子供達が遠巻きに眺めています。
僕としても引き下がれないところです。
(Rちゃん)「S先生に聞いてみてよ。」
僕は仕方なく、S先生に確認しに行きました。
S先生に聞くと、確かにそういう約束をしてしまったと言います。
研修でそのことは教えていましたが、上手く伝わっていなかったようです。
僕はRちゃんに言いました。
(僕)「S先生は忘れていたみたいやね。でも、とにかくそういう事になってるからポイント押すのは無理やで。」
ここまで来ると意地の張り合いです。
他の講師や生徒の手前、僕も絶対に譲りたくありません。
負けるのは嫌です。
Rちゃんはさらに言います。
「先生は塾で一番偉いんやろ?S先生がそれを知らんのは先生の責任やん。私は前の授業でポイントを押してもらえるって約束してもらったんやで。その約束はどうでもいいの?大人である先生が約束を守れなくていいわけ?」
かなりむかつきますよね(笑)。
でも、反抗期の女の子ってこんなものです。
慣れるとかわいいのですが、塾長は大変なのです。
講師の先生に「いい人」を演じてもらうためには、時には嫌われ役も演じなければなりません。
頭に来ますが、残念なことに正しいのは彼女です。
正論ってやつです。
僕がどうしたか・・。
しばらくの沈黙の後、素直に謝りました。
はっきり言ってかなり悔しいです(笑)。
(僕)「その通りかもしれんな。確かに先生が悪かった。ごめん。でも塾のルールはそういうことになっているから、次からは気をつけるんやで。S先生にはもう一度しっかり教えておく。」
Rちゃんは言います。
「やっと分かった?私が正しいやろ?じゃ、これにはんこ押して」
(僕)「はいはい・・」

反抗期になると、子供と口論になることは良くあります。
ほとんどは子供が間違っているのですが、稀に子供の方が正しいときもあります。
それは50回に1回くらいかもしれません。
でも、そういうことは確かにあるのです。
ここで大人の対応が試されていると思ってください。
状況は違えど、同じような出来事がきっとご家庭でも起こっているはずです。
そのほとんどは子供が間違っていることでしょう。
たしかに49回まではそうかもしれません。
しかし、たった1回だとしても、大人が素直に過ちを認められなければ、残りの49回全ての場面で子供は親と同じように反抗をします。
ほとんどの親は勘違いしています。
子供の要求をその通りに聞くと、子供は余計にわがままを言うのではないかと。
そんなことはありません。
反抗期の子供には、素直に親があやまる場面も見せなければならないのです。
急に仕事が入って守れなかった約束などはありませんか?
それを「お○さんは仕事なんだから仕方ない!」と理屈をつけて押し付けていませんか?
こういうことが重なると、何もいう事を聞かない、約束を守らない、反抗ばっかりする。
そして、「ごめんなさい」が言えない。
こんな子供に育ちます。

さて、Rちゃんはその後どうなったのか?
学校の先生の言う事も聞かない。
親の言う事も聞かない。
困った子供でしたが、不思議なことに僕の言う事だけはきちんと聞くようになりました。
面談で母親が、僕にこう尋ねてきたくらいです。
「この子が○○先生(僕の事)は、すごいっていつも言うんですよ。そんな事は今まで一度もなかったのですが、何かされましたか?」
「特に何もしていません。」
Rちゃんとお母さんの前で僕はそう答えました。
実はRちゃん自身、その事がきっかけでそうなったことには気付いていないでしょう。

本当の理由は僕だけが知っていたのです。



小学校に英語の授業は不要です [雑談]



小学生に英語教育は不要です。
僕はこう考えています。
その理由を5つ挙げます。

①日本の英語教育に根本的問題がある
②将来は英語が不要になるかもしれない
③中学校入学時点で学力格差が生まれてしまう
④小学校の現場の準備が整っていない。
⑤本人にモチベーションがなければ、ほぼ効果がない

まず、①からです。
悪い土壌に、植物を植えても育ちません。
中学、高校+大学4年間で大卒者であれば、10年間、英語を習うわけです。
これで成果が出ない人間が多いから、あと2年増やす。
これはあまりに短絡的でしょう。
10年間も英語を習わせているのですから、時間的には充分なはずです。
いえ、中学3年間で日常会話は支障ないレベルくらいまで仕上げなければ、あれだけの時間をかけている意味がないではないですか。
次に②。
今、社会に出ている人たちで英語を話せる人はその恩恵を充分に受けています。
でも、今の小学生が大人になる頃はどうでしょうか?
僕はそれに少し疑問を感じています。
海外に出て仕事をする人は別ですが、大半は国内で仕事をすることになります。
仕事で英語に触れる機会と言えば、海外の資料を調べるときです。
英語を使いこなせると、最新情報やより詳しい情報を入手できます。
現代は情報が非常に高い価値を持っています。
周りが知らない情報を持っているということはそれだけで有利になれたのです。
しかし、10年後。
英語を使える、使えないに関わらず、情報を得られる時代になるかもしれません。
僕がそう考える根拠は、amazonの出した電子書籍とgoogleの翻訳機能です。
世界中の英語サイトを日本語で閲覧出来る日がもうすぐそこに来ている気がします。
そうなると約束は出来ませんが、少なくとも、これだけは言えます。
googleは明らかにそこを目指しています。
「世界中の情報を整理する」というミッションを掲げているのですから。
英語を勉強して得をした。
今の大人世代はそう考えているかもしれませんが、子供達の世代は分かりません。
そして、③。
基本的に中学までの学習は詰め込み教育で行くべきというのが私の考えです。
この持論に基づいて、教育を考えた際、ボトルネックになるのが教育格差の問題です。
それをどう解決するべきかという部分に関して、最も慎重にならなければならないのですが、
小学生から英語を学ばれてしまうと、その問題が余計ややこしくなります。
社会の仕組みとして、敗者復活のチャンスはなるべく多く残しておかなければなりません。
ましてや中学生の段階であれば、なおさらです。
中学校入学と同時に勉強を頑張ったら、英語だけはトップになれた。
こうした機会が子供達には必要なのです。
さらに、④の理由も深刻です。
小学校側にそれだけの余裕はないでしょう。小学校の数だって相当なものです。
日本全土の小学校が画一的な教育プログラムを行なえるはずはないです。
かなりの学校間格差が生まれることでしょう。
現場の先生は、国語や算数の指導で頭はいっぱいだと思いますよ。
中学校の先生からすれば、中途半端に英語を知っている生徒よりも、「読み、書き、計算」がきっちり出来る生徒の方が指導しやすいのは明らかです。
最後に⑤の理由。
初期の英語学習は基本的には退屈との戦いです。
単語を覚えなければお話にならないからです。
学習特性としては、非常に面白みの少ない科目と言えるでしょう。
ゆえにモチベーション維持が非常に難しくなります。
親が英語を流暢に話せる環境に育った子供など、ごく一部の例外を除いては、英語学習に飽きが来ることは明らかです。
考えてもみてください。
英語の勉強に挫折した大人がどれだけ多いことか・・。
大人でも我慢できないことに、子供が我慢できるはずはありません。
ここで、小学校や英会話教室の先生がたどり着く結論は一つしか考えられません。
授業を楽しくするための工夫です。
でも、何度も書いてきましたが、英語の基礎を学ぶためには忍耐が必要です。
忍耐なくして、本物の英語力は身につきません。
(ある程度の基礎力がつけば、楽しみながら学習出来ます)
お遊戯のような英語の授業をちょこちょこっと行なったところで、何の効果があるのでしょう?
勉強は出来るようになるから楽しいのであって、そんな子供騙しみたいな方法で継続的にやる気を保てるはずがありません。
本当に英語が話せるようになっていないことくらい、小学生でも自覚しています。
無駄なことをしていると思えば、なおさらモチベーションは低下することでしょう。

5つの視点から小学生の英語教育について述べてきました。
数十年後には、歴史が証明してくれると思います。
小学生に英語教育は不要だと。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。