小学校に英語の授業は不要です [雑談]



小学生に英語教育は不要です。
僕はこう考えています。
その理由を5つ挙げます。

①日本の英語教育に根本的問題がある
②将来は英語が不要になるかもしれない
③中学校入学時点で学力格差が生まれてしまう
④小学校の現場の準備が整っていない。
⑤本人にモチベーションがなければ、ほぼ効果がない

まず、①からです。
悪い土壌に、植物を植えても育ちません。
中学、高校+大学4年間で大卒者であれば、10年間、英語を習うわけです。
これで成果が出ない人間が多いから、あと2年増やす。
これはあまりに短絡的でしょう。
10年間も英語を習わせているのですから、時間的には充分なはずです。
いえ、中学3年間で日常会話は支障ないレベルくらいまで仕上げなければ、あれだけの時間をかけている意味がないではないですか。
次に②。
今、社会に出ている人たちで英語を話せる人はその恩恵を充分に受けています。
でも、今の小学生が大人になる頃はどうでしょうか?
僕はそれに少し疑問を感じています。
海外に出て仕事をする人は別ですが、大半は国内で仕事をすることになります。
仕事で英語に触れる機会と言えば、海外の資料を調べるときです。
英語を使いこなせると、最新情報やより詳しい情報を入手できます。
現代は情報が非常に高い価値を持っています。
周りが知らない情報を持っているということはそれだけで有利になれたのです。
しかし、10年後。
英語を使える、使えないに関わらず、情報を得られる時代になるかもしれません。
僕がそう考える根拠は、amazonの出した電子書籍とgoogleの翻訳機能です。
世界中の英語サイトを日本語で閲覧出来る日がもうすぐそこに来ている気がします。
そうなると約束は出来ませんが、少なくとも、これだけは言えます。
googleは明らかにそこを目指しています。
「世界中の情報を整理する」というミッションを掲げているのですから。
英語を勉強して得をした。
今の大人世代はそう考えているかもしれませんが、子供達の世代は分かりません。
そして、③。
基本的に中学までの学習は詰め込み教育で行くべきというのが私の考えです。
この持論に基づいて、教育を考えた際、ボトルネックになるのが教育格差の問題です。
それをどう解決するべきかという部分に関して、最も慎重にならなければならないのですが、
小学生から英語を学ばれてしまうと、その問題が余計ややこしくなります。
社会の仕組みとして、敗者復活のチャンスはなるべく多く残しておかなければなりません。
ましてや中学生の段階であれば、なおさらです。
中学校入学と同時に勉強を頑張ったら、英語だけはトップになれた。
こうした機会が子供達には必要なのです。
さらに、④の理由も深刻です。
小学校側にそれだけの余裕はないでしょう。小学校の数だって相当なものです。
日本全土の小学校が画一的な教育プログラムを行なえるはずはないです。
かなりの学校間格差が生まれることでしょう。
現場の先生は、国語や算数の指導で頭はいっぱいだと思いますよ。
中学校の先生からすれば、中途半端に英語を知っている生徒よりも、「読み、書き、計算」がきっちり出来る生徒の方が指導しやすいのは明らかです。
最後に⑤の理由。
初期の英語学習は基本的には退屈との戦いです。
単語を覚えなければお話にならないからです。
学習特性としては、非常に面白みの少ない科目と言えるでしょう。
ゆえにモチベーション維持が非常に難しくなります。
親が英語を流暢に話せる環境に育った子供など、ごく一部の例外を除いては、英語学習に飽きが来ることは明らかです。
考えてもみてください。
英語の勉強に挫折した大人がどれだけ多いことか・・。
大人でも我慢できないことに、子供が我慢できるはずはありません。
ここで、小学校や英会話教室の先生がたどり着く結論は一つしか考えられません。
授業を楽しくするための工夫です。
でも、何度も書いてきましたが、英語の基礎を学ぶためには忍耐が必要です。
忍耐なくして、本物の英語力は身につきません。
(ある程度の基礎力がつけば、楽しみながら学習出来ます)
お遊戯のような英語の授業をちょこちょこっと行なったところで、何の効果があるのでしょう?
勉強は出来るようになるから楽しいのであって、そんな子供騙しみたいな方法で継続的にやる気を保てるはずがありません。
本当に英語が話せるようになっていないことくらい、小学生でも自覚しています。
無駄なことをしていると思えば、なおさらモチベーションは低下することでしょう。

5つの視点から小学生の英語教育について述べてきました。
数十年後には、歴史が証明してくれると思います。
小学生に英語教育は不要だと。


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