夢を持った高校生 [学校の選び方]



社会の不条理に振り回されずに生きるための方法。
それがたった一つだけあります。
他でもありません。
夢(ビジョン)を持つことです。
高校生の時点で夢を持てばいいのです。
そうすれば、一流大学に入る必要も、大企業に行く必要もありません。
でも、中学生にそれを求めるのは少し早すぎる気がします。
社会のことをあまりにも知らないからです。
中学生くらいまでは詰め込み教育で、将来に関しては明確な夢ではなく、漠然とした期待や希望でいいと思います。夢ややりたい事は何度でも変わっていいと思います。
小中学校は基礎学力をつけることや部活動に専念させるべきでしょう。
中学校までに身につけたい力や経験を挙げれば、
読解力、計算力、暗記力(書き)、コミュニケーション能力、努力した経験、平均を超える技術(何でもいいです、部活動をすれば身につきます)、3年まで部活を辞めない忍耐力・・
他にもあるでしょうが、まぁこんなところでしょう。
中学生では、どこの高校に進学するべきかという判断が出来ません。
だからこそ、高校選びではその後の選択肢を多く残せる環境を用意してあげるべきです。
つまり、大学合格実績のいい高校です。
本人の夢は東京大学の延長線上にあるかもしれません。
それに気付いたときに、それを実現できる環境がなければ本人はがっかりします。
「中学のときにきちんと考えておかないからだ!」
これはあまりにも酷でしょう。

どんな人生を選ぶかは本人の責任です。
これはたしかにそうなのですが、中学生くらいまでは周りの責任半分というところでしょう。
だから、高校選びは周囲の大人が積極的に関与しなければなりません。
高校生になれば4分の3までが本人の責任です。
残り4分の一の大人の責任は何かと言えば、夢を与えられたかどうかでしょう。
大人が子供に夢を与えられるかどうかは、その子供の周囲の大人次第となります。
端的に言えば、夢を持って主体的に努力している大人が周りにいるかいないかです。
高校卒業時点でも夢が全く見つからない。
これは大人の責任なのです。
こうなりたいと思える理想像が近くにいないから、テレビや雑誌の中に理想を求めてしまいます。
メディアによって虚飾された飾り物みたいな芸能人や安物のミュージシャンに・・。
理想論の域を出ませんが、偏差値教育に染まってしまった社会を変えるには、大人一人一人の意識を変えていくしかないと考えています。
身の回りの大人が高校生くらいの子供にとって憧れの対象であれば良いのです。

社会全体を変えるのは大変ですが、自分の子供くらいは変えられます。
自分の子供が一番身近に接している大人は親なのですから。
そうした意味で、親や教師は子供の前で愚痴を言ってはいけないのです。
空元気でも、いつも楽しそうにしていなくてはなりません。
その上で、社会で活躍している人と触れ合う機会をたくさん提供してあげましょう。
夢やビジョンは紙に向かっていくら考えても、子供にはイメージ出来ません。
体の中から沸き起こる衝動のようなものだからです。
夢やビジョンを描かせるには、「こうなりたい!」そう思える見本を見せるしか仕方ありません。

社会の不条理に身をまかせて生きるのも一つですが、それに流されない人生の方が魅力的です。私としては、子供がそう育つようにサポートしてあげるのが最善だと考えています。



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