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素直と従順 [教育全般]


素直と従順であることはよく混同されていますが、全く違います。
会社は、「素直な人材」は欲しいですが、ただ従順な人、すなわち「YESマン」はいりません。
いったい何が違うのか?
今日はそれについて考えてみたいと思います。

「素直になることが大事」という意見を素直に聞けない子供は、この意味を「YESマンになれ」という意味と勘違いしているのではないでしょうか?
YESマンとは、精神的な奴隷です。
誰も奴隷にはなりたくありません。
自ら決めて主体的に行動したいという意志は、大人も子供も持っているからです。
ただ、そういう意志はあるものの、主体性を失ってしまった大人というのはたくさん存在します。

(主体性の重要性については過去の記事をご参照ください)
http://kisekinokyoiku.blog.so-net.ne.jp/2009-11-20

思春期に子供が反抗しはじめるのは、まさにこの「主体性」の目覚めに他なりません。
自分自身の行動を自分自身で決めるという、人として当然の欲求の自覚、そしてその権利を主張し始めるわけです。
幼少期は感情を爆発させることでしか表現出来なかった苦悩を、(まだ未熟ながらも)論理という道具を使って表現するようになります。
だから、幼少時のようには泣きません。
感情は論理という新しいはけ口を手に入れるのです。
「素直になりなさい」という言葉は、子供にとっては(ようやく自覚し始めた)自由を手に入れる権利を制限するものに聞こえてしまいます。
極端に言えば、ここで二つのタイプの子供が誕生します。
一人目は、親のいう事に何でも従う子供。
二人目は、親のいう事に反抗する子供です。
人として、正しく成長しているのは間違いなく後者です。
では、なぜ一人目は親のいう事に何でも従うのでしょう?
「親が怖い」、「親に嫌われるのが怖い」などなど、色々な事情があると思います。
塾で働いていると、こうした子供にはよく出会いますが、とにかく共通して言えるのは、親が正しい方向を向いていないということです。
正しい方向を向いていないとはどういう事かと言えば、世間体とか子供の進路とか、仕事上のトラブルとか、目の前の子供ではなく、別の方向に関心があるということです。
こうした場合、子供とは本当にかわいいもので、必死に親の目を自分に向けようとします。
そのために自分自身の「主体性」を殺すのです。
親の愛情が欲しいがために・・。
だから、私は異常に素直な子供には不安を覚えます。
中学生くらいの年齢は、親のいう事を聞けなくて当たり前なのですから。
そうして「主体性」を失ったまま大人になったのが、「YESマン」だと私は理解しています。
「YESマン」には主体的意志がありませんので、色々と弊害があります。
与えられた仕事しか出来ない、自分で何も決められない・・
こうしたことはもちろんですが、最も厄介なのは、不満を内に溜め込んでいるので精神的に弱いということです。
最近、うつ病になる人が増えていますが、その理由として・・
「学歴神話」→「偏った価値観による親の教育」→「子供のYESマン化」
という流れがあるのではないかと私は考えています。
つまり、人の言う事にただ従うだけの人間が、ここで言う従順ということです。
反抗期、つまり人格形成の時期をどう過ごしたかというのが、YESマン化してしまう最大の要因だと考えてはいますが、大人になってから「主体性」を失ってしまう人も多くいるようです。
これには職場の風土などが大きく影響しているのでしょう。
とにかく、こうしたYESマンタイプを仮にX型人間と呼ぶことにします。
逆に、きちんと反抗期を迎える子供はどうでしょう?
反抗期を迎えた子供には、幼少期のような「素直さ」がありません。
とりあえず親のいう事には反抗し、場合によっては悪い事をしたりします。
このままの状態では、いけません。
いけませんが、このままの状態で大人になってしまう人がたくさんいます。
会社では、自分の成績が悪いのを会社のせいにし、上司の言う事にはもっともらしい理屈をつけて反抗し、独自の解釈で自分を正当化し私用コピーなど犯罪とは呼べないまでも決して望ましいとは言えないような小悪を働く人です。
この精神的に未成熟なまま大人になってしまった人をY型人間と呼ぶことにします。
X型もY型も、社会人としては不適当です。
会社としては採用したくないタイプですね。
ところが、このY型人間。
自己主張や言い訳は上手なので、結構上手く立ち回っている人が数多く存在します。
皆さんの職場の上司や部下にもいるかもしれませんね。
生産的な人間ではないので、職場には不要なのですが、頻繁にみかけます。
いえ、それどころかX型とY型を合わせれば7割くらいになるかもしれません。
共通しているのは、仕事が楽しくなさそうだということです。
精神的に参っているか、愚痴ばっかり言っているかの違いはありますが・・。
もちろん、本人は幸せではありません。
さて・・・、X型でもなく、Y型でもない、前回お話したような「素直さ」を身につけた人間をここでは仮にZ型人間と呼ぶことにしましょう。
Z型人間がいいのは間違いないのですが、Z型人間になってもらうためには、子育て期、とりわけ反抗期の子供との接し方が重要になります。
どのように接すればいいのか?は残念ながら一言で表現することは出来ません。
出来ないから、このような小中学生の教育をテーマにしたブログを書いているわけです。
過去の記事の中からヒントを見つけていただきたいと思います。
ただ、最も重要な点をあえて一言で表現するなら、「人や環境のせいにしない」ようにさせることだと思います。
そのためには現実と向き合う勇気と強さが必要になります。
成年を迎えるまでは、肉体的にも精神的にもまだまだ弱い時期です。
そのための環境面、精神的な面でのフォローを惜しまないことが、親にとってはまず大切なことでしょう。

Z型人間とは、自らを取り巻く環境を客観的に見つめることが出来て、自らの意志によって正しい決断を下すことが出来る人間です。
環境に流されるままのX型人間とは決定的に異なります。
自らを客観視出来ず、あるべき方向に自分を方向付けできないY型人間とも異なります。
「素直さ」を持った人というのは、上のような意味で従順な人とも、ただ反抗的な人とも決定的に異なります。
従順ではなく、素直な人に。
自分自身についてもそうあり続けたいものです。



「素直さ」は簡単には身につきません [教育全般]


社会的に成功するために「素直さ」は欠かせない要素です。
成長するために最も重要な資質と言っても過言ではありません。
ただ、この「素直さ」というのが、なかなか難しい。
本当の意味で「素直な人」には、あまりお目にかかることがありません。
(「従順」な人はたくさんいます)
今回、書くように「素直さ」というのは、簡単に身につく資質ではないからです。
自分自身、振り返ってみてもまだまだ出来てないです。
そして、これが肝心な点なのですが、
「素直さ」は後天的に努力して得られる資質であり、先天的な要素ではありません。
では、どのようにして得られる資質なのか?
それを確認していきたいと思います。

私が思う「素直さ」は、次の3つの要素によって成り立っています。

①自分自身を客観視できる
②異なる意見や考え方を受け入れられる勇気がある
③心の余裕がある

簡単な例え話から始めましょう。
付き合って3年目のカップルの会話です。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
B君  「えぇ~そんな事ないよ。嵐の○○も似たようなの着てるじゃん。」
Aさん 「全然違うって!だいたい顔も違うんだから、一緒にしないで!」
B君  「・・・・もういいよ。お前と遊ぶ日は着てこないから。」

ずいぶんと厳しい彼女ですが、ここでは仮にAさんが絶対的に正しいと仮定します。
素直に彼女の意見を受け入れた方がお互いにメリットのある場面です。
ここで、B君が素直であるためには心の中の3つの関門を越えなければなりません。
まず、一つ目は①の自分自身を客観視できる視点。
素直であるために、最も重要な事です。
この会話の場合、自分自身の立ち位置を客観的な視点から眺める事が出来なければ、B君はAさんの言っていることの正しさを知ることすら出来ません。
人間の最たる思い込みは、「自分が正しい」です。
余程、気をつけなければ、この考えは留まることを知りません。
極端な例ですが、一説には殺人犯のほとんどは、殺人を犯した時点では自分が悪いとは思っていないそうです。
彼らいわく、
「自分と同じ境遇で育てば、誰でもそうなった」
「あいつは殺されて当然の人間だ」
「俺の気持ちは俺にしかわからない」
「殺さなければ、俺が殺されていた」
・・・・
つまり、行くところまでいけば、「自分が正しい」という思い込みは殺人という犯罪行為までも正当化する力があるのですね。
「自分が正しい」のかそうでないのか?
これは、客観的に自分自身を見ることの出来る人だけが判断できることです。
先の例で言えば、B君は自分のセンスの悪さを疑う正しい目を持っている必要があるわけです。
ところで、どうすれば「自分が正しい」という思い込みを捨てられるのでしょうか?
どのようにすれば、客観的に自分を見る目を養えるのでしょうか?
それが出来るための日常の3つの習慣を、セミナーなどで私は提案しています。
第一の習慣は、「人や環境のせいにしない」です。
人のせいにするという事は、自分は変わらないという宣言に等しいです。
「生まれ育った時代が悪い」
「商品が売れないのは、会社が悪い。」
「先生が何も言ってくれなかったから、願書の提出期限を過ぎてしまった」
こう考えた瞬間、思考停止してしまい、自分を疑う視点を失ってしまいます。
第二の習慣は、「そういう事もあるかな?と常に自分を疑う姿勢」です。
人からの提案を聞きにくいのは、誰でも一緒です。
聞きたくないがために、最初から意見を否定する習慣のある人も少なくありません。
こういう人にとって大切なのは、人から何か提案を受けたときに「そういう事もあるかな?」と一旦自分自身に問いかける習慣です。
聞き入れたくない意見を聞いたときに、自分の中でワンクッション入れてから返事をする習慣付けですね。
これだけで、主観ではなく、客観的な視野から物事を考えるようになります。
第三の習慣は、「ルールをきちんと守る」ことです。
窃盗や殺人など凶悪な犯罪に限りません。
法というのは、建前上、最大多数の合意によって成立する決まり事です。
どんなに理不尽なように見えても、そのように決まるまでには、それなりの合理的理由が存在します。
言うなれば、「こうあるべき」という模範を最も厳格なかたちで縛ったものが法律に他なりません。
もっとゆるい存在として、スポーツや地域社会、会社などの規則もあります。
とにかく、
こうしたルールを大なり小なり自分に都合の良いように解釈して、決まり事を守らない人がいます。
「ドイツの高速道路は何キロで走っても良い(だから今、130キロくらい出しても問題ない)」
「(コンビニにて)燃えるゴミのゴミ箱が溢れているから、ペットボトル用のゴミ箱に捨てておこう」
「一枚だけだから、会社のコピー機を私用に使おう」
恥ずかしながら、どれも自分自身の過去の体験です。
けれど、似たような事は誰にでもありませんか?
どれもこれも、勝手な解釈で自分自身を正当化しています。
ルールを守るということは、規範に自分自身を合わせていくこと。
つまり、自分自身の中に客観的な基準を設けるということなのです。

長くなったので、少し話をまとめましょう。
素直であるための3つのポイントが、
①自分自身を客観視できる
②異なる意見や考え方を受け入れられる勇気
③心の余裕がある
この3つです。
最も重要なのが、①自分自身を客観視できる ことで、
そうなるための日常の習慣が
・人や環境のせいにしないこと
・人からの提案があったときは「そういう事もあるかな?」といったん自分を疑うこと
・ルールや決まり事を守ること
となります。
素直であるための、残り二つの条件、
②異なる意見や考え方を受け入れられる勇気
③心の余裕がある
についてはこれから解説していきます。

自分を客観視することさえ出来れば、残り二つはそれほど難しくありません。
ここで再びAさんとB君の会話を見てみましょう。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
B君  「えぇ~そんな事ないよ。嵐の○○も似たようなの着てるじゃん。」
Aさん 「全然違うって!だいたい顔も違うんだから、一緒にしないで!」
B君  「・・・・もういいよ。お前と遊ぶ日は着てこないから。」

B君は、自分を客観視することが出来ていないので、Aさんの意見を受け入れることは出来ませんでした。
しかし、上に書いてきたような思考習慣を取り入れたとしましょう。
このケースで必要なのは、いったん自分を疑ってみる姿勢です。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
(えっ!? 俺の感覚が何かずれていたかな?)→そういうこともあるかな?とワンクッション
B君  「どういうところが変か教えて?」
Aさん 「何か上手く言えないけど、とにかく変。私の友達からの評判も悪いよ。」
B君  「・・・・・・・」

さて、ここでB君は何と答えるでしょうか?
B君が本当に自分を客観視できるなら、この時点で何か気付くかもしれません。
例えばこんな具合に・・
(友達の彼氏の服装について指摘するなんて余程ひどいと感じたんだろうな)
(たしかにこの服を着ていて誰かにほめられたことはない)
などなど
ここで、B君の反応が試されています。
②の異なる意見や考え方を受け入れられる勇気がなければ、B君の反応は以下のようになるでしょう。

B君  「うるさいな!ほうっておいてよ。」

自分の間違いに気付いたとしても、それを認めるためには勇気が要ります。
なぜ勇気が必要なのかと言えば、間違いを認めるということは、イコール自分が変わらなければならないことを意味するからです。
人は成長したいと願うと同時に、今のままの自分でありたいという気持ちを持っています。
この気持ちの強さには個人差がありますが、一般的に頑固と言われる人ほど強くそう思っています。
昨日と違う自分になるのは、怖いんです。
頑固な人は、精神的に怖がりな人と言えるでしょう。
それを無理やり他人に変えられることは多くの場合、本人にとって認められないことです。
だから、B君は怒るんです。
これは別に悪いことではなくて、人として普通の反応です。
しかし、この人として普通の反応が成長の阻害要因となっています。
なぜなら、成長とは変化することだからです。
「素直」になるためには、この怖さに打ち勝つ勇気が必要です。
自分自身を客観視することが出来て、間違いに気付けたのなら、次に必要なのは変わる勇気です。
それがあれば、B君は次のように返答することが出来るでしょう。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
(えっ!? 俺の感覚が何かずれていたかな?)→そういうこともあるかな?とワンクッション
B君  「どういうところが変か教えて?」
Aさん 「何か上手く言えないけど、とにかく変。私の友達からの評判も悪いよ。」
B君  「じゃあさ。どういう服装なら似合うと思う?」

皮肉たっぷりの返答ではいけませんが、本気でこのようにたずねられたら、彼女もきちんと教えてくれることでしょう。
このようにして、意見を素直に聞ける人を、人は好意的に見るものですし、また何か教えてあげようという気持ちにもなります。
逆に人の意見を聞けない人に対して、何か言おうとは次第に思わなくなります。
誰だって衝突するのは面倒なのです。

それでは、この「勇気」はどのようにすれば身につくのでしょうか?
色々あるのでしょうが、ここでは簡単な習慣を一つご紹介させていただきます。
それは、
「これまでと違うことに毎日少しずつでもチャレンジしてみる」です。
例えば、
「昨日と違う道で仕事に行く」
「これまで行ったことのない場所に旅行に行ってみる」
「読んだことのないジャンルの小説を読んでみる」
「食べたことのないものを食べる」
などなど・・
何でも良いのです。
私の例でお話させていただくと、過去に車の名義変更を自分で行ったことがあります。
きちんと調べて手間を惜しまなければ誰でも出来る簡単な手続きです。
しかし、この簡単なことでも、チャレンジするのにはちょっとした勇気が必要でした。
「自分で出来るのかな?もし失敗してたらどうしよう?」という不安があるんですね。
でも、こうした不安を乗り越えてそれが自分の手で出来たときには何とも言えない達成感がありました。
ほんとちょっとしたことなんですけどね。
チャレンジとは何も人生の大決断のようなものだけを指すわけではありません。
ほとんどノーリスクで出来るそうしたちょっとしたものも充分チャレンジと言えるんです。
それを繰り返して、変化に対する耐性を身につけておくのが大切だと言う事です。

人の意見を聞けない人とは、これまでの内容をまとめるなら、
①自分自身を客観視出来なくて、
②変わる勇気を持てない(≒自分に自信がない)
人です。
自分に自信がある人ほど頑固なイメージですが、実は逆なんですね。
子供や老人は一般的に頑固ですが、これは肉体的・精神的な弱者だからこそ自分に自信を持てず、(自信がないから)変化することに対しての恐れが強いのだと私は考えています。

さて、このように人からの意見を素直に聞けるためには、自分を客観視出来て、異なる意見や考え方を受け入れられる勇気が必要なのですが、最後にもう一つ。
「心の余裕」
これがなければ、とても無理です。
つまり、素直な自分でいるためには精神的な余裕が必要だという事です。
普段は人の意見を聞ける人でも、時と場合によってはそれが出来なくなることもあるでしょう。
毎日の精神状態にも左右されるというのが、難しいところです。

今日の内容をまとめます。
「素直さ」というのは、3つの要素によって成り立っています。
一つ目が、自分自身を客観的に見ることの出来る視点です。
人間の思考は、常日頃からの心がけがなければ固定観念の塊のようになってしまいます。
(この「心がけ」については3つ紹介させていただきました)
思考をなるべく柔軟に保つように努力し、主観的かつ客観的に物事を見ることのできる視野を持たなければなりません。
二つ目が、異なる意見や考え方を受け入れる勇気を持つことです。
成長するとは変化すること。
昨日と違う自分になることを恐れない勇気がなければ、素直にはなれません。
三つ目が、心の余裕があることです。
こればかりは流動的な要素です。
日々精神的な安定が保たれていなければ、「素直」であり続けることは出来ません。
いつも「素直」な人は心の健康が維持されている人なのです。

ところで・・・
社会的に成功するために「素直さ」は絶対に必要なことですが、「素直さ」を「従順」と誤解している人がたくさんいます。
ここで述べた「素直さ」と「従順」とは全く違う意味です。
今回は少し長くなりましたので、それについてはまた次回書いていきます。


利き脳と自分に合った学習法 [教育全般]


今日は脳科学についての理論と私自身の実体験をもとに、なるべくわかりやすく「自分に合った勉強法」について解説してみたいと思います。
脳科学の専門家ではありませんので、正確さよりも理解のしやすさを重視した説明をします。

最初に、「ハーマンモデル」と呼ばれる理論を紹介させていただきます。
これは、米ゼネラル・エレクトリック社(GE社)で社員教育責任者であったネッド・ハーマン(Ned Herrmann)が、脳に関する2つの理論から構築した理論です。

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この理論の特徴は、右脳型左脳型という左右二分割だけではなく、それに上下(大脳モード・辺縁系モード)という軸を加え、思考タイプを大きく4つの集団に分割している点です。
この理論の何が優れているのかと言えば、わかりやすさと使いやすさです。
右脳型、左脳型の二分類では、人間の集団を分けるのには少なすぎますし、かといって、集団を10個くらいの思考タイプに分けても使いやすさに欠けます。
血液型診断がなぜこんなに流行したのかと言えば、その使いやすさです。
4つのタイプくらいなら、分類しても覚えられます。
さすが、ビジネスの現場から生まれた理論ですね。
この4つの象限をどのように使っているのか、人それぞれ得意な部分と不得意な部分があるというのが、ハーマンの主張です。
例えば、右利きの人が左手で物を書くことが難しいように、脳も同じ部分ばかりを使えば同じ部分ばかりが発達していきます。
これを「利き脳」と言います。
また、他の部分を使うように意識をすれば、その部分が鍛えられるという特徴もあります。
4つの象限がバランス良く発達していれば優秀というわけではなくて、自分自身の職業や生き方にあった部分が発達しているのが理想的だと言えるでしょう。
説明を始める前に、右脳、左脳について少しだけ触れておきます。
あなたがどちらのタイプか調べてみる方法があります。
下の質問について考えてみてください。

【あなたは右脳型?左脳型?】
①手を組んだとき左の親指が上にくる
②歌を聴いて最初に覚えるのは、歌詞ではなくメロディーやリズムである
③得意教科は理数系科目よりも、芸術系科目である
④教えられるよりも、見て真似るタイプである
⑤いくつもの作業を同時に進められる
⑥人にわかりやすく説明するのは苦手だ
⑦直感がよく働く
⑧弟や妹である

いかがでしょう?
これらの質問のYESが多いほど右脳型です。NOが多ければ左脳型で、どちらにも偏りがない場合は両方型(?)です。
⑧に関しては、私のオリジナル質問ですが、結構当てはまると思います。
なぜなら、弟や妹は上の姿をよく見て真似をしながら成長しますので、右脳をよく使うでしょう。
逆に兄や姉は、下にわかりやすく説明する能力が求められますので、左脳が発達するわけです。
他の質問は比較的定番のものばかりです。
特に①は有名で、6割方これで判別できるようですね。
一般的に言われるのは、「右脳」は喜怒哀楽などの感情や感性、イメージ力、直感などのアナログ型思考。一方「左脳」は言語、計算、論理などのデジタル型の思考をします。
私がブログでよく言うロジカルシンキングは典型的な左脳型能力です。
それに対して、相手の心情を察する想像力やアイデア発想などは右脳型能力と言えるでしょう。
この右脳左脳の概念に、三位一体脳モデルを組み合わせると(何じゃそりゃ)、ハーマンモデルと呼ばれる理論が完成します。
難しい説明は、他のHPなどにお願いするとして(より詳しく知りたい方はGOOGLEで検索してみてください)、ここでは勉強法と関連させながら解説をしていきます。
もう一度図を見てください。

th_team01.gif

まずは本人の行動から、どの象限に偏りがあるか判別します。

A象限が強い
事実に基づく、数量化が得意、明晰な分析、要点が明確、論理的、ださい、権力に飢えている
B象限が強い
不備がない、順を追って構成、まとまりがある、話がわかりやすい、自分でものを考えない
C象限が強い
感情的な問題を認識、共感を得られる経験談を良く話す、人助けを好む、すぐ同情する、神経過敏
D象限が強い
全体像を見ている、視覚に訴える、例え話が上手、夢追い人、常識外れ、空想、未熟

いかがでしょう?
何となく自分や自分の子供がどの象限に偏っていそうかイメージできましたか?

そして、それぞれのタイプの特技です。
-A象限:大脳新皮質/左脳 ⇒ 論理的、数量的分析が得意
-B象限:辺縁皮質/左脳 ⇒ 計画的、順序立てた実行が得意
-C象限:辺縁皮質/右脳 ⇒ 感覚的、他人の感情を汲み取ることが得意
-D象限:大脳新皮質/右脳 ⇒ 革新的、新しいものを生み出すことが得意

当たり前の話ですが、色々な人がいます。
得意なことがあれば、不得意なこともあってしかるべきです。
ただ、どこかの象限が飛びぬけて劣っているのは致命的です。
各象限それぞれにおいて、平均的な能力を保ちつつ、どこかに強みがある。
なおかつ自分自身の強みを自覚している。
こうした人間が社会に出たときに活躍します。

各象限の特徴を再度まとめます。
人と遊ぶことや部活動もせず、理数系の勉強ばかりに没頭すれば、Aタイプ。
自分で主体的に考えることをせず、与えられたことをこなすことばかりに集中すればBタイプ。
友達と遊んでばかりで勉強を一切しなければCタイプ。
自分の夢を追いかけるばかりで、計画的に実行することや、人との協調性を保つこと、数字を使って物事を表現するのが苦手であれば、Dタイプです。
学校の勉強や部活動というのは、これら4つの力を平均的に高めてくれる手段です。
平均的というのが、ここでのポイント。
せめて、高校3年生くらいまでは「読み書き計算」をはじめとして、このブログで書いてあるようなことを愚直に守って4つの象限の平均値を高めていくべきです。
数学なんてA象限を鍛える絶好の手段ですよ。
大学卒業まで、普通の生活をしているだけなら、A象限を使う機会なんて勉強以外にありません。
そのまま社会人になってしまえば、どうでしょう?
A象限、つまり数字を使いこなせなければ根拠を明示できないので、ビジネスマンとしては失格の烙印を押されてしまいます。
くどいようですが、それぞれの象限において平均値に達していないのは致命的なんです。
では、どのようにしてそれぞれの能力を高めていくべきか?
それについては、過去のブログに答えがありますので、そちらのカテゴリーを参照してください。

【それぞれの象限を鍛える方法】
A象限:「論理的思考能力」や「数学」
B象限:「勉強の習慣」
C象限:「コミュニケーション」や「部活」
D象限:「目的と目標」

上記カテゴリに限らないのですが、コンテンツが散在しているので、上の部分だけ紹介させていただきました。
それぞれの象限が弱い人が、何をどうやって鍛えていくべきかが書いてあります。
それらの内容が子育てのヒントになれば、幸いです。
まだ読んでいない方は、一読をおススメしますよ。


日本で二番目にたくさんホームランを打った人は? [教育全般]


突然ですが、質問です。
「リーダーシップ」とは何でしょう?
少し考えてみてください。

答えは後で述べることにして、続いて質問です。
①日本で一番高い山は何でしょう?
②日本で一番大きな湖は?
③日本で一番たくさんホームランを打った人は?
それほど難しい質問ではないと思いますので、答えは省略します。
では、ここでさらに質問。
①から③までのそれぞれの第二位を答えてください。

・・・

答えられた方はさすがです。
物知りですね。
でも、普通は分かりません。
(答え 山:北岳、湖:霞ヶ浦、ホームラン:野村克也さん)
山と湖はいいとして、ホームランの記録は盲点だと思いませんか?
元楽天イーグルスの野村監督と言えば、知らない人は皆無と言っていいほどの有名人です。
それほどの人なのに、ホームラン数歴代2位という大記録を知っている人はあまりいません。
ここで、何が言いたいのかと言えば、1位と2位の間にある認知度における圧倒的な差です。
1番になることにはそのくらい圧倒的なインパクトがあるんですね。
だから、人に強く印象を持ってもらうには、1番になることが大切だということが言えます。

ここからが重要なお話。
1番が強く印象付けられるには違いないのですが、お話はそれほど単純ではないのです。
例えば、世界一高い山はエベレスト。
では、世界一大きな湖は何でしょう?
この質問に答えることと、日本一の湖を答えるのは、どちらが簡単でしょうか?
人にもよるでしょうが、関西圏の人ならまず間違いなく「日本一の湖」の方が簡単に感じるはずです。
いったい何が言いたいのか。
「遠くの親戚より近くの他人」ではありませんが、自分自身にとって身近な1番の方が、強く印象付けられる場合もあるということです。
少し難しく言えば、自分自身の中に客観的な基準と主観的な基準があって、主観的な基準が客観的な基準に優先される場合があるということ。
客観的に一位になるのは、難しいことです。
ところが、主観的な土俵というのは、それぞれの心の中に無限にありますから、その中で一番になるのは上手くやれば誰にでも可能です。
例えば、「今の友達グループの中で一番将棋が強い」のように。
大切なのは、一番であることです。
それが主観的なものであれ、客観的なものであれ、どちらでも構いません。

さて、ここで最初の問いの答えです。
リーダーシップとは何か?
僕はリーダーシップについてセミナーを行うことがあります。
この問いかけに対する受講者の答えはだいたい以下のようなものとなります。
「皆を率いていく力」
「人をまとめる力」
「説得力」
・・・などなど
どの答えも間違ってはいません。
もっともな回答ばかりなのですが、これらの回答はすべて「リーダーとは何か」について語っているものばかりです。
心理学上は、リーダーとリーダーシップは別々のものと考えます。
そこでは、リーダーシップは「集団目的の達成における集団の活動に影響を与える過程」と定義されているのです。
簡単に言ってしまえば、「影響力」のことです。
つまり、影響力=リーダーシップと捉えてほぼ間違いないでしょう。

議論があちらこちらに飛んで申し訳ないのですが、社会で活躍するとはどういうことでしょう?
僕は、組織活動を通じて(あるいは個人で)社会に対してどれだけ大きな影響力を発揮できるかだと考えています。
いい意味でも悪い意味でも大きな影響力を発揮している人を、世間一般は「活躍している人」とみなします。
もちろん、その影響力がいい方向に発揮されるに越したことはありません。
影響力のある人には、報酬で報われるのが今の社会のシステムですね。
すなわち、リーダーシップのある人が成功するようになっているのです。

では、肝心のリーダーシップはどのような場合、最大限に発揮されるのか?
これは難しい問題なのですが、間違いなく効果的なのが「受け手にとって一番の存在であること」なんです。
例えば、上司が部下に対して、
「仕事を一生懸命にやることが、自分自身の成長や幸せにつながる」
と叱咤激励したとします。
全く同じ言葉を、会社の中でNO1である社長が言うのと、昨日係長になったばかりの上司が言うのとでは、部下に対する影響力は全く異なるでしょう。
「お前には言われたくない」と思われていれば、どんな立派な言葉や正論も部下に対する影響力を持ちません。
すなわち、リーダーシップを発揮できないのです。
これでは人を動かせません。
特に理由もないのに、「お前には言われたくない」と思われてしまう原因は単純で、要するに「自分よりも格下の人間に言われたくない」と相手に思われてしまっているからです。
でも、自らがその相手にとって、(主観的・客観的問わず)一番の相手であればそう思われることはありません。
「語るに足る」資格を持っていると思ってもらえれば、相手は話を聞いてくれるでしょう。

中学生や高校生でも大人に対してリーダーシップを発揮できます。
最近twitterで有名になった高校生がいましたが、彼はいい例でしょう。
(参考URL)
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20101211ddm008070070000c.html
彼はtwitterに詳しい高校生という土俵で一位となり、大きな影響力を発揮しています。

もちろん、受け手に対しての影響力を左右する条件は他にもあります。
たとえ、「日本一○○ができる」相手でも嫌いな相手の言う事はきかないでしょう。
たとえ、社長の発言でも自分自身の価値観に合わなければ言う事はきかないかもしれません。
たとえ、前の会社でNO1の実績がある人でも、その人を認めていなければ言う事は聞きません。
ただ、そうした個人的な事情をすべて排除したとき、人が誰の言葉を聞くかと言えば、一番の人の言葉を最も良く聞きます。
なぜ、一番の人の言葉を聞くかと言えば、その人の印象が強いからです。
強い印象を持つ人の言葉は、頭に響きやすいわけですね。

まとめます。
「経済的に豊かになること=人生における成功」ではありませんが、お金は幸せの基準を図る尺度の一つには違いありません。
なぜなら、お金がある人ほど人生の選択肢は多いからです。
お金は本人が発揮した何らかの影響に対する対価だと考えることが出来るので、影響力が強い人ほど経済的に成功できる可能性が高くなります。
社会に対して影響力の強い人材になるためには、他人に対しての強い印象が必要です。
強い印象を持ってもらうための最もシンプルかつ強力な手段が、一番であること。
特に1番と2番の間は、数字における差はほんの僅かでも、印象という点で天と地ほどの差があるというのは先に述べた通りです。

「一番になる」
もちろん、これが影響力を高めるための唯一無二の方法ではないです。
けれども、影響力(≒リーダーシップ)を高めようと考えたときにはかなり効率的な手段です。
これを教育に活かさない手はありません。
どういう意味かと言えば、人を育てるときには、相手に「一番になる」ことを強く意識付けさせるようにするべきだということ。
「一番になる」ことは必ずしも難しいことではありません。
一番になる方法は無限にありますし、そのための土俵も無限にあるからです。
ただ、それを見つけるのは容易ではありません。
こういうとき何の分野で一番になれそうか、それを一緒に考えて、継続的にフォローしてくれる人がいると心強いです。
これこそ、親や教師に求められるべき役割でしょう。
教育者の役割とは、徒競走で手をつないで仲良く一緒にゴールさせることなどではないのです。
一番になれた。
そこで得た自信や他人への影響力こそ、その子供にとっての宝物に違いないのですから。

要領の悪い子供 [教育全般]


こんにちは。
久しぶりの更新です。
今日は私なりにテストの点数を支える要因について考えてみたいと思います。
一般的に言われる学力でもありませんし、頭の良さや人間力のことでもありません。
国数英理社のテストでどれだけ高い総合点数を取れるか?
ただそれだけに限定したお話です。
結論から言えば、必要な能力は、「読解力」、「暗記力」、「計算力」になります。
これはこのブログでお話してきた通りです。
しかし、それだけでは説明のつかない現象がよく起こります。
つまり、実際のテストの点数は以下の公式で決まります。

「読解力×暗記力×計算力×何らかの要因=テストの点数」

「何らかの要因」にはテスト問題への慣れといった事も含まれるかもしれません。過去問題を何回もやった生徒とそうでない生徒では、点数に開きが出るのは当たり前のお話でしょう。
ここでは話を単純化するために、そうした条件は全て一定と仮定します。
そうしたとき「何らかの要因」は、どのような言葉で説明出来るでしょうか?
表現の曖昧さがあるのは承知の上で、ここではそれを「要領」と定義させていただくことにします。

さて、この「要領の良さ」というのは、便利な言葉で日常生活ではよく耳にします。
大人になってもいますね。
要領の良い人、悪い人。
いい意味だけではなく、否定的な意味合いで使われることも多い言葉です。
「要領がいい」とはそもそもどういうことなのでしょう?
僕はこう考えています。
「手抜きが出来る能力」だと。
だから、あまり良いイメージを持たない人が多いのではないでしょうか?
しかし、要領がいいとは、ただの手抜きではないのです。
本来、求められている成果を出しながら(あるいは出しているように見せながら)、手を抜いているのです。果たしてこれは悪なのでしょうか?
僕は決してそうは思いません。
物事にもよるのでしょうが、テストに限定すれば、要領が良い方がいいに決まっています。
テストでは結果が全てです。
(そのこと自体の是非はこの議題とは異なりますので、触れません)
入試では、一点でも点数の高い生徒がそうでない生徒よりも高く評価されます。
これはとても不公平にも思えますが、視点を変えればとても公平なやり方なのです。
点数によって評価をしないということは、その子供の能力を総合的に判断するということです。
何百人、あるいは何千人もの入学希望者をどうやって総合的に判断するのでしょうか?
テストのような定数化された指標を用いるから、見かけ上の公平性は保たれるのです。
ですので、テストの点数による選別はこれから先もなくならないでしょう。
人気のある学校ほど、多くの学生を公平に評価しなければならないというプレッシャーがあるために、テスト重視の傾向を強めざるを得ないでしょう。
公正な評価がされていないと感じれば、批判が強くなるのがこうした学校だからです。
・・・少し話が脱線しました。
とにかく「要領が良い」のは悪いことではなく、大切なことだということです。
特にテストにおいては。
そして、要領良くやるためには手抜きが出来るということが大切です。
では、結果を変えずに手抜きが出来るようになるには、どうすれば良いのでしょう?

要領の悪い子供というのは、一つ一つの事象をばらばらに捉えています。
例えるなら、頭の中に地図がないんです。
話を分かりやすくするため、問題を出してみます。

例題:次の3点でAからCに最短で到達せよ
(図1)
A        BC

(図2 それぞれの地点を上から見た図)
A        B


          C

上の3点でAからCに行くための最短距離は右下に斜めに進む方法です。
誰にでも分かります。
しかし、図1のイメージしかなく、A→B→Cと習った子供は、A→Cのルートが見えません。
図2のように物事を俯瞰してみれば、誰でもわかることがわかっていないのです。
真っ直ぐに進むことしか習っていない子供の頭の中には図1しかないわけです。
では、どうすれば良いのでしょう?
大切なのは、「本質をつかむこと」と、「俯瞰してみること」です。
この場合、「本質をつかむ」とは、問題の目的を正しく把握せよということです。
問題文に「Bを経由して」と書いてあれば、A→B→Cのルートしかありえません。
この場合、Cに向かうことだけが目的なのですから、何もBを経由する必要はないわけです。
「俯瞰してみる」とは、図2が見えるということです。
しかし、全体を俯瞰して眺めることでA→Cのショートカットルートが見えてきます。

実際のテストに話を戻すと、要領の悪い子供はまずテストの目的を正しく理解していません。
テストの目的とは、高い点数を取ることなんです。
そこが本質です。
特に入試においてはそうです。
言い訳をしたって誰も助けてはくれないのですから当たり前です。
だから、高い点数を取るために何をしなければならないのか?という発想から行動を開始しなければ高い点数なんて取れるはずがないんです。
高い点数を取るために、前日にやるべき事が「ノートまとめ」なはずはないですよね?
そこに至る過程が大事だ!とか何とか言ってると、要領の良い子供にはなれません。
結果が全て。結果主義です。
(繰り返しますが、そのこと自体の是非はここでは論じません)
結果=目的を正しく理解した後は、全体を俯瞰して見ることです。
そこにいたるルートは一つではないはずです。
「木を見て森を見ず」が一番いけません。
近道を発見するためには、あらゆる可能性について考えることです。
柔軟な発想力も求められます。
ただ、残念なことにこの能力は一朝一夕では身につきません。
子供の視野を広げてくれる存在が身近にいないといけないのです。
だから、親は子供に対して常日頃から色々な問いかけをしてあげることが大切なんです。
「中国の問題についてどう思う?」
「鯨を食べることについてはどう思う?」
何でもいいのですが、物事を色々な側面から考えさせてあげることが大切です。

この傾向。
お金が絡むビジネスの世界ではより顕著です。
そこに至る努力の過程よりも結果重視。
要領の悪すぎる人間は現代社会では生き残れません。

夏休み [教育全般]


ひさしぶりにブログを更新させていただきます。

今日は夏休みの過ごし方についてです。
塾で働いている頃、学力を貯金にたとえると、こんなことを意識して年間計画を立てていました。

1学期、2学期、3学期:貯金を減らさないようにする
春休み、夏休み、冬休み:一気に貯金する

事情のある子供や、受験生はこの限りではありませんが、部活動や習い事に忙しい生徒が、学校のある時期に飛躍的に基礎学力を伸ばすのは難しいからです。
休みの中でもっとも重要なのが、夏休みです。
なにせ期間が長いですからね。
頑張ればかなり大幅な学力アップを期待できます。

平日、子供たちが自由に使える時間は何時間くらいでしょうか?
学校や習い事、部活動、食事や寝ている時間を除けばせいぜい4時間というところでしょう。
ところが、休日は違います。
朝から晩まで基本的には自由時間なので、かなりの時間が自由に使えます。
8時間の睡眠を取るとすれば、16時間。
半日部活動があったとしても、8時間です。
夏休みの場合、約40日間なので、自由裁量時間が8時間×40日で320時間にもなります。
学期中は、土日がお休みだとして、自由に使える時間は一日当たり平均で約5時間です(※)。
※(4時間×5+8時間×2)/7=5.143・・・

ここに全く同じ学力のA君とB君がいたとします。
A君は毎日自由時間の半分を学習に充てました。
勉強時間は4時間×40日間で160時間です。
B君は2学期直前に夏休みの宿題だけをあわてて終了させました。
勉強時間は4時間×4日間で16時間の勉強です。
単純に考えると、A君は夏休みにB君の10倍勉強したわけです。
これがどのくらいの差を生むのかもう少し検証してみましょう。

実際の学力は勉強時間数とは比例しませんが、ここでは比例するものと仮定します。
B君がA君に追いつくためには、160-16=144時間の勉強が必要です。
これまでの学習時間は二人とも、1時間だったとしましょう。
B君はA君よりも勉強しなければなりません。
ところが、夏休みが終わると、自由に使える時間は一日平均5時間です。
A君も勉強する1時間分は差を生みませんから、残り4時間で差を埋めなければなりません。
シュミレーションしてみましょう。

毎日5時間勉強した場合→36日で追いつきます
毎日4時間勉強した場合→48日で追いつきます
毎日3時間勉強した場合→72日で追いつきます
毎日2時間勉強した場合→144日で追いつきます

これまで一日の勉強時間が1時間だった子供が毎日4、5時間勉強するのはほぼ不可能です。
現実的に考えれば、せいぜい一日2~3時間でしょう。
これでも、本人にしてみれば相当頑張っていると言えます。
それでも、A君に追いつくのに2ヶ月から5ヶ月ほどかかってしまいます。

さらに・・・
勉強の習慣には「慣性の法則」が働きます。
夏休みに加速したA君の勉強習慣は、ある程度の失速はするでしょうが、2学期もそれなりに勢いを残していると考えるのが妥当です。
かたやB君には、「慣性の法則」は働きませんので、二学期から勉強を始めなければならないとすれば、心理的な負担はA君よりも大きいです。
現実的には、2学期にたくさん勉強をするようになるのは、学力で遅れをとったB君ではなく、A君でしょう。
二人の差はますます埋めがたいものになってゆくのです。

実は、話はこれでも終わりません。
心理学でいうところのプラトーという現象について説明をしていないからです。
先の例では、勉強時間と学力が比例すると仮定しましたが、現実はそうではありません。
現実の学力の伸びはグラフにすると、階段状になる場合が多いです。
この水平になる部分をプラトーと言います。
(※スランプと意味合いは似ていますが、スランプは既に高いレベルにある人の成長が停滞するという意味で使われます)
学力でも何でもそうなのですが、人間の成長はきれいな右肩上がりにはならないということです。
当然、勉強したからと言ってすぐに成績が良くなるわけではありません。
(一夜漬けで結果の出る類のテストもありますが、これは基礎学力とは異なります)
これはたとえるなら、カップに注ぐお湯のようなものです。
ある段階を超えると、お湯はカップからあふれだします。
成長や変化とは、このあふれだした水のようなものです。
カップの中にどのくらいのお湯が入っているのかは周囲の人間には見えません。
ところが、水があふれると周囲の誰から見てもその変化は分かります。
先のA君とB君のお話に戻ると、夏休みを終えてすぐB君がA君の成長に気づくとは限らないということです。A君の変化にB君がいつ気づくかはわかりませんが、それに気づいたときにはもうすでにかなりの差がついていることでしょう。
あわてて水を注ぐB君のカップから水があふれだすのは、当分先のお話です。

二人の夏休みの勉強時間が長期的に大きな差になっているという現象を、累積勉強時間、勉強の習慣における「慣性の法則」、プラトーという3つの観点からお話させていただきました。
僕がここで言いたいのはB君になるなということではありません。
ここで強調したかったのは、たった1ヶ月で、誰にでもA君になれるチャンスがあるということです。
カップからお湯があふれるとき、つまり誰の目から見てもわかる変化が本人に訪れるとき・・
まさに本人の生きている世界が変わります。
大げさではなく、夏休みをきっかけに劇的な変化を遂げる子供を何回も目にしてきました。
こんなチャンスは一年に一回しかないのです。

夏休みはまだまだこれからです。暑さに負けず頑張りましょう。

原因療法と対症療法 [教育全般]


塾のお仕事は病院に似ています。
患者さんの状況に応じて、それに合わせた処置を行います。
病院と違うのは、健康になっても症状の予防のために通い続けることです。
他にも違う点はありますが、基本的には似たような立場なわけです。
症状の予防のために通塾される方はやはり少なく、大半の方は何らかの症状があります。
それを解決してあげるのが、こちらの仕事です。
病院と同じように、ほとんどの症状には処方箋があります。
しかも、ほとんどの症状は完治させることが可能です。
表面的な症状を緩和する処置は、対症療法と言われ一般的にはあまり良くないとされています。
根本的な原因に働きかける処置を原因療法と言いますが、塾の指導も同じように根本的な原因に働きかけることが大切です。
しかし、医学において対症療法が有効な場合もあるように、塾においても対症療法が必要な場面はあるのです。
いえ、むしろ対症療法が中心とさえ言えるかもしれません。
塾の場合、それはそれでいいのですが、一つだけ注意しなければならないことがあります。
それは、対症療法を行ないながらも、原因療法を忘れてはならないということです。
長期間、子供を塾に通わせて後悔する例として、対症療法しか行なわれなかったというものがあります。
では、学習塾における原因療法、対症療法とはどのようなものでしょうか?
例えば、3日後の定期テストで点数を取らせるための指導は対症療法です。
それに対して、ノートに丁寧な字を書くことが出来る、集中力がある、自主的に勉強をするようになる・・などは全て原因療法に当たります。
そうした根本的な問題を治すためには、原因療法が必要です。
そして、最も重要なのは以下の点です。

「学習における根本的な問題点のほとんどは、生活習慣に原因がある」

学校や塾で出来ることには限界があります。
学習塾の効果を最大限発揮するには、ご家庭の協力が欠かせません。
生活習慣のほとんどは家庭の生活において形成されるからです。
すなわち、

対症療法=塾だけで出来ること
原因療法=ご家庭と協力して出来ること

と言う事が出来るでしょう。
即効性のある処置はすべて対症療法となります。
一見して、学習効果が上がったように見えても、根本的な問題は解決していません。
言うなれば、塾の授業というお薬で症状をごまかしたに過ぎないのです。
素直な生徒には、特に塾のお薬が効きやすいです。
対症療法にも関わらず、根本的な問題が解決したように見える子供もたくさんいます。
しかし、これが怖いのです。
問題の原因を放置したまま、大学生になり、社会人になったときに、結局本人が一番つらい思いをすることになるからです。
では、学習における原因療法とは何なのでしょうか?
このブログの読者の方には申し上げるまでもありませんね。
「しつけ」です。
では、どういった点に意識的に気をつけて「しつけ」を行なうべきなのでしょうか?
これもよく書くことなのですが、「すぐやらせる」ことに尽きます。
やらなければならないことを後回しにしないこと・・ですね。
このやらなければならないことには、レベルがあります。
「宿題をしてからテレビを見なさい」
と言っても聞かない子供に、何度同じ言葉を投げても効果は薄いです。
むしろ、逆効果になるのでやめてください。
「勉強しなさい」と言われ続けると、子供は勉強しなくなります。
(→これをアンダーマイニング効果と言います)
「宿題をする=勉強する」というのは、この子供にはレベルが高すぎるのです。
この子供が抵抗なく、受け入れられるレベルから指導しなければなりません。
それは例えばこういうことです。
「靴をそろえなさい」
「椅子をひきなさい」
「制服を先に片付けなさい」
こうしたことを繰り返し指導して、子供の当たり前のレベルをあげていくのです。
「靴をそろえなさい」
これも出来ないのであれば、
「ごちそうさまと言いなさい」
でもいいかもしれません。
とにかく、子供の成長レベルに応じて、当たり前のことをきちんとやる。
やらなければならないことから先にやる、ことを指導するようにしてください。

最近の問題として、正しく叱れない親が増えてきました。
なぜ、正しく「叱る」ことが出来ないのでしょうか?
答えは「信念」がないからです。
「正しい信念」があれば、子供を叱ることは出来ます。
では、「正しい信念」はどうすれば身につけることが出来るのでしょうか?
答えは、古典や多くの人に読まれてきたベストセラーを読むことです。
そうした本物と呼べるような本は数多くはありませんが、たしかに存在します。
「論語」や「聖書」などから学ぶのも良いと思います。
デール・カーネギーの「人を動かす」、ジェームス・アレンの「原因と結果の法則」なども名作です。
こうした本は一回読んで終わりというものではありません。
自分の血肉となるまで何回も読んで初めて意味が生まれます。
僕の座右の書は、「7つの習慣」です。
何年か後にはまた変わるかもしれませんが・・。

それでは、今日はこの辺で。


一勝九敗 [教育全般]


尊敬するユニクロの柳井社長の著作のタイトルを使わせていただきました。
残念ながら、この本はまだ読んだことがありませんが・・。

柳井社長が、この言葉を経営の訓戒としているかどうかは分かりませんが、子供の教育を考えるときに、この言葉を常に念頭においておくと、とても良い結果を生めると思います。
子育ては1勝9敗でいいのです。
どういうことか説明いたしましょう。
親は子供に対してたくさんの期待をかけます。
・・あるときは、ピアノ教室に通わせるかもしれません。
・・あるときは、計算ドリルを買って与えるかもしれません。
・・あるときは、歴史マンガシリーズを一緒に買いに行くかもしれません。
しかし、残念なことに子供は親の期待通りには行動してくれません。
家に買った大きなピアノが埃をかぶっていたり・・
仕事帰りにわざわざ書店に寄って購入した計算ドリルは最初の1ページしかやってなかったり・・
これなら読むと子供が約束して買った歴史マンガはピカピカのままだったり・・
子供を育てている方なら、分かると思いますが、こんなことは日常茶飯事です。
あなたは時間やお金を無駄にしたと感じるかもしれません。
こういうときは少し視点を変えてみましょう。
あなたは子供の将来に投資をしたのです。
投資をした会社が大きく育つかどうかは、未来にならなければ分かりません。
未来のある時点では全く芽が出ていないかもしれません。
しかし、投資をしていない会社が育つ可能性はゼロです。
(他の誰かが投資をしてくれるという可能性はありますが・・)
子供には発達段階があります。
例えば、0歳の石川遼君にゴルフクラブを握らせても、練習にはならないでしょう。
頭や体がそれを受け入れる態勢が整って初めて与えたものが効果を発揮します。
もしかすると、一生それを受け入れる素地は整わないかもしれません。
でも、がっかりしないことです。
生きるための方法なんて何億通りもあるのですから。
別にそれが出来なくて死ぬわけではありません。
いつか急に出来るようになるかもしれません。
20世紀最大の天才と言われたアインシュタインは子供の頃に担当の先生から頭が鈍いと思われ、「この子は絶対に大成しない」と言われていたそうです。
その時点ではそう見えたのでしょう。
親にとって大切なことは「待つこと」です。
機会を与えて、後は待つのです。
無理矢理、何かをやらせようとしてはいけません。
何かを与えてみて、子供の反応が悪かったときには、「あれ?少し早かったかな・・」と思う程度にとどめないといけないのです。
興味のないことを無理にやらされて、望ましい成果を上げることはありません。
子供の中には「自分には出来ない」という「負け癖」がどんどんついていきます。
いつもお話するように、「勝ち癖」や「負け癖」はスパイラル状に広がりますから、「負け癖」のついた子供は新しいことをやろうとしては失敗するようになります。
どうせ出来ないだろうと思って、物事に取り組むようになるので、あきらめるのが早くなります。

蒔いた種は10個に一つくらいしか育たないと思って、根気良く見守ってあげることが大切です。




勉強を無意味と感じる子供、そして大人 [教育全般]


こんにちは。
文体を変えてみましたが、違和感があったので元に戻しました。
今まで通りでいくことにします。
実は、僕はゴーストライターとしてWEBマガジンを刊行しています。
残念ながら、そのWEBマガジンを人に教えることは出来ないのですが、そちらの記事は全て「である」調で書いているんです。
そちらの人気があるのは、きっと認知度や信頼度の差なのでしょう。
いい勉強になりました。
以上、余談です。

Benesseの教育研究開発センターの行なった興味深い調査結果を目にしました。
中学生と高校生を対象にしたアンケート結果です。
その質問と回答結果ですが・・・

(質問1) どうしてこんなことを勉強しなければいけないのかと思う
中学生 56.1%  高校生 57.6%

このような結果になったとのことです。
成績による区分は行なわれていないので、そこから想像すれば、成績の悪い子供達に関してはこの数字以上に深刻な結果になることが予想されます。
おそらく大半の成績不振の子供が勉強することに、意味を感じていないと思います。
高校生になると、数字がわずかながらも上昇するのは、どういうことでしょう?
個人的に興味があるのは、同じアンケートを大人対象に行なうとどうなるのか?という点です。
質問内容を「中学、高校の勉強はあまり役に立たないと思う」に変えて・・。
残念ながら、どんな結果になるのか全く予想出来ません。
その一方でこんな調査結果もあります。

(質問2) わからないことがあると、もっと知りたいと思う
中学生 61.4%  高校生 64.1%

多くの子供は知りたいという気持ちは持っているんですね。
高校生になると数値が上昇しています。
これは、(質問1)の結果に対して明らかに矛盾しています。
勉強に対して失望する子供が増えているのであれば、「もっと知りたい」という気持ちは下がるはずだからです。
これに対して考えられる答えは一つです。
「勉強に意味は感じないものの、とりあえずやらなきゃと思う学生は増えている」
ということです。
大人になるというと言葉の聞こえはいいのですが、嫌々ながらも必要性があるので、仕方なく学ぶという学習態度になります。
これは悲しいことですね。
(質問1)の回答結果は高校生になると格段に下がって欲しいところです。
ましてや大人になっても「はい」と答える人の割合が下がらないようであれば、日本の教育は大きな問題を抱えていると思わざるを得ません。

僕の個人的な意見として・・
色々問題はあるにせよ、学校の勉強に意味がないとは考えていません。
むしろ非常に意味はあると考えています。
国語は理解力、数学は論理的思考能力、英語はコミュニケーション能力、社会は知識と教養によるコミュニケーション能力の強化、理科では論理的思考能力の実践の場として「仮説検証能力」を高めることが出来ます。
学習指導要項に改善の余地がまだまだたくさんあるのは事実だと思います。
けれど、そういう理由で勉強が無意味だということにはならないでしょう。
現状のカリキュラムがこうなっている以上、それをいかに有効活用するか考えるしかありません。
今、まさに「勉強する理由」が問われていると思うのです。
「仕方ないから勉強する」
こういう高校生が一人大人になるたびに、(質問1)に「はい」と答える子供が増えます。
5教科の学習にはどういう効用があるのかを教えてあげないと、子供達がかわいそうです。
「だから勉強しなくてもいい」と言い切れる親の下にいるのであればまだ幸せですが・・。
多くの子供たちは無意味と感じていることに人生の大半の時間を使っているのですから。
でも、むやみやたらと小学生や中学生に「勉強する理由」を語るのはあまり意味がないと僕は考えています。
難しくてよく分からないからです。
大人だって分かっていない人が多いのですから、当たり前の話です。
態度で示すしかありません。
大人が勉強の重要性を心から信じることです。
「勉強する理由」は言葉で伝えるものではなくて、それとなく感じてもらう類のものと考えています。
大人がそこに疑問を感じていては、子供はとてもそうは思えません。

文部科学省には、「勉強が無意味」と感じる子供の割合を減らすための工夫として、大人に向けた教育情報発信の機会を増やすことを期待しています。


自分の過ちは認めない [教育全般]



素直な子供に育てたい。
そう思われる方は多いと思います。
今日はそんな子供に育てるための方法を紹介させていただきます。
うちの子供は何でこんなに素直じゃないんだろう?
何で悪いことをしても、嘘をついてごまかしたり、同じ事を繰り返したりするんだろう?
そのように思われたことはありませんか?
実は、子供がそうなってしまう理由は簡単なんです。
親が子供に対して、素直に過ちを認めて頭を下げたことがないからです。
それだけのことです。

僕自身の体験談からお話しましょう。
僕のいた塾にRちゃんと言う中学3年生の女の子がいました。
反抗期特有のやんちゃな女の子で、塾内でも一番成績の悪いグループに入っていました。
中学校でも先生を困らせる常習犯としてマークされている子供でした。
通知表には、問題児の証明である「1」もついています。
昔で言えば、他の生徒を煽って学級崩壊をさせようとするようなタイプの子供ですね。
勉強をしないので成績は悪いのですが、頭が非常に良くて悪知恵が働きます。
先生の側からしてみれば、非常に難しい生徒です。
入会したてで、僕と話したことはあまりありません。

塾にはポイントカードというものがありました。
宿題をやってきたら1ポイント・・のようにしてポイントが貯まるカードです。
それが貯まると図書カードなどがもらえる仕組みになっています。
忘れたら押さないというのがルールになっていました。
前回の授業時にカードを忘れていたRちゃんが僕の前に来て一言。
「先生、前の授業のときにカード忘れてたし、その分のポイント押して!」
そこからはこんな感じで会話が進みます。
(僕)「いや、それは押せないな」
(Rちゃん)「何で?」
(僕)「この塾ではカードを忘れたら押さないというルールになってんねん。」
(Rちゃん)「そんなん知らんわ、それは先生の都合やろ?」
(僕)
「なんで押せないか教えてあげるね。Rちゃんが大人になっても忘れ物したりしたら困るやろ?今は確かに悔しい想いをしてるかもしれん。でも、先生はそういうことをこの経験から学んで欲しいだけやねん。他の生徒も同じように押してないし、今まで誰にも押したこともない。Rちゃんだけ特別扱いで押してあげるということはできひんな。」
決まりごとだからと言って押し付けるわけではなく、何でそういう風にしているのかまでしっかりと説明するのが、僕の教育方針でした。
あとは自分自身の信念として、ルールや規律は絶対に守るようにしていたので、ポイントを押さないというのは僕にとっては当たり前の回答だったのです。
少なくとも、このようにきちんと言って聞かせれば、ほとんどの子供はあきらめます。
僕がダメと言ったら、絶対にダメな事を知っているからです。
しかし、Rちゃんは引き下がりませんでした。
彼女は頭がいいのです。
ポイントを押してもらえないルールなんて、当然知っています。
知っていながら僕に突っかかってきているのです。
僕を困らせるために・・。
彼女には秘策がありました。
Rちゃんはこう言います。
(Rちゃん)「でも、先週S先生は押してくれるって約束してくれたで。」
(僕)「え!?そんな事言うはずないやん。その事は講師全員知っているよ。」
でも、S先生は新人でした。
もしかしたら間違えてそう伝えてしまったのかもしれません。
でも、僕は引くことは出来ません。
内心ではあせりつつ、それを否定したいという気持ちでRちゃんへの口調は少し厳しくなります。
(僕)「S先生がどうとか関係ないやろ!それが塾のルールになってるんやから絶対無理!」
彼女は引き下がりません。
このやり取りを授業が終わって家に帰ろうとしている子供達が遠巻きに眺めています。
僕としても引き下がれないところです。
(Rちゃん)「S先生に聞いてみてよ。」
僕は仕方なく、S先生に確認しに行きました。
S先生に聞くと、確かにそういう約束をしてしまったと言います。
研修でそのことは教えていましたが、上手く伝わっていなかったようです。
僕はRちゃんに言いました。
(僕)「S先生は忘れていたみたいやね。でも、とにかくそういう事になってるからポイント押すのは無理やで。」
ここまで来ると意地の張り合いです。
他の講師や生徒の手前、僕も絶対に譲りたくありません。
負けるのは嫌です。
Rちゃんはさらに言います。
「先生は塾で一番偉いんやろ?S先生がそれを知らんのは先生の責任やん。私は前の授業でポイントを押してもらえるって約束してもらったんやで。その約束はどうでもいいの?大人である先生が約束を守れなくていいわけ?」
かなりむかつきますよね(笑)。
でも、反抗期の女の子ってこんなものです。
慣れるとかわいいのですが、塾長は大変なのです。
講師の先生に「いい人」を演じてもらうためには、時には嫌われ役も演じなければなりません。
頭に来ますが、残念なことに正しいのは彼女です。
正論ってやつです。
僕がどうしたか・・。
しばらくの沈黙の後、素直に謝りました。
はっきり言ってかなり悔しいです(笑)。
(僕)「その通りかもしれんな。確かに先生が悪かった。ごめん。でも塾のルールはそういうことになっているから、次からは気をつけるんやで。S先生にはもう一度しっかり教えておく。」
Rちゃんは言います。
「やっと分かった?私が正しいやろ?じゃ、これにはんこ押して」
(僕)「はいはい・・」

反抗期になると、子供と口論になることは良くあります。
ほとんどは子供が間違っているのですが、稀に子供の方が正しいときもあります。
それは50回に1回くらいかもしれません。
でも、そういうことは確かにあるのです。
ここで大人の対応が試されていると思ってください。
状況は違えど、同じような出来事がきっとご家庭でも起こっているはずです。
そのほとんどは子供が間違っていることでしょう。
たしかに49回まではそうかもしれません。
しかし、たった1回だとしても、大人が素直に過ちを認められなければ、残りの49回全ての場面で子供は親と同じように反抗をします。
ほとんどの親は勘違いしています。
子供の要求をその通りに聞くと、子供は余計にわがままを言うのではないかと。
そんなことはありません。
反抗期の子供には、素直に親があやまる場面も見せなければならないのです。
急に仕事が入って守れなかった約束などはありませんか?
それを「お○さんは仕事なんだから仕方ない!」と理屈をつけて押し付けていませんか?
こういうことが重なると、何もいう事を聞かない、約束を守らない、反抗ばっかりする。
そして、「ごめんなさい」が言えない。
こんな子供に育ちます。

さて、Rちゃんはその後どうなったのか?
学校の先生の言う事も聞かない。
親の言う事も聞かない。
困った子供でしたが、不思議なことに僕の言う事だけはきちんと聞くようになりました。
面談で母親が、僕にこう尋ねてきたくらいです。
「この子が○○先生(僕の事)は、すごいっていつも言うんですよ。そんな事は今まで一度もなかったのですが、何かされましたか?」
「特に何もしていません。」
Rちゃんとお母さんの前で僕はそう答えました。
実はRちゃん自身、その事がきっかけでそうなったことには気付いていないでしょう。

本当の理由は僕だけが知っていたのです。



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