ウサギとカメ [雑談]


ブログを始めてそろそろ一年になります。
記事数を見ると、125個なので、3日に1回くらいのペースで更新をしていたわけですが、全然そんな実感はありませんね。毎日のように更新をしている時期があったり、長い期間放置したままだったりのブログなので、そんなに書いていたのかとむしろ驚きです。
一年前は365日で300個くらい記事を書ければいいなと考えていたのですが、なかなか思い通りにはいきませんでした。何らかの強制力がないとダメですね・・。
中途半端になるので、もうやめようかと思ったりもするのですが、コメントを残してくれた皆さんやniceをつけて下さる方がいるので、それがやる気になって、またこうして更新しています。

面白いものでブログ更新にも性格が出ますね。
私の勉強や仕事の仕方にそっくりです。
モチベーションに波があって、やるときはすごくやるのですが、やらないとなったら全くやらない。
ウサギとカメで言えば、ウサギ型です。
というわけで今日はウサギとカメのお話をしたいと思います。

子供達にも勉強の癖というか傾向があって、ウサギさんとカメさんがいます。
経験則では、男の子にウサギ、女の子にカメが多いような気がします。
走りこみが足りなくて、瞬発力が今ひとつのウサギさんもいますが・・(笑)。
これはどっちがいいというお話ではないんです。
どちらのタイプにも長所もあれば短所もありますが、カメが勝つことが多いようです。
先生の言う事をきっちりと守れる子供です。
ここで、ちょっと昔話を振り返ってみましょう。
ウサギはなぜカメに負けたのでしょうか?
まぁ・・寝てしまったからですよね。
それまでは圧倒的なリードを保っていたわけです。
ところが、受験勉強でよく見かけるウサギはもっとずぼらです。
昔話のウサギは最初はまじめに走っていたのですが、このウサギはスタートすらしません。
最初から寝ているのです。
昔話で言えば、「しまった!」と目を覚ましたところから物語がスタートするわけです。
気がついたときにはカメはゴール寸前で、ウサギは駆け込みでギリギリセーフになるか、アウトになるかといったところです。
このように、昔話以外のパターンも考えられるわけですが、ウサギがカメに勝つにはどうすればよかったのか?という視点で考えてみましょう。
前に出した例では、ウサギさんの負け方は以下の二つです。

①途中で寝てしまって負ける
②最初から寝ていて、出遅れて負ける

では、それぞれについて検証してみたいと思います。

まずは、①の途中で寝てしまって負けるパターンです。
このウサギが負けてしまった理由は寝てしまったからですが、本質はそこにはありません。
本当の理由は、カメの姿を確認したことにあると思うのです。
カメと自分との間にある圧倒的な距離を見て、安心してしまったのですね。
これがウサギの油断を誘い、屈辱の敗戦へとつながるわけです。
自分よりも下の人間を見て、安心することを心理学の世界では「下方比較」と呼びます。
これは一種の防衛本能であり、人間の自尊心を保つ働きがある一方で、人間の成長を著しく低下させてしまうという一面があります。
よくこういう子供いますよね。
「今回のテストはみんな点数悪かったもん!」
これは一種の下方比較で、自分よりも点数の悪い生徒を見て安心しているわけです。
数多くの子供を見ていると、あることに気づきます。
ほとんどのウサギさんは自尊心が強いんです。
これは重要なポイントです。
自尊心が強いが故に、「下方比較」の心理が働き、下を見て安心し、寝ているのです。
サッカーの世界では高校時代に才能に恵まれて注目された選手が、そのままプロになっているとは限らないそうです。
むしろ高校時代に脚光を浴びなかった選手の方が、プロになっていることが多いと聞きました。
統計を取ったわけではないので、詳細はわかりませんが、この話を聞いたときに妙に納得したものです。
ほとんどのウサギは後から来たカメに追い抜かれてしまうのですね。
ごく稀に走り続けるウサギがいます。
こういうほんの一握りの人達が本当のトップクラスの人材なのでしょう。
さてさて・・・
昔話のウサギさんの敗因は、「下方比較」にあると申し上げました。
「下方比較」しないためにはどうすればいいのでしょう?
色々方法はあるのでしょうが、考えたいのは、もっとレベルの高い子供と比較せざるをえないような環境を用意することです。
でも、こうした子供は自尊心が強く、傷つきやすい一面がある(場合が多い)ので、本人の努力を認めてあげる場も多く用意しなければなりません。
「下方比較」しなくても済むような精神的に安定できる環境を整えてあげるのが、親の役目です。
同時に子供が「下方比較」しないような習慣づけを大切にしなければなりません。

次に、②の最初から寝ているウサギの場合です。
これが実際のウサギならどうでしょう?
水でもぶっかけて目を覚まさせるところですね。
すなわち、刺激を与える方法です。
しかし、ただ刺激を与えればいいわけではありません。
例えば、朝の8時に登校しなければならないとき、起きた時間が9時だったら、今更急ごうとはあまり思わないと思います(9時以降に大切な予定があれば、もちろん焦りますが、遅刻をしないということがこの子供にとっての目的だった場合)。
大切なのは、ショックを受けて目覚めたときに、急げば間に合うということが同時に示されているということです。
あるいは、こういう場合もあります(というか非常に多いです)。
両親の危機感と子供の感じる危機感にはギャップがあるので、両親が自分の感覚に従い、子供を刺激しまくって、子供が刺激に慣れっこになっている場合です。
親が狼少年のようになっているんですね。
刺激を与えて目を覚ましたと同時に、子供が肌感覚で危機感を感じていなければ、むやみやたらに眠りから起こしてもあまり意味はないんです。
肌感覚で感じる危機感とは、例えば、こういうことです。
ふと横を見ると、毎日一緒に遊んでいた子供のテストの点数が急激に上がっていた。
ふと気付けば、周りの子供は全員高校説明会に行っていた。
こういうときに子供は肌感覚で危機感を感じるんです。
論理が発達していない子供には、言葉による説得はあまり効果がありません。
大切なのは、言葉で訴えるのではなくて、こうした環境を自然に準備してあげることなのです。
それは例えば、塾に入れることかもしれません。
近所の高校1年生のお話を聞くことかもしれません。
それが何かは色々なパターンが考えられると思います。
ただ単に「狼が来るぞ~」では効果はないわけです。

ちょっと長くなりましたが、ウサギとカメのお話から子供の勉強について考えてみました。
童話は色々と示唆に富む話が多くて面白いです。
もちろん違った解釈もあると思います。
正解はありませんので、色々と考えるヒントにしていただくと良いのではないでしょうか。

COP15 [雑談]


今日は少しだけ政治について書いてみたいと思います。
黙っていられなくなったというのが、率直な気持ちです。
教育とはあまり関係がありません。

COP15ははっきりとした成果を残さないまま、幕を閉じました。
特に印象的だったのが中国の憎々しげな態度です(笑)。
厚顔無恥とはあのことを言うのでしょう。
国際エネルギー機関によると、CO2の排出量は中国21%、アメリカ20%、EU14%、日本4%となっています。
中国とアメリカが世界の排出量の大半を占めているわけで、その二国に何らかの制限をしていかなければ、世界の二酸化炭素の排出量は大きく削減されることはありません。

鳩山首相は大きな目標を掲げていましたが、削減に積極的な各国の足並みは揃わず、むしろ途上国を代表する立場で戦った中国の外交的勝利に終わったような印象です。

これをどうみるかなのですが、僕は日本にとって何十年に一度かの大きなチャンスが到来しているのではないかと考えています。今の日本は少子高齢化が進み、国内の需要増加による景気回復も見込めず、失業率も高止まり・・。円高による圧力に加え、デフレや景気の二番底が懸念されるという極めて厳しい状況です。
でも、日本は過去に似たような危機を乗り越えているのです。
1970年代のオイルショックをきっかけとして、特に自動車作りの現場から技術革新が進み、1980年代の日本経済は歴史上、類を見ないほどの勢いがありました。
同じ成長戦略をもう一度描けないかと思うのです。

中国の代表団の嬉しそうな表情を見て僕が感じたのは、「恥ずかしい・・」という感情です。
例えるなら、中学生が気の弱い先生を脅しつけて、自分の主張を通したときにするような顔です。
地球環境よりも自分の利益が大事と言い切って、「大成功」と言い切るバカもいないでしょう。

今の中国には勢いがあります。
勢いがある人間の周りには人が集まります。
国も一緒です。
何となく将来性がありそうな中国に味方しておこうという国が多いことも仕方ありません。
先進諸国は2008年のリーマンショック以降、あまり元気がありませんから・・。
それを考えると、今回の結果は当然の帰結だったのかなというような気がします。
時勢というものがあります。
その時勢は未だに旧来の価値観から抜け出せていないのだなというのが、COP15を見てよく分かりました。
だからこそ、日本が頑張らないといけないと思うのです。
20年後、30年後、環境に配慮した経済政策が議論の是非もないほど当たり前の時代となったときに、日本が環境技術に関しての世界一のノウハウを保有していたとすれば、素晴らしいことです。
今回の中国の代表団のような発言なんて、恥ずかしくて誰も口に出来ないような背景を作っていけばいいのです。北朝鮮の発言には時々「何を言ってるんだ???」と唖然としてしまうことがありますが、同じような空気を作っていくことが今後の日本の取るべき戦略ではないでしょうか?
アメリカは二酸化炭素削減に後ろ向きな印象でしたが、あの国は衆の国なので、世論の環境意識がそこまで高まっていないのでしょう。

日本は過去に何度も同じような危機を乗り越えてきたということ。
それだけの潜在能力を持った非常に優秀な国民であるということ。
長期的な視野を持って、国家レベルで環境問題に取り組める国は、日本をおいて他にないこと。
(EUは国ではありませんし、アメリカ、中国、BRICS、BOP諸国、どこを見渡しても、環境問題に真剣に取り組もうという姿勢と、それを可能にする科学技術を保有している国はありません)
そういうことを言う人が何でこんなに少ないのでしょう。
国家全体が自信喪失しているからなのかもしれませんが・・。

そのための赤字国債ならもっと発行してもいいのではないかというような気がします。
史上類を見ない規模で環境対策に力を入れるわけです。
将来の負担になるのなら、借金はするべきではありませんが、投資なら別です。
周囲の国が唖然とするくらいの勢いで、環境関連に国家予算を使います。
大変な状況下で行なうからこそ、周囲の国の同意を得ることが出来ます。
お金があるから・・では周りの国の共感を得ることは出来ません。

以前、このブログで紹介していた「主体性」をもとに考えるなら、それしかないと思います。
他人は変えられないし、同様に、他国も変えられないからです。

パラダイムの転換が起こりつつあります。
それを敏感に捉えて、次の時代のリーダーシップを取れる国にして欲しい。
子供達の未来のためにも切に願います。
鳩山首相・・・


ブログについて [雑談]


突然ですが・・

ブログですが、少し文体を変更してみようと思います。
ですます調だと論文みたいになってしまって少し読みにくいかなと・・。
教育のノウハウを発信するためのブログですが、僕自身の文章を書くトレーニングも兼ねているんですよね。
ほんの数人を除いて、僕がブログをしていることは周囲の人間は知りません。
もともと知り合いでもなかったにも関わらず、いつも読んでくださる読者の方には感謝です。
写真や図も使わないブログなので、読みにくかったと思います。
本なら腰を落ち着けて読むのでいいのでしょうが、ブログはもう少し軽いほうがいいのかなと考えるようになりました。
訪問して下さった方々のブログも拝見させていただいておりますが、どうも知的レベルの高い方が集まっておられるようで、それはそれで嬉しいのですが、これも僕自身のブログの読みにくさが一つの理由かなと反省している次第でございます。
まぁしばらくは、内容は変えずに表現を変えて、色々と試してみるつもりです。

ではまた次回より。


若いって素晴らしいの? [雑談]



今日の職場で、こんな場面が繰り広げられていました。
女性社員同士の会話です。

(Bさん) 「Aさんて、25歳だったよね~」
(Aさん) 「ちょっと待ってくださいよ。ひどい!まだ23歳ですよ。」
(Cさん) 「ひどいって・・。私は28歳だよ。」
(Aさん) 「え~!? ごめんなさい。」

とまぁ・・こんな感じの会話です。
僕はこの会話の中にある種の嫌悪感を覚えます。
冗談を言い合いながら会話を楽しんでいるのは分かります。
けれども、これは冗談ではなくて、彼女達の本音ではないでしょうか?
若いことがいいことだという暗黙の了解がこの会話の中にはあります。
30代になれば、「三十路」。
あるいは「アラサー世代」、「アラフォー世代」。
こうした言葉にネガティブな響きを感じるのは僕だけではないはずです。
人は一人の例外もなく、年齢を重ねます。
誰でも30歳、40歳になるのです。
若さはいつか失われます。
それが唯一の価値観の拠り所だとすれば、そんな若者はみっともないですが、それを羨ましく思うような大人もみっともないと思っています。
女性の場合、外見的な魅力に限定しても、30歳~40歳くらいまでは毎年綺麗になり続けることが出来るはずです。若さだけの美しさとは違った魅力が備わるからです。
努力して磨かれる美しさは、素材の良さとはまた違います。
男性にしても、50代くらいまでは外見的にも、充分魅力的でいられるはずです。

幸せとは相対的な問題です。
「他の人よりも幸せな毎日」
「昨日の自分よりも、素敵になる人生」
これが最も幸せな人生です。
いつも100点を取っている子供は80点だと悔しいですが、いつも50点の生徒が80点を取れば大喜びです。しかし、他の全員が100点であれば、喜びも冷めてしまいます。
幸せになるコツは二つあります。
一つはどうにもならないことを人と比べないことです。
他の人と比較しなければいいのです。他人は他人で関係ありません。
さらに言えば、「どうにもならないことは自分よりも恵まれない人と比べて、努力でどうにかなることは自分よりも優秀な人と比べるべき」です。
不幸になる人は逆なのです。
どうにもならないことばかり人と比べて、努力しないといけないことは下を見て安心しています。
これではいけません。
もう一つのコツは少し難しいです。
「人生のピークを先に用意する」ことです。
若いだけが価値観の拠り所だったとしましょう。
20歳くらいにピークを迎えた後は、下り続ける人生です。
ずいぶん寂しい生き方ではありませんか。
欧州は若者と年配者の立場が日本とは少し異なります。
失礼ですが、不潔と思ってしまうくらい、服装や身だしなみに無頓着な若者が多いです。
ところが、年配者になると、日本とは逆で非常に魅力的な方が多くなります。
国によって異なったりもするのでしょうが、僕はほとんどの欧米諸国でこの印象を受けました。
この点は彼らを見習うべきだと考えています。
ハリウッドスターでも、本物と呼ばれるような人は皆ある程度の年齢を重ねています。
若者にお金は必要ありません。
泥だらけになって働いて、勉強して、汗臭ければいいのです。
それでも彼らには若さという魅力があるのですから、それで充分幸せです。

本来、年配者になる程、うらやまれる社会を目指さなければなりません。
「今は42歳。人生で一番楽しいです。20歳に戻れるなら?まっぴらごめんですよ。あんなに大変な思いは二度としたくありません。」
こういう風に言える大人が増えてこそ、健全な社会だと言えるのです。
なぜ、こんな逆転現象が起こってしまったのかと言えば、メディアに責任があります。
若いタレントやミュージシャン、アイドルを使いすぎました。
そして、それらの多くは使い捨てのような扱いで消えていきます。

こんなんでいいのか?
冒頭のような会話を聞く度にいつも悲しくなっています・・・。


小学校に英語の授業は不要です [雑談]



小学生に英語教育は不要です。
僕はこう考えています。
その理由を5つ挙げます。

①日本の英語教育に根本的問題がある
②将来は英語が不要になるかもしれない
③中学校入学時点で学力格差が生まれてしまう
④小学校の現場の準備が整っていない。
⑤本人にモチベーションがなければ、ほぼ効果がない

まず、①からです。
悪い土壌に、植物を植えても育ちません。
中学、高校+大学4年間で大卒者であれば、10年間、英語を習うわけです。
これで成果が出ない人間が多いから、あと2年増やす。
これはあまりに短絡的でしょう。
10年間も英語を習わせているのですから、時間的には充分なはずです。
いえ、中学3年間で日常会話は支障ないレベルくらいまで仕上げなければ、あれだけの時間をかけている意味がないではないですか。
次に②。
今、社会に出ている人たちで英語を話せる人はその恩恵を充分に受けています。
でも、今の小学生が大人になる頃はどうでしょうか?
僕はそれに少し疑問を感じています。
海外に出て仕事をする人は別ですが、大半は国内で仕事をすることになります。
仕事で英語に触れる機会と言えば、海外の資料を調べるときです。
英語を使いこなせると、最新情報やより詳しい情報を入手できます。
現代は情報が非常に高い価値を持っています。
周りが知らない情報を持っているということはそれだけで有利になれたのです。
しかし、10年後。
英語を使える、使えないに関わらず、情報を得られる時代になるかもしれません。
僕がそう考える根拠は、amazonの出した電子書籍とgoogleの翻訳機能です。
世界中の英語サイトを日本語で閲覧出来る日がもうすぐそこに来ている気がします。
そうなると約束は出来ませんが、少なくとも、これだけは言えます。
googleは明らかにそこを目指しています。
「世界中の情報を整理する」というミッションを掲げているのですから。
英語を勉強して得をした。
今の大人世代はそう考えているかもしれませんが、子供達の世代は分かりません。
そして、③。
基本的に中学までの学習は詰め込み教育で行くべきというのが私の考えです。
この持論に基づいて、教育を考えた際、ボトルネックになるのが教育格差の問題です。
それをどう解決するべきかという部分に関して、最も慎重にならなければならないのですが、
小学生から英語を学ばれてしまうと、その問題が余計ややこしくなります。
社会の仕組みとして、敗者復活のチャンスはなるべく多く残しておかなければなりません。
ましてや中学生の段階であれば、なおさらです。
中学校入学と同時に勉強を頑張ったら、英語だけはトップになれた。
こうした機会が子供達には必要なのです。
さらに、④の理由も深刻です。
小学校側にそれだけの余裕はないでしょう。小学校の数だって相当なものです。
日本全土の小学校が画一的な教育プログラムを行なえるはずはないです。
かなりの学校間格差が生まれることでしょう。
現場の先生は、国語や算数の指導で頭はいっぱいだと思いますよ。
中学校の先生からすれば、中途半端に英語を知っている生徒よりも、「読み、書き、計算」がきっちり出来る生徒の方が指導しやすいのは明らかです。
最後に⑤の理由。
初期の英語学習は基本的には退屈との戦いです。
単語を覚えなければお話にならないからです。
学習特性としては、非常に面白みの少ない科目と言えるでしょう。
ゆえにモチベーション維持が非常に難しくなります。
親が英語を流暢に話せる環境に育った子供など、ごく一部の例外を除いては、英語学習に飽きが来ることは明らかです。
考えてもみてください。
英語の勉強に挫折した大人がどれだけ多いことか・・。
大人でも我慢できないことに、子供が我慢できるはずはありません。
ここで、小学校や英会話教室の先生がたどり着く結論は一つしか考えられません。
授業を楽しくするための工夫です。
でも、何度も書いてきましたが、英語の基礎を学ぶためには忍耐が必要です。
忍耐なくして、本物の英語力は身につきません。
(ある程度の基礎力がつけば、楽しみながら学習出来ます)
お遊戯のような英語の授業をちょこちょこっと行なったところで、何の効果があるのでしょう?
勉強は出来るようになるから楽しいのであって、そんな子供騙しみたいな方法で継続的にやる気を保てるはずがありません。
本当に英語が話せるようになっていないことくらい、小学生でも自覚しています。
無駄なことをしていると思えば、なおさらモチベーションは低下することでしょう。

5つの視点から小学生の英語教育について述べてきました。
数十年後には、歴史が証明してくれると思います。
小学生に英語教育は不要だと。


理想と現実 [雑談]



一流大学に行けと言ったり、行くな(とまでは書いてないですが)と言ったり・・。
一体どうなっているのか!?と思われても困るので、前回までの内容を少し整理しておきます。
鋭い読者の方は気付かれていると思いますが、ブログ記事に少し矛盾があります。
僕の頭の中では矛盾していないつもりですが、そういう風に読めないこともありません。

こういう構成でブログを書いてきたのには理由があります。
一流大学に行ったほうが、人生の様々な局面で有利になることには変わりありません。
これは動かしようのない事実です。
しかし、その本質が正しく伝わっていないことに、僕は危機感を感じました。
社会は子供達にとって必ずしも親切ではありません。
皆、自分の利益を得るために必死だからです。
大学、専門学校、マスコミ、広告代理店・・
少子化を受けて、これから先は生き残りを賭けた戦いがより一層激化していくことでしょう。
大人の都合によるバイアス(歪み)のかかった情報を真に受けてはいけません。
そんな気持ちから、まずは現実のありのままを徹底的に伝えてきました。
もし、就職活動をしている大学生がこのブログを読んでいるのなら同じことです。
説明会では、いい事をいう会社が多いかもしれませんが、だまされないように気をつけてください。
学生にとって危険な会社とはこんな会社です。

(↓ダメな会社の募集要項例)
この仕事の魅力が「人」との出会いです。
仕事で出会うお客様は年齢も職業も多種多様、貴方はこの出会いの中から信頼される喜びや新たな自分の可能性を学ぶことが出来ます。そして、そうした貴方の成長を私達は高く評価します。
当社のポリシーは、能力・実力主義。仕事の実績は、学歴や年齢に関係なく正当に評価され、給与やボーナス、昇給や昇進として評価されます。やればやっただけ必ず評価される仕事、そこには夢とやりがいが無限に詰っているのです。

抽象的で何も言っていないことを読み取ってください。
本当に自信がある会社なら、具体的なPRを持っているものです。
ポリシーが、能力・実力主義ではどうしようもありません。
年齢を重ねても、若者と同じ基準で評価されるのでしょうか?
それならば、ずいぶんとしんどい仕事です。
少し話がそれましたが、学校選びも同じことです。
この会社の募集要項にあるように、何もない会社が人を集めるために使う言葉の代表格が「夢」や「自己実現」や「やりがい」です。
色眼鏡を外して冷静に社会を見渡すと、ここ何十年、日本の教育はほとんど変わっていないことに気付きます。つまり、学歴社会です。
この傾向はまだまだ変わらないでしょう。
これからますます日本は高齢化が進み、保守的になります。
老人は変化を恐れるものだからです。
大手銀行は利益が出ているにも関わらず法人税を払っていませんし、JALが経営難だと言えば、日本政府が助けます。天下りは何年も前から同じようなニュースばかりです。
既得権益を容易に離そうとしない老人達によってこの国は運営されています。
老人達の安全は守られますが、弱者は守られません。
地方の中小企業は大変です。
倒産が相次ぎ、失業者が街には溢れています。
新卒者の企業内定率は62.5%と過去最低並みの記録です。
こんな実態があるのに、嘘は言えません。
人の人生に関わる仕事をしている以上、現実は正直に伝えるべきだと考えています。
結果的には、「一流大学に行きなさい」こういう結論になります。
これは、現実的な意見ですし、夢を語る理想論は現実の冷めた意見には勝てません。

オバマ大統領は「核のない世界」という歴史的なスピーチを今年行ないました。
理想論だとは思いますが、理想論がなければ歴史は変わりません。
でも、理想論には人を動かす力があります。
その力はときとして、不可能を可能にします。
そんな出来事は歴史上、枚挙に暇がありません。
まさに思考が現実化する瞬間です。

個人的には、高校生全員が夢を持ち、自分自身の信念に従って大学選びをして欲しいと思います。理想や信念がある人にとって、その後の人生における困難など、全く問題ではありません。
全員がブランドに左右されない学校や会社選びを出来るといいと思います。
でも、その難しさを知っているからこそ、軽々しくそれを勧めることも出来ません。

教育を語るものとして冷静な自分と、それを否定する自分が同居しているのです。
子供達には不健全な苦労をして欲しくないですしね。
難しいものです・・。

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