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勉強しなさいと言わずに勉強させるために出来ること [モチベーション]


前回の記事で、「勉強しなさい」と言ってはいけないと書きました。
じゃあ、一体どうやって勉強させればいいんですか?
「内発的な動機」とか、そういうのじゃなくて、もっと具体的で即効性のあるやり方を教えてください。という声が聞こえてきそうなので、今日はそれについて書きます。

私が「勉強しなさい」と言ってはいけないとする理由の一つが、それが「外発的動機付け」にあたり、長期的には意味をなさなくなる手段だからというもので、前回の記事に書いたとおりです。
ただし、「外発的動機付け」は絶対に使ってはダメというわけではありません。
ここ一番という場面では成果を出すために使います。
「勉強しなさい」と言ってはいけないもう一つの理由。
それは、子供は親の言う事をきかないという事を知っているからです。
(※言う事を何でも素直に聞くとすれば、それはそれで問題です)
ここで「じゃんけんの法則」というものをご紹介させていただきます。
じゃんけんの必勝法ではなくて、私のオリジナル理論です。
難しい話ではありません。
当たり前ですが、グーはチョキに勝ちますが、パーには負けます。
それぞれを塾長(別に近所のおじさんでも良いです)、子供、母親に置きかえてみましょう。
この3者の関係は、じゃんけんに似ていませんか?
すなわち、
塾長は子供には勝てますが、母親には勝てません。
子供は母親には勝てますが、塾長には勝てません。
母親は塾長には勝てますが、子供には勝てません。
こうした関係を「三竦み」と言いますね。
母親が子供に勝てないという表現には、語弊があるかもしれませんが、要するに「母親の意見は素直に聞きにくい」という事です。
ちなみに、こうした関係は社会のあらゆる場面にあります。
グーはパーには勝てませんので、無理だと思ったら、チョキを使うのが賢いやり方です。
無理矢理やろうと思っても決して上手くいきません。
お互いに疲労するだけです。
つまり、塾の存在意義はこういうところにもあるわけです。
決して勉強を教えるためだけに存在しているわけではありません。
この場合の母親にとって大切なことは、子供が意見を聞きやすい第三者は誰か考えることです。
人間の特性として、身近にいる人の意見は最も聞きにくいものです。
お父さんが仕事に行って、お母さんが家事をするという典型的な家庭なのであれば、私がお勧めしたいのは、お父さんにその役割を任せるように仕向けることです。
子供の前で父親の悪口を言う母親がいますが、自分で自分の首を絞めているということがなぜわからないかな?と歯痒く感じることがよくありました。
お父さんは家庭の中で権威ある存在として位置づけておいた方が母親はラクなのに・・。
母親は子供が甘えられる存在、父親は子供に気付きを与える存在。
ただ、それだけでは母親に精神的なストレスが集中しますので、そのサポートを父親が行う。
母親>父親、父親>子供、子供>母親
中学受験で成功する家庭などは、こういう役割分担になっていることが多いです。
三竦みの関係が成立しているわけですね。
ただ、この関係にも色々問題があって、父親に子供に「気付き」を与えられるだけの「教育リテラシー」があることが前提となります。
父親が教育に関しての勉強を怠っていれば、それは不可能なわけです。
では、どうすればその「教育リテラシー」が身につくのかと言えば、「学習の基本的なやり方」と「正しい信念」を学んでおくことです。
それを学んでいただくための機会の一つがこのブログになります。

大切なことはそれだけではありません。
親に出来ることは、子供に環境を与えてあげることだと私は考えています。
直接的な役割を果たすのではなく、間接的な役割を果たすべきだということです。
そろばん塾に行かせてみる、家族で演劇鑑賞に行く、スイミングを習わせる・・
こうした事は子供に対して愛情のある親であれば、だいたい行っておられます。
しかし、環境を与える上でもっと重要なことがあります。
それは、熱の高い環境を準備してあげるということです。
熱意は伝染します。
もっともわかりやすいのは、受験期で、頑張る子供達は頑張る子供達と一緒に行動します。
その逆もまた然りです。
子供が学習を続けていく上で重要なのがモチベーションですが、モチベーションには波があり、常に一定ではありません。
やる気の高い集団というのは確実に存在します。
その集団の教師的な役割の人に熱意があるのか、リーダーに熱意があるのか、たまたま熱意のある人が集まったのかはわかりませんが、グループによってその熱さは全く異なります。
皆さんには、中学2年生のあのときのクラスは最高だったというようなご経験はありませんか?
その理由は、先生が良かったか、クラスにリーダー的人材がいたか、たまたまいい人ばかりが集まったか、どれかに必ず絞られるはずです。
モチベーションはつまるところ、「熱」なんですね。
「熱」である以上、冷めた環境に入れれば冷めてしまいます。
子供がどういう友達と付き合っていて、どうなりつつあるのか?
それを注視していくのはとても大切なことです。
「あの友達と付き合うのはやめなさい!」なんて言っても子供が聞くはずはないでしょう。
そういうことを一切言わなくても、勝手に子供がいい友達を選んでくるようになるのがベストです。
それには折に触れて、友達を見る目を養うことにつながる教育をしていくことが大切です。
では、友達選びの目はどのように養われるのかについて、次回は書いてみたいと思います。



勉強しなさいと言ってはいけない理由 [モチベーション]


過去にモチベーションについて書いたことがあります。
その際、「外発的動機付け」について説明させていただきました。
その説明が難しかったように思いましたので、例え話を使って再度説明させていただきます。

あるところに、あまり強いとは言えないボクシング選手がいました。
試合の勝率はこれまでのところ、6割といったところです。
ある日、怪しげな風貌の男が彼の前に現れました。
そして、不思議な薬を手渡してこう言います。
「これを飲めば、不思議なパワーが沸いてくるんだ。次のボクシングの試合で使ってみるといい。」
さらに男は続けます。
「ただし、一回一錠だ。期間は必ず空ける事。何日も連続して飲まないようにな。」
彼は半信半疑ながらも、男の言う事を信用し、試合直前にその薬を飲みました。
すると、どうでしょう。
自らの身体の奥底から何とも言えないモチベーションが沸いてきます。
はっきり言って試合で負ける気などしません。
観客の予想を裏切り、たった1RでKO勝ちを収めることが出来ました。
彼は狂喜し、その薬に感謝をします。
そして、次の試合の日。
やはり同じように薬を飲みました。
モチベーションが身体にみなぎります。
前回の相手と同じくらいの強さの相手ですが、今回も負ける気はしません。
試合の結果は3RでKO勝ち。
圧倒的勝利とはいかないまでも、問題のない勝ち方です。
そして、次の試合・・。
同様に、薬を飲んでのぞみましたが、今回は辛くも判定勝ちでした。
彼は何かがおかしいと気付きます。
その薬を飲んでも、初回の試合のようなモチベーションが沸いてこないのです。
飲まなければ、もっと悪い結果になったのはわかるのですが、初めて飲んだときの身体の底から沸き起こるようなモチベーションを今では感じることがありません。
次は大事な試合があるのに・・。
そう思った彼は、男の忠告を無視して、試合前に薬を2錠飲みました。
「!!!!!!!」
過去に感じたことのないような強烈なモチベーションが彼を包みます。
試合は圧倒的な勝利に終わりました。
「なんだ、驚かせやがって・・・。一度に何錠飲んだって問題ないじゃないか。」
そう思った彼は、次の試合、そのまた次の試合も・・・と薬の使用量を増やしていきました。
試合は勝ち続けましたが、1年後、とうとうその薬がなくなってしまいました。
彼は薬を持ってきた男を必死になって捜しますが、どこにも見当たりません。
「仕方がない・・薬なしで戦うか。」
そう観念した彼はあることに気付きます。
1年前、自分自身に確実に存在していたはずのモチベーションがどこからも沸いてこないのです。
・・・・

何が言いたいかわかりますか?
この薬の正体が、「外発的動機付け」です。
「外発的動機付け」とは、外から与えることの出来る動機付けのことを指します。
こう言うと、餌で釣るようなやり方ばかりをイメージする方がいるのですが、「外発的動機付け」とはそのようなやり方に限りません。
※餌で釣るようなやり方とは、例えば、成績UPしたらお小遣いUPのようなものです
「外発的動機付け」の最たるものは、親の「勉強しなさい」という言葉です。
このブログを書き始めた頃から、それはいけませんと申し上げてきましたが、「勉強しなさい」という言葉はいわば劇薬なのです。
最初は効果的かもしれませんが、次第に慣れてきて、最終的には親が発狂せんばかりに叱り付けても子供は全く動じないという結果を招きます。
こうした子供は「外発的動機付け」が習慣化されていますので、報酬を与えても反応がいまひとつですし、とにかく勉強に対するモチベーションが希薄です。
自発的に勉強をするようにさせるためには「内発的動機」、すなわち外からの刺激をきっかけとせず勉強できるように育てていくことが大切なのですが、それが出来ずに「外発的動機付け」という劇薬を親が多用してしまい、先のボクサーのようになってしまった子供がたくさんいます。

では、「内発的な動機」にはどのようなものがあるのでしょう?
「内発的な動機」を知るためには、人間としての根源的な欲求から考えます。
ここでは、心理学者のアルダファーという人が提唱したERG理論というものを当てはめて考えてみることにしましょう。
マズローの五段階欲求説を使わなかったのは、3つで覚えやすいからです。
(※マズロー氏の理論を発展・進化させたのがERG理論です)
アルダファー氏は人間の根源的な欲求を、
① EXISTENSE(存在)
② RELATEDNESS(関係性)
③ GROUTH(成長)
以上の3つの観点から説明しました。
奥の深い理論なのですが、ここではその詳細を省き、「勉強」面だけにアレンジして説明させていただきます。
①の「存在」とは、あらゆるタイプの物質的・生理的な欲求です。
食欲、物欲、金銭欲、性欲などあらゆるタイプの原始的な欲求を指します。
②の「関係性」とは、良好な人間関係に対する欲求です。
マズローの五段階欲求説で言うところの「承認欲求」、つまり「人から認められたい」という欲求もここに含まれます。
勉強面においては、表彰される、いい学校に入る、ほめられる等を指します。
③の「成長」は文字通り、自己の成長に対する欲求です。
自らの能力アップや成績の向上、成功体験などはここに含まれます。
これらの欲求を源泉として、人間は内発的に動機付けされるんですね。

さて、ここで「ちょっと待って!」という反論が聞こえてきそうです。
物欲や金銭欲に働きかけるのは、「外発的な動機付け」に当たるのではないかと・・・。
これは非常によくある勘違いなので、ここで触れておきます。
勘違いというか、これは次元の違う話なのです。
物欲や金銭欲に働きかける行為は「外発的な動機付け」に当たります。
それは、その通りです。
そればかりか「すごい、すごい」とおだてながら相手に何かをやらせるような行為も、「外発的な動機付け」に含まれます。
「外発的な動機付け」とは欲求の内容ではなく、相手に対して働きかける行為を指します。
人間の根源的な欲求そのものは、上の3つで説明が可能であり、自ら動機付けられれば、「内発的」、外から動機付けされればそれは「外発的」となるのです。
こういう風に考えるとわかりやすいのではないでしょうか?
結果を出すために使われるのが、「外発的な動機付け」。
結果を出した後に得られるのが、「内発的な動機づけ」。
①の存在の欲求に関して言えば、
結果を出すために使われるのが、「勉強しなさい」
結果を出した後に得られるのが、「存在への安心感」
②の関係性の欲求に関して言えば、
結果を出すために使われるのが、「お世辞」
結果を出した後に得られるのが、「褒め言葉」といったところでしょうか?
「心の底から相手をほめる事」は内発的な動機に働きかけていますので、先の劇薬のように耐性が出来てしまうことはないのです。
ましてや、③「成長」という内発的な動機には限界がありません。
子供には成功体験を与えることが重要だと、過去何回も書いていますが、成功体験は人間の最も高次の欲求(③「成長」)を源泉とする強烈な「内発的な動機付け」なのです。
自らの努力の結果、上のような欲求が充足されると、人は内発的に動機付けされます。
つまり、「モチベーションが高いから何事かを成し遂げられる」のではなく、
「何事かを成し遂げられたからモチベーションが高くなる」のです。

最後に、もう一度言いましょう。
子供に「勉強しなさい」と言ってはいけないのです。

ほめ上手への道③ [モチベーション]


こんにちは。
今日もほめ方についてです。
ほめるのは、子供の教育には欠かせない要素です。
でも、ほとんどのお父さん、お母さんは我が子をほめるのがほんとに苦手です。
ほめようと心の中では思っているみたいなんですけど、なかなかほめることが出来ないようです。
そういう事情も斟酌しつつ、アドバイスに入りたいと思います。

失敗が起こる原因の大半は、「過度の期待による待ちの姿勢」だと、僕は考えています。
こうしたらほめよう、ああしたらほめよう、これを達成したらご褒美をあげよう・・
この態度がそもそもの間違いなのです。
ほめようと決めたら、待つのではなく、こちらから言葉をかけるのです。
現状のありままの子供からいいところを探すのです。
ほめる対象は、未来の子供の姿ではありません。
今、目の前にいる相手なのです。
現状を認めることが出来なければ、たとえ望ましい未来がやってきたとしてもたいした反応は出来ません。
たいてい自分の期待値よりは下回るので、奥歯に物が挟まったようなほめ方になるのです
このことをくれぐれも頭に入れておいていただきたいと思います。

それでは具体的なほめ方のテクニックに入ります。
以下のような点に気をつけながらほめると良いでしょう。

①具体的にほめる
②プロセスをほめる
③すぐにほめる
④思い出したようにほめる
⑤同じ事を集中的にほめる
⑥意外な点をほめる
(以下は前々回のブログより)
⑦他の人にほめ言葉を預ける
⑧メールや手紙でほめる
⑨I・メッセージでほめる
あとほめ方ではありませんが、注意点として
⑩余計な一言は言わない
※「英語は良かったけど、数学がねぇ・・」

これだけ覚えておけば充分でしょう。
組み合わせて使えば、色々応用出来ます。
例)
①+② 
「今回のテストはいつもより2日早く準備を始めたのに集中力が持続してえらいね。」
③+④
「88点!!すごいね。あっそういえば、前回も84点だったね。」

ほめるのも慣れです。
まずは、ぎこちなくてもいいので、ほめる回数を増やすことからはじめてください。
大半のご家庭では、ほめ言葉は不足傾向にあるので、「ほめすぎ注意」ということはありません。
他のブログとかを見ると、「ほめすぎは逆効果」といった言葉を目にしますが、心配無用です。
そういうことを書いている記事をよく読むと、「お世辞」と「ほめる」が分けて考えられていないか、「甘やかす」と「ほめる」を同じフェーズで語っています。

ほめるとは相手を認めてあげることです。
お世辞でも、甘やかすことでもありません。






ほめ上手への道② [モチベーション]


私が長年大好きなバンドにRed Hot Chili Peppersというバンドがあります。
レッチリの愛称で日本にもファンは多いので、ご存知の方も多いかと思われます。
先日、ギターのジョン・フリシアンテが自身のブログで脱退を表明したということです。
非常に悲しい事件です・・。以上、全くの余談です。

ほめ方については、本もたくさん出版されていますね。
色々な技術が公開されていますが、どれも似たり寄ったりの内容です。
もちろん、それらが間違っているわけではありません。
ほめるときに一番失敗しないためのコツは、「お世辞」にならないように気をつけることだと考えています。つまり、言葉だけではなくて、そこに真実味を乗せられるかどうかですね。
では真実味を乗せるために、どんな方法があるのでしょうか?
ほめ上手な人とほめ下手な人では少し方法が異なりますので、今日はほめ下手を自認している方向けの方法をご紹介させていただきます。

「ダイレクトにほめない」
これこそ、ほめ下手な人にとって、最も簡単で確実なほめ方テクニックです。
僕は、ほめ上手な方だと思いますが、すごく人見知りしやすいという欠点があります。
パーティとか宴会のような場で初対面の人と接するのが、とても苦手なのです。
普段、接しなれた部下や子供に対してはほめ言葉が自然に出てきますが、新しい環境などではしどろもどろになってしまい、そんな上手な言葉が出てきません。
まるで別人かと思ってしまうようです。
気をきかせた一言を言ったつもりが、相手にとって不快になるようなことを言ってしまったのでは?と後で反省したり、勇気を出して発言しても、相手の態度や反応が悪かったり・・。
(後で振り返ると、その場にいた一番意地悪な人に声をかけていたりするんです)
嫌な気持ちになるので、ひたすら黙って時間が過ぎるのを待っている感じです。
とにかく一定の条件下では、このようにコミュニケーション苦手人間となってしまいます。
コミュニケーションに苦手意識を感じている人はこういう気持ちなんだと思います。
僕は、一定の条件を満たすと、コミュニケーション能力が発揮されるのですが、このようにいつもというわけではありません。初対面などではその能力はあまり発揮されないのです。
そういうときに無理に相手のことをほめようとすると、「お世辞」になります。
言葉が空回りしているのを感じるので、そういう場ではいつものように人をほめられません。
そこで編み出した方法が、冒頭の「ダイレクトにほめない」方法なのです。
色々考えたのですが、要するに接近戦で戦うから上手くいかないのだと分かりました。
こういう場合は相手から離れた場所で、攻撃(実際には「ほめる」)しなければなりません。
遠隔戦です。
命中率は下がりますが、こちらは傷つきません。
接近戦は思い切りと勇気がいるので、コミュニケーションに自信のない人には向かないのです。
では、「ほめ言葉」を少し離れた場所から送る方法って何でしょう?
手間もかからず一番カンタンな方法は、「他人を使ってほめる」です。
本人には決してほめません。
本人に届くように願いつつ、他の誰かにそのメッセージを託すのです。
相手に届けば、これは必ず効果があります。
誰だって「○○さんが、(ほめ言葉)だって言ってたよ。」と言われて悪い気はしません。
まさか他人に向けて「お世辞」を言っているとも思わないでしょう。
ほめ言葉が他人を介することでぐっとリアルになります。
次の方法は、手紙かメールを送る方法です。
これは言わずもがなですね。
文章にすることで、ぐっと伝えやすくなります。
コツは、色々なことをほめるのではなくて、一点集中型で攻めてください。
重箱の隅をつつくように、同じ事をネチネチと怒る上司がいますが、同じやり方です。
同じ事を色々な角度から、ネチネチとほめる方が効果的です。
ちなみにそういう叱り方は最悪です。
遠隔攻撃第3弾は、「伝え方を変える」です。
いわゆるYOU(あなた)メッセージをI(私)メッセージに変えてしまうのです。
それはこういうことです。
例)
あなたはすごい→私はびっくりした
あなたの経験は面白い→私は(その話に)興味がある
あなたは綺麗だ→私はうらやましい
あなたは頑張った→私は嬉しい
あなたは素晴らしい→私は感動した
このように、自分の感情の動きを表現するのです。
この方法は、「ほめ言葉」をダイレクトに伝えているわけではないので、失敗が少ないです。

自分の感情を表す言葉はなるべくたくさん覚えておいた方がいいです。
こういうときに使える言葉をのせておきますので、今後の参考にしてください。

・愛する
・愛くるしい
・愛おしい
・癒される
・うかれる
・うらやむ
・嬉しい
・穏やか
・面白い
・かわいい
・感動する
・感激する
・感謝する
・気持ち良い
・綺麗
・興味がある
・興奮する
・さっぱりする
・寂しい
・せいせいする
・楽しい
・たまらない
・たのもしい
・頼る
・強い
・和む
・懐かしい
・のびのびする
・安らぐ

他にもたくさんありますが、きりがないのでこの辺で・・。
しかし、冒頭のニュースはショックだ・・(泣)。

ほめ上手への道① [モチベーション]


今日の内容は教育のみならず普段の人間関係でも使えます。
「ほめる」のは難しいです。
ほめ方を間違えると、人が嫌がる「お世辞」となってしまいます。
「お世辞」は大人も子供も嫌いです。

大人を上手にほめるのは簡単ではありませんが、子供をほめるのはそうでもありません。
子供によってかなり個人差があります。
あまりほめられたことのない子供は簡単です。
とりあえず、驚いた顔をして
「すごいね!」、「えらいね!」、「頑張ったね!」、「さすがだね!」
このような賞賛の言葉を並べてあげてください。
なるべく大きなリアクションでほめることが基本となります。
これだけでも充分効果はあります。
最初は下手で構わないのです。
ほめ上手になるためには、まずはほめてみることからはじめないといけませんから。
子供の反応はいまひとつかもしれません。
特に男の子の反応はかなり悪いと思います。
でも、めげずにほめ続けてください。
ほめることをやめてしまう大きな理由は、期待通りの反応が得られないからです。
反応が見られないからといって嫌がっているとは限りません。
ほめられない親や教師は「失格」だと自覚して頑張るべきところです。
最初は質よりも量を優先してとにかくたくさんのほめ言葉をかけてあげてください。
一日3回とか強制的に習慣づけるといいと思います。
そのように意識しながら生活すると、新しい習慣が身につきます。
子供の変化に敏感になるのです。
これは親子にとっても、とてもいいことですね。

大人相手の場合、ほめ下手からほめ上手になるコツは、最初からほめようとしないことです。
相手の変化に注意を払うことにだけ力を注ぐのです。
そして、「髪切りましたね」、「仕事早いですね」、「楽しそうですね」
このようにつぶやくだけでいいです。
まずはこの「つぶやき」を増やしてください。
子供相手のように大げさにやらないということです。
無理にほめようとすると「お世辞」になります。
気をつけてください。
ここまでが第一段階です。

さて、そのようにしてしばらく経つと子供に変化が訪れます。
ほめられ慣れしてくるのです。
ありきたりの言葉や表現では、「お世辞」と受け取られてしまうようになります。
大人と一緒です。
先に述べたようなほめ方をされて喜ぶのは、余程無邪気な人だけでしょう。
何か「裏」があるのではないかと感じて、逆に嫌な気持ちとなります。
そこで第二段階に入ります。
ここでは、少しテクニックを使います。
もちろん相手に対しての心からの賞賛の気持ちが大前提です。
そんな気持ちは持てないと言われてしまいそうですが、そんなことはありません。
第一段階をまじめに行なっていれば、ほめている本人に変化が訪れています。
パブロフの犬状態で、本当に相手の変化が嬉しくなっているのです。
これが人間の不思議な点です。
「思考が習慣を作る」のではなくて、「習慣が思考を作る」のです。
「ほめる」ことを強引に習慣付けることによって、相手の変化を心から喜べるようになります。
だから、ここでテクニックを使うのは悪いことではありません。

心からの賞賛であれば、本当は誰でも嬉しいはずです。
でも、なぜそれだけでは伝わらなくなってしまうのでしょう?
子供の場合、第一段階を経験しているからです。
最初はかたちから入りました。
ほめ言葉の送り手からすれば、かたちだけのほめ言葉が心からの賞賛に変化していっているはずですが、子供にそれは分かりません。
大人相手の場合も同じ理由です。
これまでの人生であまりにもたくさんの「お世辞」にさらされてきているために、単純なやり方では相手に伝わらないのです。
自分を操作しようとしているのではないか?という防衛心理が働いてしまいます。
そのため「ほめ方のテクニック」が必要になるのです。
テクニックと言っても、難しいことはありません。
注意点はたった一つ。
それは「真実味を持たせること」です。
ほめ言葉に真実味を持たせるための技術を次回紹介させていただきます。

ほめればほめるほど良い [モチベーション]


子供のモチベーションを上げるためには、ほめて伸ばすことが不可欠です。
これに異論を唱える方は少ないと思いますが、もしそれは間違いだとおっしゃられる親や教育者がいれば、
その時点で子供を教育する資格はないと言わざるを得ません。
なぜなら、他人が人に継続してやる気を与える唯一の方法が「ほめる」ことだからです。
「叱る」ことでやる気になることもあります。
しかし、叱るばかりでは「やる気」は継続しません。
逆に「ほめる」ばかりなら、やる気は持続します。
「ほめる」は与えれば与えるほどいいのです。
この当たりで反論も出てくるでしょう。
その理由からお話を進めていきたいと思います。

プライドの高い男性にありがちなのですが、よくこういうことを言う人がいます。
「俺がほめるときはよっぽどの場合だけだ」
これは親や教育者としてはあってはならない態度です。
小さな変化に気付けるようにしなければなりません。
子供にそのように言って、「ほめる」ための伏線を張っているのであればOKですが、親や教育者は常日頃から
ほめる要素を探し続けなければなりません。
「ほめる」が多い親ほどいい親です。
それなのになぜこういうことを言うと、反論する方がいるのでしょうか?
理由はたった一つです。

多くの人が、「ほめる」と「お世辞」を混同しているからです。

誰だって「お世辞」は嫌いです。
見え透いた社交辞令のような褒め言葉なら、誰も聞きたくありません。
「ほめる」とは相手を心から賞賛し認めることです。
「お世辞」は社交辞令や自分の都合の良いように相手を動かそうとする言葉です。
ほめてほめて勉強をやる気にさせるのは実は難しいです。
ほめる習慣のなかった人が、ほめはじめるのと比較的簡単に効果が出ますが、次第に子供はその状態に慣れてくるようになります。
「その手には乗らないよ」ってなもんです。

ほめることに耐性が出来てくると、同じ言葉でも動かなくなってしまいます。
結局、ほめても無駄だ・・となってしまうのです。
「お世辞」のように言葉が形式化してしまうのですね。

では、どのようにほめるのがいいのでしょうか?
次回、お話させていただきたいと思います。



集中力をつける方法 [モチベーション]


「うちの子供には集中力がなくて・・・」

よく聞く悩みです。
子供の学習について悩む多くの保護者に共通する悩みと言えるでしょう。
今日は集中力を高めるための極めて簡単な方法をご紹介させていただきます。
集中力を高めるためのキーワードは3つあります。
それは、

・「体力」
・「興味」
・「時間」

この3つです。
ここから考えていくようにします。
まず、どうにもならない問題。
「体力」が足りていない場合です。
自分の時間(テレビやゲームなど)を楽しんでいる様子が全くない場合は、これに該当するかもしれません。
やらなくてはならないことに精一杯で自分のことを考える余裕が全くない状況です。
小中高の1年生の初期は仕方のないことかもしれません。
体が慣れるまで優しく見守ってあげるようにします。
学校生活に、体力がいつまでも慣れない生徒もいます。
超体育会系の部活動に所属している子供です。
そんなウルトラハードな部活に所属してしまった場合は・・
部活動に任せてある程度はほうっておいて構いません。
それほどハードな練習を続けられるということは、充実しているということですよね?
部活中は集中していることと思います。
集中力は鍛えられているので、そちらにお任せしてしまいます。
こうした子供は瞬発力があるので、テスト前と受験前の1年で勝負をかけます。
体力と集中力には相関関係があるので、本人にとってはいい訓練となっているはずです。
必要最低限の学習は必要ですが、これは別の話なので、過去の記事を参考にしてください。
しかし、僕の見るところここまで厳しい環境を強いる部活動は稀です。
具体的に言えば、都道府県の大会でベスト3に入るくらいのレベルでなければ(マイナーなものは除く)、ここまでの練習は課していないと思います。
「疲れた」、「疲れた」と言いながらも、多くの子供は余力を残しています。
親から見てムダな時間が多いと感じるのであれば、体力的には問題ないといえるでしょう。
冒頭の言葉を言う保護者の方も大半はここに属しておられます。
よって、ほとんどの場合、集中力のない原因は別のところにあると考えられます。
僕の経験上、集中力がない子供のダントツのトップ理由は、

「勉強がわからない」

でした。
人間、わからないことには興味を持てません。
興味の持てないことに取り組んでいるから、いつまでも集中力がつかないのです。
そこで、集中力を高めるための学習法を公開させていただきます。
コツは二つです。

「勉強ではなく作業を」
「時間を計測する」

集中力をつけるには、考えなくていいような勉強からはじめると良いです。
頭ではなく、体を使って行なうイメージの勉強だから作業としました。
難しいことを考えなくて済む勉強を優先するのです。
具体的には漢字や英語の書き取り、英文や国語の教科書の音読、計算などですね。
仕事でもそうだが、簡単な作業には飽きがきます。
そこで二つ目のポイントです。
それらの全てを時間計測しながら行なうのです。
1桁同士の足し算などは、単純極まりないので、そのままでは面白くないが、「100マス計算」のようにゲーム性を持たせて時間を計測すると急に面白くなります。
解けるか解けないか?ではなくて、何分で解けたか?という点に関心のポイントをずらすのです。
何時までにここまでをやると決めて取り組ませるのがいいと思います。
チャレンジ意欲を刺激すると、大きな目標を立てがちだが、それはいけません。
簡単な目標から少しずつ達成させていくようにします。
最長でも1時間半後くらいに終えられる作業がいいでしょう。
(単純作業に休憩をはさまず、1時間半以上続けるのは難しいため)
そうした点がこの勉強法のポイントです。

「体力」→「興味」→「時間」。
子供の集中力に不安を感じたら、まずはここから疑うようにしてみてください。


モチベーションが続く理由 [モチベーション]

10月5日

こんにちは。
五教科の簡単な解説も一通り終わったところで、さて何を書こうかと途方に暮れてしまいましたが、ネタはまだまだありますので、思いついたところから書いていきます。

今日はモチベーションの仕組みについて考えてみたいと思います。
モチベーション。
やる気の源泉は何かと言えば、感情です。
勉強に対してのやる気だけではなくて、誰かを好きになるのも感情です。
何かを欲しくなるのも感情です。要するに「感情」の働きが僕たちを突き動かします。
あんなに好きだった相手に対して何も思わなくなってしまう・・こうしたことってありますよね?
同じように、どれほどやる気になっても3日間くらいで冷めてしまう・・こうしたことも多いです。
でも、こうした心の動きは「感情のメカニズム」から言えば、当然の結果なのです。
感情には波があるからです。
「やる気」だけに頼った勉強は決して長続きしません。
僕の場合、職業柄、生徒をやる気にさせるのは得意ですが、それだけでは、3日後に迫ったテストになら効果を上げることが出来ても、1年後の受験には効果を上げることは出来ません。
塾長としては、感情を上手く刺激してモチベーションを上げることは必要ですが、そこから先の一工夫がなければダメなのです。
では、別の問題で考えて見ましょう。
どうすれば恋人同士の愛情が冷めないのか?です。
付き合った当初の二人はラブラブです。
お互いの感情が高まっているので、そのままでOKなんですが、感情なのでそのままにしていればいつかは冷めます。これは絶対にそうなっていると考えるのがコツです。
なんか不条理ですが、こうならないと困る面もあります。
例えば、親しい人の死。「悲しい」という感情がいつまでも残れば生きていられません。
自分にとって有益な感情は長く持続させたいのですが、そのための方法が、すぐにその「感情」を行動に変えることなのです。行動に変えることによってしか「感情」は持続されません。
恋人同士であれば、誕生日や記念日をいつまでも祝福し合う。
毎日お互いを褒めあう。こうした行動が「感情」を維持させるのです。
逆に言えば、失恋してつらければ何にもしないことです。
ストーカーなんてしてしまうと、「感情」はいつまでも長引き、解消されない分、自己肥大していきます。
結果的に異常な行動を取ってしまう方もいますが、それは小さな行動の積み重ねの結果なんですね。

さて、「勉強」。
テストで良い点を取った、先生にほめられた、学校説明会にいった・・
モチベーションが上がるきっかけはたくさんあると思いますが、その感情を冷まさないためのコツは、その感情をすぐに何らかの行動に変えることです。やる気だけの勉強は長く続きません。
最新の脳科学によると、脳が行動を命令しているのではなく、体が脳にどんな行動を取るのかの命令をしているということが分かってきているそうです。

「やる気+行動」
とにかく少しでもいいので、習慣や行動に変えること。
それが出来るのは、モチベーションが上がったときだけです。
それを忘れずに意識付けさせるようにさせてください。


外発的動機付け [モチベーション]

10月2日

9月28日のブログで子供のモチベーション管理についてお話しました。
今日は少し学問的な内容になるので、小難しい話が嫌いな方は読み飛ばしてください。

動機付けには二つあり、そのうち外からの刺激によって与えられる動機付けを「外発的動機付け」と呼ぶというお話をしました。子供へのテスト報酬しかり、会社でのインセンティブしかりです。
子供に対して「外発的動機付け」は望ましくないので、「テストで満点が取れたら2000円」のようなことはするべきではないということを心理学者デシのお話を引用しながら説明させていただいたわけです。
この点についてもう少しお話を進めた方がよいと判断したので、その内容をもう少し補足したいと思います。

おもしろがってやっていた行為が、何かの報酬をもらうための手段だとみなされてしまうと、もともともっていた内発的な興味が失われてしまう」ということをデシは「アンダーマイニング効果」(減退効果)と名づけました。
「アンダーマイニング効果」を引き起こさないために、もともと興味を持って行っている行為に対して「外発的な動機付け」は行うべきではないというのがデシの観察ですが、デシはこういうことも言っているのです。
「外発的動機付け」が必ずしもダメなわけではないと。
「・・・?」
ですよね。
では、どういう場合において、「外発的動機付け」が有効なのでしょうか?
デシは最初からの「内発的な動機付け」が全く見られない場合と言っています。
つまり、「外発的動機付け」における問題点は「内発的動機」を弱めてしまうことであり、そもそも初めから「内発的な動機」が存在しなければ、「外発的な動機」から入るのも悪くないという意見。
なぜなら、外発的な動機は注入の段階、同一化の段階を経て、内発の段階へと進むことがあるからです。
その内面のプロセスを支えていくことが重要な役割であるとも言っています。
デシの主張をすごく簡単に言ってしまえば、
「勉強に関しての興味や関心が全くないんだったら、お金で釣るのもアリだよ。」
「でも、それは最初だけだよ。」
「勉強を学ぶ純粋な喜びにつながるまではフォローは忘れずにね。」
ということを言っているわけです。

僕の観察では家庭でこれを行うのは、現実的には難しいのではないかと考えています。
どこが難しいのかというと、「継続的なフォロー」です。
そもそもお金で子供のやる気を引き出そうという考え自体、短絡的だと言えるでしょう。
そうした短絡的な行動を考える人が、この「継続的なフォロー」といった面倒なプロセスを行えると思えないのです。これが出来るくらいの人であれば、そもそも子供の勉強に対しての興味や関心が全くゼロという状態にはならないと考えています。
わからなくなってきた・・という理由で興味関心がゼロに見える子供は確かに多いですが、ほとんどの子供は「わかる」ようになれば興味や関心を取り戻します。
重要なのでもう一度言います。
子供は勉強がわからないから興味関心がゼロに見えるのです。
ですので、まず重要なのは「わかる」ようにさせることです。
「わかる」ようにさせてみても、興味や関心ゼロというのであれば、策を考えなければなりません。
しかし、「わかる」状態であれば、テストの点数はいいので、報酬による動機付けは不要ですよね?

僕は基本的にYES、NOを明確にします。
読者が混乱しないためにです。

曖昧な部分にメスを入れるとどうしても議論が難しくなるので、なるべく避けていますが、今回は少し突っ込んだお話でした。最後にもう一度まとめます。

お金やモノを与えてやる気にさせるのなら、バカにでも出来ます。
そうでないところから「やる気」を引き出すのが、いい親だと言えるでしょう。


勉強の動機付け [モチベーション]

9月28日

こんにちは。

例えば、
「次のテストで80点を超えたら、お小遣2000円!」
こういうことをする親は多いと思います。
結論から言えば、これはダメなやり方です。
今日はそんな内容についてお話をしてみたいと思います。

こういう動機付けを専門的な用語で「外発的動機付け」と言います。それに対して勉強に対しての純粋な好奇心による動機付けを「内発的動機付け」と言います。
「外発的動機付け」は「内発的動機付け」よりも弱いんです。
これを証明するために心理学者デシという人の実験を紹介したいと思います。
デシは実験室に大学生を一人だけ入れて、パズルを解かせるという実験を行いました。パズルは学生にとって充分に面白いもので、制限時間13分のパズルを4セッション行うというものです。
実験者は実験の準備のためと称して、真ん中に8分の時間を取り、その部屋には灰皿や最近の雑誌が置かれていました。実験者にとって興味があるのは、この8分間の被験者の行動です。
そして一部の学生には真ん中の休憩時間前に、解いたパズルに対しての報酬を支払いました。
そうすると、なんとこの学生たちは無報酬のまま実験をしていた学生と比べて、自由時間にパズルを解いていた時間が短くなったのです。
この実験は他のパターンでも繰返されましたが、結果は同じであり、金銭的報酬をもらうと、本来面白いはずのパズルであっても、自由時間に休憩するようになるという知見が発表されました。
またこういう話もあります。
第一次世界大戦の頃、ユダヤ人排斥の空気が強い米国南部の小さな町で、一人のユダヤ人が目抜き通りに小さな洋服の仕立て屋を開きました。
すると、嫌がらせをするためにボロをまとった少年が店先で「ユダヤ人!ユダヤ人!」と彼をなじるようになったのです。困った彼は一計を案じて、子供たちに「私をユダヤ人と呼ぶ少年には10セントを与えよう」と言いました。
戦利品に大喜びをした子供は次の日もやって来て、「ユダヤ人!ユダヤ人!」と叫び始めたので、彼は「今日は5セントしか与えられない」と言いました。次の日にも子供たちがやってきて、同様にやじったので、「これが精一杯だ」と言って今度は1セントを渡すと、少年たちは2日前の十分の一であることに文句をいい、「それじゃぁ、あんまりだ」と言ってもう二度とこなくなったそうです。

「外発的動機付け」は確かに一時的なカンフル剤にはなります。
しかし、困ったことに「外発的動機付け」には「内発的動機付け」を弱めてしまう特徴があります。
先の実験のように「もともとそこにあったモチベーション」を弱めてしまうのです。
また、「外発的動機付け」には慣れという問題も加わります。
テストのたびに報酬を与えていれば、子供が次に言うのは、「もっとちょうだい」です。
そのたびに報酬を上げ続けていけば、モチベーションは維持出来るかもしれませんが、そんなことは現実的には不可能です。いつまでも親の下で勉強しているわけではないのですから。

「勉強」に対してのモチベーションはあくまでも「勉強の内容」から引き出すのが基本です。
「勉強」を面白く感じさせるのは先生の役割ですが、いい先生に出会えなければ親がするしか仕方ありません。
残念ながら、勉強を「面白い」と思わせる程の先生の存在の方が稀なのですから、基本的には親の役割ともいえるでしょう。ではどうすればいいのか?
それは親が教育リテラシーを身につけるしか仕方ありません。
誰かのせいにしても仕方ないのです。

でも、それはそんなに難しいことではありません。
せいぜいこのブログに書いてあることくらいです。

お金やモノを与えてやる気にさせるのなら、バカにでも出来ます。
そうでないところから「やる気」を引き出すのが、いい親だと言えるでしょう。

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