「素直さ」は簡単には身につきません [教育全般]


社会的に成功するために「素直さ」は欠かせない要素です。
成長するために最も重要な資質と言っても過言ではありません。
ただ、この「素直さ」というのが、なかなか難しい。
本当の意味で「素直な人」には、あまりお目にかかることがありません。
(「従順」な人はたくさんいます)
今回、書くように「素直さ」というのは、簡単に身につく資質ではないからです。
自分自身、振り返ってみてもまだまだ出来てないです。
そして、これが肝心な点なのですが、
「素直さ」は後天的に努力して得られる資質であり、先天的な要素ではありません。
では、どのようにして得られる資質なのか?
それを確認していきたいと思います。

私が思う「素直さ」は、次の3つの要素によって成り立っています。

①自分自身を客観視できる
②異なる意見や考え方を受け入れられる勇気がある
③心の余裕がある

簡単な例え話から始めましょう。
付き合って3年目のカップルの会話です。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
B君  「えぇ~そんな事ないよ。嵐の○○も似たようなの着てるじゃん。」
Aさん 「全然違うって!だいたい顔も違うんだから、一緒にしないで!」
B君  「・・・・もういいよ。お前と遊ぶ日は着てこないから。」

ずいぶんと厳しい彼女ですが、ここでは仮にAさんが絶対的に正しいと仮定します。
素直に彼女の意見を受け入れた方がお互いにメリットのある場面です。
ここで、B君が素直であるためには心の中の3つの関門を越えなければなりません。
まず、一つ目は①の自分自身を客観視できる視点。
素直であるために、最も重要な事です。
この会話の場合、自分自身の立ち位置を客観的な視点から眺める事が出来なければ、B君はAさんの言っていることの正しさを知ることすら出来ません。
人間の最たる思い込みは、「自分が正しい」です。
余程、気をつけなければ、この考えは留まることを知りません。
極端な例ですが、一説には殺人犯のほとんどは、殺人を犯した時点では自分が悪いとは思っていないそうです。
彼らいわく、
「自分と同じ境遇で育てば、誰でもそうなった」
「あいつは殺されて当然の人間だ」
「俺の気持ちは俺にしかわからない」
「殺さなければ、俺が殺されていた」
・・・・
つまり、行くところまでいけば、「自分が正しい」という思い込みは殺人という犯罪行為までも正当化する力があるのですね。
「自分が正しい」のかそうでないのか?
これは、客観的に自分自身を見ることの出来る人だけが判断できることです。
先の例で言えば、B君は自分のセンスの悪さを疑う正しい目を持っている必要があるわけです。
ところで、どうすれば「自分が正しい」という思い込みを捨てられるのでしょうか?
どのようにすれば、客観的に自分を見る目を養えるのでしょうか?
それが出来るための日常の3つの習慣を、セミナーなどで私は提案しています。
第一の習慣は、「人や環境のせいにしない」です。
人のせいにするという事は、自分は変わらないという宣言に等しいです。
「生まれ育った時代が悪い」
「商品が売れないのは、会社が悪い。」
「先生が何も言ってくれなかったから、願書の提出期限を過ぎてしまった」
こう考えた瞬間、思考停止してしまい、自分を疑う視点を失ってしまいます。
第二の習慣は、「そういう事もあるかな?と常に自分を疑う姿勢」です。
人からの提案を聞きにくいのは、誰でも一緒です。
聞きたくないがために、最初から意見を否定する習慣のある人も少なくありません。
こういう人にとって大切なのは、人から何か提案を受けたときに「そういう事もあるかな?」と一旦自分自身に問いかける習慣です。
聞き入れたくない意見を聞いたときに、自分の中でワンクッション入れてから返事をする習慣付けですね。
これだけで、主観ではなく、客観的な視野から物事を考えるようになります。
第三の習慣は、「ルールをきちんと守る」ことです。
窃盗や殺人など凶悪な犯罪に限りません。
法というのは、建前上、最大多数の合意によって成立する決まり事です。
どんなに理不尽なように見えても、そのように決まるまでには、それなりの合理的理由が存在します。
言うなれば、「こうあるべき」という模範を最も厳格なかたちで縛ったものが法律に他なりません。
もっとゆるい存在として、スポーツや地域社会、会社などの規則もあります。
とにかく、
こうしたルールを大なり小なり自分に都合の良いように解釈して、決まり事を守らない人がいます。
「ドイツの高速道路は何キロで走っても良い(だから今、130キロくらい出しても問題ない)」
「(コンビニにて)燃えるゴミのゴミ箱が溢れているから、ペットボトル用のゴミ箱に捨てておこう」
「一枚だけだから、会社のコピー機を私用に使おう」
恥ずかしながら、どれも自分自身の過去の体験です。
けれど、似たような事は誰にでもありませんか?
どれもこれも、勝手な解釈で自分自身を正当化しています。
ルールを守るということは、規範に自分自身を合わせていくこと。
つまり、自分自身の中に客観的な基準を設けるということなのです。

長くなったので、少し話をまとめましょう。
素直であるための3つのポイントが、
①自分自身を客観視できる
②異なる意見や考え方を受け入れられる勇気
③心の余裕がある
この3つです。
最も重要なのが、①自分自身を客観視できる ことで、
そうなるための日常の習慣が
・人や環境のせいにしないこと
・人からの提案があったときは「そういう事もあるかな?」といったん自分を疑うこと
・ルールや決まり事を守ること
となります。
素直であるための、残り二つの条件、
②異なる意見や考え方を受け入れられる勇気
③心の余裕がある
についてはこれから解説していきます。

自分を客観視することさえ出来れば、残り二つはそれほど難しくありません。
ここで再びAさんとB君の会話を見てみましょう。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
B君  「えぇ~そんな事ないよ。嵐の○○も似たようなの着てるじゃん。」
Aさん 「全然違うって!だいたい顔も違うんだから、一緒にしないで!」
B君  「・・・・もういいよ。お前と遊ぶ日は着てこないから。」

B君は、自分を客観視することが出来ていないので、Aさんの意見を受け入れることは出来ませんでした。
しかし、上に書いてきたような思考習慣を取り入れたとしましょう。
このケースで必要なのは、いったん自分を疑ってみる姿勢です。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
(えっ!? 俺の感覚が何かずれていたかな?)→そういうこともあるかな?とワンクッション
B君  「どういうところが変か教えて?」
Aさん 「何か上手く言えないけど、とにかく変。私の友達からの評判も悪いよ。」
B君  「・・・・・・・」

さて、ここでB君は何と答えるでしょうか?
B君が本当に自分を客観視できるなら、この時点で何か気付くかもしれません。
例えばこんな具合に・・
(友達の彼氏の服装について指摘するなんて余程ひどいと感じたんだろうな)
(たしかにこの服を着ていて誰かにほめられたことはない)
などなど
ここで、B君の反応が試されています。
②の異なる意見や考え方を受け入れられる勇気がなければ、B君の反応は以下のようになるでしょう。

B君  「うるさいな!ほうっておいてよ。」

自分の間違いに気付いたとしても、それを認めるためには勇気が要ります。
なぜ勇気が必要なのかと言えば、間違いを認めるということは、イコール自分が変わらなければならないことを意味するからです。
人は成長したいと願うと同時に、今のままの自分でありたいという気持ちを持っています。
この気持ちの強さには個人差がありますが、一般的に頑固と言われる人ほど強くそう思っています。
昨日と違う自分になるのは、怖いんです。
頑固な人は、精神的に怖がりな人と言えるでしょう。
それを無理やり他人に変えられることは多くの場合、本人にとって認められないことです。
だから、B君は怒るんです。
これは別に悪いことではなくて、人として普通の反応です。
しかし、この人として普通の反応が成長の阻害要因となっています。
なぜなら、成長とは変化することだからです。
「素直」になるためには、この怖さに打ち勝つ勇気が必要です。
自分自身を客観視することが出来て、間違いに気付けたのなら、次に必要なのは変わる勇気です。
それがあれば、B君は次のように返答することが出来るでしょう。

Aさん 「○○(彼氏の名前)、前から思っていたんだけど、その服変だよ。」
(えっ!? 俺の感覚が何かずれていたかな?)→そういうこともあるかな?とワンクッション
B君  「どういうところが変か教えて?」
Aさん 「何か上手く言えないけど、とにかく変。私の友達からの評判も悪いよ。」
B君  「じゃあさ。どういう服装なら似合うと思う?」

皮肉たっぷりの返答ではいけませんが、本気でこのようにたずねられたら、彼女もきちんと教えてくれることでしょう。
このようにして、意見を素直に聞ける人を、人は好意的に見るものですし、また何か教えてあげようという気持ちにもなります。
逆に人の意見を聞けない人に対して、何か言おうとは次第に思わなくなります。
誰だって衝突するのは面倒なのです。

それでは、この「勇気」はどのようにすれば身につくのでしょうか?
色々あるのでしょうが、ここでは簡単な習慣を一つご紹介させていただきます。
それは、
「これまでと違うことに毎日少しずつでもチャレンジしてみる」です。
例えば、
「昨日と違う道で仕事に行く」
「これまで行ったことのない場所に旅行に行ってみる」
「読んだことのないジャンルの小説を読んでみる」
「食べたことのないものを食べる」
などなど・・
何でも良いのです。
私の例でお話させていただくと、過去に車の名義変更を自分で行ったことがあります。
きちんと調べて手間を惜しまなければ誰でも出来る簡単な手続きです。
しかし、この簡単なことでも、チャレンジするのにはちょっとした勇気が必要でした。
「自分で出来るのかな?もし失敗してたらどうしよう?」という不安があるんですね。
でも、こうした不安を乗り越えてそれが自分の手で出来たときには何とも言えない達成感がありました。
ほんとちょっとしたことなんですけどね。
チャレンジとは何も人生の大決断のようなものだけを指すわけではありません。
ほとんどノーリスクで出来るそうしたちょっとしたものも充分チャレンジと言えるんです。
それを繰り返して、変化に対する耐性を身につけておくのが大切だと言う事です。

人の意見を聞けない人とは、これまでの内容をまとめるなら、
①自分自身を客観視出来なくて、
②変わる勇気を持てない(≒自分に自信がない)
人です。
自分に自信がある人ほど頑固なイメージですが、実は逆なんですね。
子供や老人は一般的に頑固ですが、これは肉体的・精神的な弱者だからこそ自分に自信を持てず、(自信がないから)変化することに対しての恐れが強いのだと私は考えています。

さて、このように人からの意見を素直に聞けるためには、自分を客観視出来て、異なる意見や考え方を受け入れられる勇気が必要なのですが、最後にもう一つ。
「心の余裕」
これがなければ、とても無理です。
つまり、素直な自分でいるためには精神的な余裕が必要だという事です。
普段は人の意見を聞ける人でも、時と場合によってはそれが出来なくなることもあるでしょう。
毎日の精神状態にも左右されるというのが、難しいところです。

今日の内容をまとめます。
「素直さ」というのは、3つの要素によって成り立っています。
一つ目が、自分自身を客観的に見ることの出来る視点です。
人間の思考は、常日頃からの心がけがなければ固定観念の塊のようになってしまいます。
(この「心がけ」については3つ紹介させていただきました)
思考をなるべく柔軟に保つように努力し、主観的かつ客観的に物事を見ることのできる視野を持たなければなりません。
二つ目が、異なる意見や考え方を受け入れる勇気を持つことです。
成長するとは変化すること。
昨日と違う自分になることを恐れない勇気がなければ、素直にはなれません。
三つ目が、心の余裕があることです。
こればかりは流動的な要素です。
日々精神的な安定が保たれていなければ、「素直」であり続けることは出来ません。
いつも「素直」な人は心の健康が維持されている人なのです。

ところで・・・
社会的に成功するために「素直さ」は絶対に必要なことですが、「素直さ」を「従順」と誤解している人がたくさんいます。
ここで述べた「素直さ」と「従順」とは全く違う意味です。
今回は少し長くなりましたので、それについてはまた次回書いていきます。


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