バイアスのかかった情報に注意 [東北太平洋沖地震]


こんにちは。
昨日、被災地近辺にお住まいの方から、私宛にメッセージが届きました。
二日前に原発事故による影響として、今後心配していかなくてはならない点として、私は、

①放射能による直接的被害
②風評による経済的損失
③今後のエネルギー問題

の3つですと書きましたが、原発周辺に住んでおられる方の心理的ストレスも含まれるのではないかというご意見でした。
その通りだと思います。
放射能による間接的被害とも言えますね。
ですので、その点のみ19日のブログを修正させていただきました。
特にお子様をお持ちの方の心理的ストレスはかなりのものがあるように思われます。
いくら大丈夫と言われても、心で納得出来るものではないでしょう。
一日も早く放射線の測定値が通常の値に戻る日が来ることを祈っています。

再三、申し上げてきたように私は放射能の専門家ではありません。
このブログでは、放射線や放射能に関する記事をわかりやすく噛み砕いて、説明しようとしてきたに過ぎません。
その理由として、わかりにくい記事が多く、情報が整理されていないように感じていたからです。
情報をわかりやすく人に伝えるためには、それなりの知識と情報伝達能力が必要です。
平常時のニュース番組などは、わかりやすく人に伝えるためにかなりの工夫がされています。
ところが今回の事件は緊急を要する報道がほとんどであったため、わかりやすく整理される前に情報ばかりが先に配信されてしまったんですね。
原発や放射能について知識のある人はいましたし、情報伝達能力のある人もいたのですが、両方を兼ね備えている人がいなかった。
中途半端な情報、あるいはわかりにくい解説ばかりが整理されていない状態で、多くの国民に伝わる結果となりました。
自分なりに情報を集め、それを理解し、私たちは大丈夫と判断出来た人は比較的落ち着いていたように思いますが、多くの人たちが情報に振り回される結果となりました。
とは言っても、低レベルの放射線や、「内部被曝」が身体に及ぼす影響については確実なことはわかっていないわけですから、いくら調べても正しい情報を得ることは出来ません。
そのブラックボックスな部分についてどう判断するかは各人の自由です。
私の場合、「外部被曝」については自然被曝などの数値との比較から、「内部被曝」についてはチェルノブイリの事例から、気にするほどではない数値だなと判断してきたわけです。
事件から日数が経ち、最近はわかりやすい記事やニュースが増えてきたように感じています。
こうなればこのブログで放射能関連の記事をとりあげる意義はなくなります。
専門家の意見がわかりやすく解説されている新聞記事やニュース解説を参考にしてください。

今後、注意していただきたい点が一つあります。
情報を伝達する媒体が人である以上、バイアスというものがかかります。
バイアスとは先入観や偏見のことです。
人が介した情報で、バイアスが全くゼロのものというのは考えられません。
(※ゼロに近いほど質の高い情報と言えます)
放射能問題に関しては、そのバイアスが極端な方向に触れている人が多く存在します。
わかりやすく言えば、ものすごい反対論者と、ものすごい推進論者がいるということです。
反対論者の側から出される情報は、もちろん否定的なものになります。
推進論者の側から出される情報は、もちろん肯定的なものになります。
これが情報にバイアスがかかるということです。
繰り返しになりますが、放射能の身体への影響は細かいところでは未だによくわかっていません。
つまり、ブラックボックスです。
わかっていない部分をどのように解釈するかは人によってかなり異なります。
反対論者は自分に都合のよいように解釈することでしょう。
つまり、最大限恐ろしいものとして人に伝えようとするのです。
逆もまたしかりですね。
推進論者は都合の悪い情報は隠そうとし、怖くない怖くないと人を納得させようとします。
どちらの情報も偏ったものとなりますので、あまり当てにはなりません。
ですから、事故の当事者の見解はあまり聞かないようにするのが無難でしょう。
普段から原発反対運動をしているような人の情報もまたしかりです。
バイアスがかかった情報は、正しい判断を狂わせますからね。
ところで、このバイアスというものは非常に厄介で、原発の利害関係者でない個人個人からの情報にも強くかかっています。
それがどのように働くのか?
人間の思考のメカニズムとして、人は自分にとって都合の良い情報が目につき、耳に入るように出来ています。
こういう事件があると、人間の思考はプラス側かマイナス側のどちらかに必ず振れます。
ニュートラルが望ましいですが、全くどちら側にも動かない人というのはいません。
人間には感情があるので、仕方のないことなのです。
どちらがいい悪いではなくて、情報を楽観的に捉えがちな人と、悲観的に捉えがちな人がいるという意味で捉えてください。
そして、ここからが問題です。
楽観的な方向に偏っている人にはいいニュースばかりが入ってきます。
その逆、悲観的な方向に偏っている人には悪いニュースばかりが入ってきます。
そして、そのニュースを自分なりの楽観論・悲観論で解釈し、人に伝えようとします。
それだけならいいのですが、極端にどちらかの方向に振れてしまっている人は、その逆の意見を認めることが出来ません。
そうした意見や情報にむしろ、怒りすら覚えるのです。
私のブログでは今のところそうしたことは起こっていませんが、Yahoo掲示板などを見ると、ああでもないこうでもないという感情的な意見の対立を結構目にします。
私は楽観主義者なので、今回の放射能のニュースも東京にいる限りは大丈夫という姿勢を崩していません。
そういう意味ではバイアスのかかっていない情報ではなく、楽観的な方向にバイアスのかかった記事ということが出来ます。
多分、多くの楽観主義者の支持は集めるでしょうが、悲観的な人たちの支持は集めないでしょう。
そうした方は、私のブログを読んだ後も、深刻な放射能被害について書かれた記事を探すために、そうした情報が書かれた記事を検索されていることと思います。
先に書いたように、人は自分にとって都合の良い情報しか信じないわけですから、人の感情の動きとして当然のことです。
ただ、これはあまりいいことではありません。
理想的なのは、どちらかになるべく偏ることなく、情報は情報としてニュートラルな立ち位置で向かい合えるようになることです。
危機に対して、楽観的過ぎるのも、悲観的過ぎるのも好ましいことではありません。
その危機に見合った分の危機感を持っているというのが理想的です。
もっともバイアスがかかっていない情報源は数字です。
数字には感情がありませんから、それ単体では全くバイアスがかかりません。
(※数字が作為的に操作されている場合は別です)
何かを正確に判断したいと思えば、数字によって理解するしか仕方がないのです。
これまで述べてきたように、この放射能の問題については、専門家・一般人、その両方から極端なバイアスのかかった情報が多く発信されるようになるものと予想されます。
自分の身を自分で守るためには、なるべく正しい情報認識が大切です。
そのためにも人の意見を鵜呑みにするのではなく(もちろんこのブログも含めて)、面倒がらずにたくさんの数字を集め、この問題とどのように向き合っていくべきかを考えていくようにしてください。

このブログは学習することの意義を説明するためのブログですが、今ほどその重要性を現実の問題と当てはめて説明しやすいときはありません。
理科の知識がなければ、ウラン核分裂反応などと言われても全く理解できないでしょう。
数学で数多くの問題に慣れ親しんでいなければ、数字に対する粘り強さがなく、統計値などを見ていても途中で疲れてしまい、思考停止してしまうことでしょう。
国語の読解力がなければ、書いてあることを読み取れません。自分にとって都合の良い言葉(プラスorマイナス)ばかりが目にはいって偏った理解となってしまうでしょう。
社会が得意な方なら、自分なりの結論が得られるまで、過去の事例などを調査されるでしょう。
英語力があれば、海外サイトなどを使ってより多くの情報を集めることができます。
今回の事件を機に、勉強って大切なんだな・・とより多くの人に認識してもらうことが出来ればいいなと私は考えています。

「本質」の反対語は? [論理的思考能力]


こんばんは。
色々と問題を抱えながらも、被災地は復興に向けて少しずつ歩み始めているようです。
みなさんは今朝のYahooのトップページで表示されていた写真を見られましたか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110322-00000007-maip-soci.view-000

悲しいニュースを耳にする一方で、こうした子供の笑顔や明るい記事に励まされることも多いです。
本当に地震があったことなんて嘘みたいに思えてしまう写真ですね。
健やかに育っていただきたいなと思います。
使い古された表現ですが、最悪のときが過ぎれば、あとは良くなっていくだけです。
人間の幸福感は、現在ではなく、過去との比較、周囲との比較の中で実感されていくものです。
被災地の方々が一歩ずつ良い方向へと進んでいかれ、幸福感の感じることの出来る日々が一日でも早く来るようにお祈りしています。

さて、本日は久しぶりの通常記事です。
今回の記事を境に、更新頻度も従来の週一回程度に戻すつもりです。
ここ数日間、頻繁にブログに訪れていただいた読者の方々、ありがとうございました。

本題に入ります。
今日の題名ですが、みなさん「本質」の反対語を知っていますか?
「本質」の反対語は、「現象」なのですが、それが何故だか説明出来るでしょうか?
少なくとも、私にはとても難しいことのように思えます。
「現象」っていうと、例えば心霊現象のように、何かが起こったって意味なのでは?
それと「本質」がどのように対応するわけ???
このように頭が混乱していました。
しかし、今日の記事の内容を理解していただければ、「本質」の反対語は「現象」であるという意味がよくご理解いただけるのではないかと思います。
誰が、この二語を対応させたのかは知りませんが、日本語ってすごいなと改めて感心しました。
今日の記事を読んでも、「本質」の反対語が「現象」である理由が良く分からなければ、それは私の責任ですので、どうかお許しください。
では、最初に「現象」の正しい意味から。
「現象」とは「人間が知覚できる物事」の事を指します(「大辞泉」より)。
この時点で言葉の意味を勘違いしていた方も多いのではないでしょうか?
(ちなみに私もその一人でした)
とは言え、これだけでは「本質」の反対語であるようには思えません。
なぜ、反対語と言えるのかまずは下の図をご覧ください。

図1.jpg

これが今日のブログで説明したいことの全体像です。
これだけでは何のことか意味がわからないと思いますので、説明を加えていきます。
社会人になると、「その問題の本質は何だ?」とか、「本質的に考えろ!」とか、「本質を見抜く力が大切だ。」とか言われたりします。
そのために必要な思考の矢印はオレンジ色で示しました。
それに対して、こういう事を言われる場合もあります。
「全体像はどうなっているんだ?」とか、「要点をまとめて話せ!」とか、「全体を俯瞰して見る事の出来る視野の広さが大切だ。」といったようなことです。
そのために必要な思考の矢印はピンク色で示しました。
では、詳しく説明を加えていきます。
例えば、Y中学校では他校に比べて、「遅刻が多い」傾向があるとします。
「遅刻が多い」というのは、「現象」です。
ここでは仮に図のボックスのDに「遅刻が多い」という「現象」を書き込みます(図1)。

図2.jpg

上の図で言えば、上に行くほど「本質」的なことを表します。
最も下の段は個々の「現象」を表しています。
データなどにより、「遅刻が多い」という事実が発覚したので、それをそのまま書いた状態です。
ここで、コンサルティングファーム出身のZ先生に登場してもらいましょう。
(※コンサルタントという職業は問題解決を仕事にしているので、こういう思考が得意なのです)
彼ならこのように考えます。
まずは、上方向に向けた思考。
「なぜ遅刻が多いのだろう?」
つまり、より本質的な原因に向けて思考を掘り下げていくのです。
「WHY?」という問いかけを繰り返すのですね。
彼は仮にこのように考えました(これを仮説思考と言います)。
「遅刻が多い」のは、「いい加減(B)」だからだ。
生徒が「いい加減(B)」なのは、「しつけが徹底されていない(A)」からに違いない。
これを表したのが、図2です。

図3.jpg

論理の流れとしては、

子供達の「A:しつけが徹底されていない」から、

「B:行動面においてだらしない」で、

「D:遅刻が多い」

ということで、A→B→Dの論理は無理なく流れているのではないかと思われます。
これが縦方向。
しかし、Z先生はこれだけでは満足しません。
縦方向の論理の流れを示す根拠がこれだけでは、不安に感じるようです。
そこでZ先生は、この学校で他にどんな問題が起こっているのか調査することにしました。
そうすると、Y中学校は近隣の他の中学校に比較して、
・挨拶の出来ない子供が多い
・宿題忘れが多い
・机の落書きが多い
という事実が新たに発覚しました。
ここで、Z先生はこのように考えました。
「Y中学校は遅刻のみならず、宿題忘れも多いな。やっぱり生活態度全般に問題があるようだ。」
「物事に関してルーズな生徒が多い傾向にあるのは間違いなさそうだ。」
「机の落書きはなくならないな・・。悪いことだと自覚しているのだろうか?」
「それだけではなく、挨拶が出来ないなど人間としての基本動作も不十分だ。」
「人間としての基本動作が出来ていないことと、物事に関してルーズだというのは、しつけが不十分な証拠と言えるだろう。」
このような論理の流れを経て、図3のような表が頭の中に完成しました。

図4.jpg

もちろん、実際にこのような図を思い描いているわけではありません。
これはあくまでも概念図です。
こういうような風に考えるという一例として、眺めてください。
色々な「現象」を集めて、そこから「本質」をえぐりだしています。
この例で言えば、DとEからBという結論を、BとCからAという結論を導き出したわけです。
実際は二つくらいのデータでは「本質」を抽出するのには不十分な事も多く、課題によっては何十もの「現象」を集めて「本質」を導き出していきます。
「本質」に辿り着くと、どんなメリットがあるのか?
この点が最も重要なのですが、本質的な問題に働きかければ、それを原因とするその他の問題も同時に解決できるのです。
上の例で言えば、「しつけ」を徹底することで、DEFG全ての問題が改善されます。
ほぼ全てのケースにおいて、実際に起こる問題は一つや二つではありません。
もぐら叩きのように、一つ一つの問題を潰していくだけでは労力ばかりが無駄になることもしばしばです。
ですから最も重要なのは、問題の根本的な原因=「本質」に働きかける事なのです。
「本質」を外していなければ、それだけで他の問題も解決することが出来ます。
以上、様々な「現象」から「本質」をあぶりだす手法を見てきました。
下から上に見ていく手法で、これを「帰納法」と言います。

次回は逆のケースで、「演繹法」と呼ばれるアプローチを紹介させていただくことにします。

風が吹けば桶屋が儲かる? [論理的思考能力]


こんにちは。
あの悲惨な地震から2週間以上が経ちました。
相も変わらず伝わってくる悲しいニュースに心を痛めることもしばしばですが、いいニュースも同じくらいたくさん入ってきます。
いいニュースとして、今日は近隣諸国からの義援金についての記事を紹介させていただきます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000046-mai-cn

特にすさまじいのは台湾です。
台湾人は親日的だとはよく言われますが、それを裏付けるような記事ですね。
ただ、人によっては、「日本よりも貧しいのに・・」みたいな風に思う人もいるみたいですが、それは大きな間違いです。

http://www.taiwanembassy.org/JP/OSA/ct.asp?xItem=164416&ctNode=5548&mp=247

各国の豊かさを表す指標として、「一人当たりGDP(PPPベース)※」というものを用いられることが多いのですが、台湾はすでに日本を上回っています。
(※簡単な説明を最後にのせておきました)
比較方法によっては、日本よりも豊かな国なんです。
それなら、64億円くらいたいしたことないじゃんという声が上がるかもしれませんが、これもまた間違っています。
台湾は日本よりも人口が少ないからです。
しかも、物価が安いので、64億円の価値は日本よりも高いのです。
例によって、大きな数字というのは比較しなければ意味がわかりませんので、比較してみます。
義援金について云々するというのは少々不謹慎ですが、どのくらいありがたいことかをわかりやすく説明するために行うだけですので、お許し下さい。
台湾の2010年の名目GDPはおそらく13兆8246億台湾ドルくらいです。
(※データが見つからなかったので、自分で算出しました。間違っていたらスミマセン)
それに対して義援金である23億台湾ドルが全体に占める割合は、およそ0.017%。
同様の割合を日本に当てはめて考えてみます。
2010年の名目GDPは480兆円程度となるでしょうから、これに0.017%をかけると、約800億円。
直近でアジアに起きた大災害で考えると、四川大地震が思い起こされますが、四川大地震の場合は中国国内と海外からの総額で900億円くらいの義援金が集まったそうです。
近隣諸国で未曾有の大地震が起きたと聞いても、日本国内で800億円の義援金が集まるかどうかは甚だ疑問です。
四川大地震で集まった総額を見れば、それがいかに難しいことかはよく分かります。
でも、それくらいのことをやってくれたのが、今回の台湾なんですね。
あらためて感謝、謝謝、多謝です。
万が一、台湾が似たような不幸に巻き込まれるようなことがあれば、800億円を集めましょう。
一人700円の寄付で840億円です。
もちろん、こんな不幸はもう二度と起こらないことが一番です。

では、本日の内容に入ります。
前回に引き続き「論理的に考える」とは、どういうことかを説明していきます。
「演繹法」は上から下に思考を進めていきます。
「演繹法」を用いる上で重要なのは、「本質」を切り分ける際にMECEで分けていくという点です。
何年か前のロジカルシンキングブームによって市民権を得た言葉の一つです。
私もそれまでこの言葉自体は知りませんでした。
MECEとは、「Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive」の略で、「モレなくダブりなく」を意味しています。
言葉だけではわかりにくいので、例をあげて説明しましょう。
以下の単語をMECEに切り分けてみます。

例)「人」を例に、因数分解してみると・・・
○ MECEになる例:男性と女性、大人と子供、外国人と日本人、上半身と下半身、など
× MECEにならない例:社会人と学生(※1)、欧米人と日本人(※2)、上半身と身体(※3)
※1 乳幼児などが含まれていませんし、社会人の学生もいます(モレもダブりもある)
※2 韓国人などが含まれていません(モレがある)
※3 胸や腰は、上半身とも言え、身体の一部とも言えます(ダブりがある)

要は、足して100%になるようにするということです。
ただ、最下層(下の図ではDEFG)は、個々の「現象」を表しますので、MECEは現実的に不可能です。
経験上、MECEに分けるのは、せいぜい上から3層目くらいまでで、4層目5層目以下をMECEに分けていくことにはあまり意味がないです。
もう一つ。
MECEはあくまでも理想であって、100%にこだわりすぎる必要もありません。
例えば、「男性と女性なら、ニューハーフはどうするんだ?」とかそういう議論にはあまり意味がないという事です。
そもそも、抽象的な問題を切り分ける場合、完全なMECEは難しいのです。
学校の例に戻ると、Z先生は「しつけの不徹底」がもたらす問題を「人格面」と「行動面(だらしなさ)」という二つの問題に切り分けて考えました。

図4.jpg

これはMECEになっていて、モレもダブりもありません。
そしてその観点からY中学校を調べると、DEFGのような問題が発覚したわけです。
繰り返しになりますが、このような方法を「演繹法」と言います。
もう一度図を見てください。

図1.jpg

AからDの方向に向けた思考を「演繹法」。
DからAの方向に向けた思考が前回に取り上げた「帰納法」です。
第二階層であるBとCは足したら100%になります。
学校の例では、DEFGを足しても100%にはなっていませんが、「現象」を100%にすることはほぼ不可能に近いので、それで問題ありません。
(※上の図は概念図なので、第三階層もMECEが実現されています)

上のような論理構成のことを「ピラミッドストラクチャー」と言います。
科学的に解明されるすべての事象に、この論理構成を当てはめることが出来ます。
結論から言えば、この全体像がぱっと見える人が論理的思考のできる人です。

さらに、もう少し補足させてください。
オレンジ色で辿る思考の流れは因果関係を示しています。
因果関係で最も有名な例は、「風が吹けば桶屋が儲かる」でしょう。
この因果関係は以下のように説明されています
(※ウィキペディアより抜粋)

大風で土ぼこりが立つ

土ぼこりが目に入って、盲人が増える

盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)

三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される

ネコが減ればネズミが増える

ネズミは桶を囓る

桶の需要が増え、桶屋が儲かる

このような思考の流れを経て、「風が吹く」→「桶屋が儲かる」という論理を成り立たせているのです。
この論理の流れを上手くつなげば、一般的にはつながりがないとされるものの中に因果関係を見つけることが出来ます。
例えば、過去のブログでも取り上げましたが、ニューヨークのジュリアーニ市長は「不寛容政策」と呼ばれる政策を用いて、ニューヨークの犯罪率を劇的に低下させました。
この中には、「花火を取り締まる」といった細かいことまで含まれていたのですが、「花火を取り締まる」ことと「犯罪率の低下」との間には因果関係はないように思えます。
それが、きちんとした論理でつながっていれば、「花火を取り締まる」という一見関係のない施策によって犯罪率を低下させることが出来るんですね。
ただ、この論理がきちんとつながるかどうかは検証が必要です。
例えば、「風が吹けば桶屋が儲かる」の理論は、風が吹いて、土ぼこりが舞うと、視覚障害者が増えるという論理の流れですが、土ぼこりが舞うから視覚障害者が増えるという論理にはかなり無理がありますね。
どうせなら、

風が吹く

寒くなる

お風呂屋さんの客が増える

桶が足りなくなる

この論理の流れの方がまだ説得力がありそうです。
この論理の流れに説得力を持たせるために必要なのが、数字による証明です。
例えば、

この地域に北風が吹くと、冬型の気圧配置になったことが確認されており、こうなると今後4ヶ月間は平均気温が5度未満の日が続く(統計上95%の確率でそうなる)

(風が吹く前に比べて)平均気温が10度以上下がっている

平均気温が5度下がる毎に、銭湯の客が20%増加することがわかっている
(冬期は平均気温が10度以上下がるので、40%以上の増加が見込まれる)

客が20%以上増えると、銭湯の桶が足りなくなることが知られている

かなり無理矢理ですが(笑)、このようにして論理をつないでいくわけですね。
上の数値などが実験や統計によって事実だと証明されていれば、「風が吹けば桶屋が儲かる」という論理が成り立つことになります。
少し長くなりましたが、以上が「因果関係」の説明です。

まとめます。
前回は「帰納法」、今回は「演繹法」について説明させていただきました。
「現象」から「本質」を導き出すためにも、「本質」から「現象」を導き出すためにも、「因果関係」を明らかにする過程は外せません。
「因果関係」が「風が吹けば桶屋が儲かる」のようになっていないことが大切で、そのためには数字による証明が一番確実であると説明させていただきました。

次回は、実際の問題解決の場面において、それぞれがどのように使われるかを見ていきます。

※「PPPベースの一人当たりGDP」とは?
コーラしか売っていない2国があるとして、A国はコーラを100円で買えるとします。
B国は50円で買えるとします。
それぞれの国には10人の労働者がいるとします。
それぞれの国の10人の労働者の一年間のお給料はそれぞれ1000円で同じです。
この1000円を「一人当たりGDP」。
全員の給料の合計額10000円を「GDP(国内総生産)」と言います。
A国ではコーラを一人10本買えます。
B国ではコーラを一人20本買えます。
お給料は同じですが、豊かさはB国の方が2倍です。
2国の「一人当たりGDP」は1000円で同じですが、B国の「PPPベースの一人当たりGDP」はA国の2倍となります。


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