問題解決の事例 [論理的思考能力]


こんにちは。
ソフトバンクの孫正義社長が100億円を寄付するというニュースがありました。

http://www.zaikei.co.jp/article/20110404/70111.html

かっこいいですね。
どんな理由であれ、被災地の方々にとってはありがたいお話なわけです。
影響力の大きな人が、正しい行動に影響力を発揮してくれるのは、とても喜ばしいことだと私は考えています。
名誉や地位を得ることに貪欲な若者が減ってきているように感じます。
その一方で、ボランティアなど人助けに意欲的な若者が増えてきているようにも感じます。
これは日本が豊かになってきた象徴だと思うのですが、上昇志向ともいうべき欲が減ってきていること自体は少し残念なことのように思います。
そうした欲はやはり強烈なモチベーションとなりますし、それが経済の活力の源にもなるからです。
孫社長の義援金を見ても分かるとおり、ある程度の収入や地位がなければ人を助けようと思っても、出来ることには限界があるわけです。
正しい考え方を持った若い人は孫社長のように大きな夢を持つことを忘れて欲しくないなと思います。

さて、本日の内容に入ります。
前回までのやり方による問題解決の事例を紹介させていただきます。
実際の問題解決の場面で、これは「演繹法」でいこうとか、「帰納法」でやろうということをあらかじめ決めておくことはありません。
(※これは私の個人的なお話であり、検証したわけではないのでわかりません)
「演繹法」とか「帰納法」という言葉自体使わないです。
このブログでは思考法の説明をするために使ったにすぎません。
結果的に「演繹法」的なアプローチとなる場合と、「帰納法」的なアプローチとなる場合があるのですが、ほとんどの場合は両方をいったりきたりしながら、同時に思考を行っています。
ただ、思考が始まるきっかけとして、どちらから行うかについては傾向があります。
目の前にある問題を解決したいときは、「帰納法」。
あまりに問題がごちゃごちゃしていて、よくわからないときは、「演繹法」から思考が始まります。
「帰納法」は、何らかの「現象」に対して、「なぜ?」と思うことが思考が始まる契機です。
「なぜ?」という問いかけは、イメージ的には誘爆装置のボタンです。
自分なりに納得できる答えに辿りつくまで思考は続きます。

では、実際の思考がどのように進んでいくのかを、私の例で説明させていただきます。
この例について、最初に結論から申し上げると、私はお礼を言う習慣が身につけば、「気付き力」が向上するという自説を持っています。
これは他の人にとっては、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な意味不明のロジックかもしれませんが、私にとってはきっちりとつながった論理です。
どういう風にして、そのような結論を導いたのか頭の中の思考の流れを追っていくことにします。
以下のケースは例え話ですが、思考の流れは忠実に再現してあります。

塾に慣れていない生徒が休憩時間、教室の中で不安そうにしていました。
A先生はすぐに気付いて声をかけにいきましたが、近くにいたB先生は何も気付かずに、他の先生のところに雑談をしにいきました。
これは、私にとっての「現象」です。
B先生は「なぜ」A先生と同じように声をかけることができなかったのだろう?
この「なぜ?」が思考の誘爆装置のボタンを押したことになるんですね。
「多分、こういう理由だろう」というアイデアが頭の中に次々と浮かんできます。
ただ、この段階で思いつく理由はすべて仮説で、正確性が保証されたものではありません。
ここでの思いつきは、飛躍した論理もあれば、そうでない論理もあり、粒もそろっていません。
昨日までの図で説明すると、

図1.jpg

粒がそろっていないとは、一気にAもBもCも思いついてしまうという意味です。
一例を挙げると、
「たまたま見逃していたから?」
「能力が低いから?」
「しつけがなされていないから?」
「その子供のことが嫌いだから?」
「経験が少ないから?」
「忙しかったから?」
「やる気がないから?」
・・・
このように色々と、その「なぜ?」に対する答えが思い浮かんでくるんですね。
そして、仮にこういう答えが出ました。
本人の「気付き力」が足りないからだ。
その理由は、その講師は他のシチュエーションにおいても似たような行動を繰り返していたからなんですね。
ただ、やる気がない・能力が低いというのはどうも違うような気がしました。
なぜなら、彼は比較的ベテランの先生で、今後の教室のあり方について、頻繁に意見を口にしてくれる先生だったからです。
ですので、「やる気」、「能力」という理由は選択肢から消しました。
さらにその後も彼の観察を続け、「たまたま見逃した」わけでもなく、もちろん「その子供のことが嫌い」なわけでもなく、「忙しかった」わけでもなさそうだというように、消去法でどんどん消していき、妥当と思える答えを導き出したわけです。

生徒を無視した→無視してしまうのは彼の「気付き」力の欠如によるものである

最終的には、このような至極当たり前のロジックが私の頭の中に出来ました。

図①.jpg

そして、また思考が始まります。
「なぜ?」彼の「気付き力」は低いのだろう?と。
ここで思考が止まってしまいました。
「気付き力」が低い原因がわからなかったんですね。
そもそも「気付き力」っていったい何なんだ?
と今度は逆方向に思考が始まります。
その結果、私は「気付き力」には二種類あるように思いました。
B先生に足りないのは、身の回りで起きている事象に対しての「気付き力」ですが、社会や会社の矛盾点を発見する能力といったものも「気付き力」と呼べるのではないか?そういう気がしたのです。
先に述べたように、B先生の場合後者の能力には長けていたのです。
教室をもっと良くするための改善案などについては、比較的良く出してくれる講師でしたし、問題点をかなり正確に把握していることに驚かされることもありました。
このタイプの「気付き力」は分けて考える必要があると思い至ったんですね。
私はそれぞれを、「状況把握力(注意力)」、「課題発見能力」と区別してみることにしました。

図.jpg

そうすると、上手く切れました。
B先生に足りないのは、「気付き力」ではなく、状況把握力とも呼べる能力だったんですね。
ピンク色で示した部分の能力が不足していたわけです。
さらに言えば、彼はゴミを拾ったり、そういう些細なことも苦手でした。
細かい点を挙げればきりがないのですが、とにかくそうした能力全般が欠如していました。
それぞれは「現象」です。
さて、彼に対してどのような指導を行うのが適切なのでしょうか?
生徒がいたら声をかけなさい、ゴミは拾いなさい、新人の先生はフォローしてあげなさい・・
こういうことをその都度指導するのはなかなか大変です。
問題は形を変えて何度でも起こりますからね。
ところが、こうした「現象」を生み出している原因が彼の「状況把握力」の欠如に起因しているものだとするなら、この一点を解決するだけで他の諸問題も同時解決出来るはずです。
「気付き力」を高めるための方法があるなら、もっと多くの問題が同時解決します。
結果的には、いくら考えても「気付き力」全体を高める方法論を思いつくことは出来ませんでした。
「状況把握力」と「課題発見能力」はやはり別々のアプローチで鍛えるしかないというのが私の出した結論です。
では、片側の要素である「状況把握力」はどのようにすれば高めることが出来るのか?
私が出した仮説は「しつけ(特にお礼をいう習慣)」をしっかり行うことで、それは高められるというものでした。
それについては過去に「気付けない人は何が足りないか」という記事を書かせていただきましたので、そちらを参照していただきたいと思います。

http://kisekinokyoiku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-04

記事に書いたとおり、その仮説は概ね正しかったように私は感じています。
自分の教室の中にそうした習慣を根付かせることにより、生徒をほったらかしにするといったケースはかなり減りましたから。
数字による検証をしなかったのが残念ですが、減ったのはほぼ間違いありません。

しつこいようですが、これまでの内容を下にまとめさせていただきました。
繰り返しになりますので、もう理解できたよという方は以下を読んでいただく必要はありません。
次回ブログではもう少し詳しく「しつけ」について考えていきます。

★★★★★★★★★★★★

私の出した仮説は以下のようなものですね。

図③.jpg

「気付き力」を構成している要素をMECE(漏れなくダブりなく)切り分けた結果、「状況把握力」と「課題発見能力」という二つになったわけです。
「状況把握力」が足りないために起こる「現象」はたくさんあります。
「課題発見能力」が足りないために起こる「現象」も同様にあります。
(※概念図では省略してあります)
現象①~⑩までの問題を一気に解決するためには、「気付き」力全体を高めるしかありません。
「気付き」力が改善すると、すべての現象も同時に問題解決します。
図によって説明するとこんな感じです。

図④.jpg

一番上がオレンジ色になることで、それを構成する他の要素もすべてオレンジ色になります。
この方法があればそれが最善です。
そのための方法論を探りましたが、それは見つからなかったわけです。
そこで、「状況把握力」のみに限定し、そちらの問題解決策を探りました。
その結論が「しつけ」だったわけです。

図⑤.jpg

そのことによって、現象①~⑧までのすべての問題が改善されていったということです。
それぞれの現象とは、例えば、生徒に気付かないこととか、落ちたゴミを拾えないこととか、新人の講師のフォローを行えないことなどです。
現象①~⑧それぞれを個別に対応していたのではあまりに時間がかかりますし、「状況把握力」の欠如がもたらす問題は①~⑧以外にも数多くあります。
要領がいいというのは、こういうことです。
「本質」を探り出し、その解決策を発見することが出来れば、こうしたことが可能になるのです。

★★★★★★★★★★★★



問題解決の事例(続き) [論理的思考能力]


こんにちは。
今回は、また別の角度から「しつけ」について書いてみたいと思います。
最初に前回の復習。

図.jpg

ピンクで示した部分は「しつけ」の問題であるというお話でした。
上の概念図とはまた違ったものを過去に紹介させていただいたのですが、覚えておられますか?
それは以下の図です。

図4.jpg

ここでも「しつけ」のことが書かれています。
しつけを徹底することは、行動面、人格面ともに好影響を与えます。
この図で言うところの「行動面においてだらしない」と、「状況把握力の欠如」を私の場合、ほぼ同じようなものと考えています。
その問題が
生徒の場合は、「遅刻」や「宿題忘れ」という「現象」として、
講師の場合は、「生徒の存在に気付かない」や「ゴミが落ちても拾わない」という「現象」として、
現れるのです。
「宿題忘れ」と「生徒の存在に気付かない」というそれぞれの「現象」は、ほとんどの人にとっては無関係だと認識されていると思いますが、私にとっては根の部分でつながった一つの問題です。
過去に私はこういうことも書きました。
「しつけ」とは「すぐやる」習慣の徹底であると。
もっと具体的に言えば、「すぐやる」とは、
「(なるべく早く)あるべき状態ではないものをあるべき状態に近づける(あるいは戻す)」
という意味です。
思っている、ただ願っている状態ではなく、それが出来た状態にするということ。
やるべきことが出来ていない状態と気持ち悪いと思える習慣が身につくこと。
気持ち悪いと思うための前段階として、自分が今何を出来ていないのかを気付ける力が必要です。
そうした場面は日常のいたるところにあります。
「椅子をひけていない」、「靴をそろえられていない」、「お礼を言えていない」・・などなど
日常のあらゆる場面において、自分が正しい型通りに振舞えるかどうかが、もしそうでないときにはそれにすぐ気付いているかどうか、その両方を満たせていないと「あるべき状態」を維持することは出来ません。
ちょっとまとめます。
しつけがなされているとは、「人としてあるべき状態」に自分を整えることが出来るということです。
もう一度言います。
しつけがなされているとは、「人としてあるべき状態」に自分を整えることが出来るということです。
そのためには、
①何が出来ていないのかを気付けて(状況把握力)
②後回しにせず、それをすぐに行動に移せる(行動力)
ことが大切です。
これを徹底するとどうなるのか?
何度も述べてきたとおり、行動面と人格面ともに人間性が向上します。
なぜ、しつけを徹底することで人格面が鍛えられるのかについて述べておく必要があると思います。
最初に申し上げておきますが、これは絶対そうだと言い切れる論理ではありません。
なぜなら、数字による証明が難しいからです。
あくまでも仮説にすぎません。
しかし、私はこの論理はほぼ間違いがないと考えています。
フローチャートで説明すると、

■しつけを徹底すると、人格が鍛えられる理由

行動面におけるしつけを徹底する(椅子を引かせる、片付けをさせる、靴をそろえるなど)

出来ていないことに気付く力が向上する(行動面が向上する)
すぐに行動出来ていない自分を自覚する
↓  ↑
人から支えられている自分自身に気付く
↓  ↑
自立しようとする意志が働く
↓  ↑
人に迷惑をかける行為を恥ずかしいと思うようになる
人に感謝するようになる
↓  ↑
人間関係を大切にするようになる
↓  ↑
挨拶やお礼などを欠かさないようになる(人格面が向上する)

人格面におけるしつけを徹底する(挨拶をさせる、お礼を忘れずに言わせるなど)

このようになります。
ここでのポイントは矢印は上からも下からも流れるということです。
挨拶やお礼を欠かさないようにすれば、行動面も自然と整ってきます。
これは鶏と卵のお話なので、どちらから先に行っても構わないと思います。
どこかが改善すれば、全体が螺旋階段を上がるように向上していきます。
好循環というやつです。
このように相互に関連したケースの問題解決のやり方は過去に紹介させていただきました。
東北太平洋沖大地震におけるガソリンの問題ですね。

http://kisekinokyoiku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-18

優先順位を決めて、そこを一気に解決する方法です。
真っ先に解決するべき問題を選ぶ際のコツは二つで、
①それが全体に与える影響の度合い
②解決の容易さ
となります。
しつけの場合、子供が靴をそろえているかどうかなどは比較的解決が容易です。
さらにきちんとやっているかどうかの検証も楽です(目に見えますから)。
ですので、こうした部分から問題解決に取り組んでいくわけです。
このサイクルが上手くまわるようになれば、細々とした教室の問題はすぐに解決します。
少なくとも私のいた教室において、授業中の立ち歩きや生徒同士の私語はありませんでした。
小さなことをきっちりさせることで、人格面も向上していったのですね。

さて、ここまでのお話を前提として、いよいよお話の全体像を見ていくことにします。
まずは、こちらの図。

a.jpg

この図の説明はすでにさせていただきました。
そしてこちらの図。

図.jpg

この二つの図はピンク色の部分で共通しています。
この二つの部分を組み合わせた図が以下の図です。

b.jpg

ピンクの部分が共通部分なのはわかりますね。
二つの図を組み合わせたため、真ん中で重なっています。
ただ組合せただけではわかりにくいので、さらに上の層をもう一段付け足しました。
ここでは仮に、「しつけが徹底されていない」と「気付き力が足りない」を組み合わせて、「問題点」とさせていただいています。
この図ではまだ完成しませんね。
なぜなら2層目がMECE(漏れなくダブりなく)になっていないからです。
こういう場合、ダブってしまっている2層目は省略します。
言葉を整理しなおし、概念図を完成させると以下のようになりました。

c.jpg

何度も言いますが、これは概念図です。
これが全てではありませんので、誤解しないでください。
例えば、勉強をすることで鍛えられるのは課題発見能力だけではありません。
行動面で大切なのは、遅刻しないことと整理整頓だけではありません。
すべてを書くことは出来ないので、このようになっているだけです。

それではこれまでの内容をまとめさせていただきますね。
全体像が見えているというのは、上のような図がぱっと頭の中に思い浮かぶ人です。
最初は大変ですが、論理的に物事を考える習慣をつけると出来るようになります。
優秀なビジネスパーソンなら、頭の中で無意識にやっていることです。
それが出来ると、とてもわかりやすく人に物事を説明出来るようになります。
例えば、私が話をこう切り出すとわかりやすいのではないでしょうか?

「私が教育で大切だと考えていることは勉強面だけではありません。」
「大きく分けると、人格面、行動面、勉強面の3つです。」
「最初に人格面ですが・・・云々」

他にも例えば、こんな説明の仕方も出来ますね。

「私が教育で大切だと考えているのは、しつけと勉強の両方です。」
「しつけによって鍛えられる部分を緑色、勉強面を青色で示させていただきました。」
「最初にしつけについてですが・・・云々」

人格・行動・勉強以外にも大切なことはあります。
体力などはここでは触れられていませんが、大切な要素と言えるでしょう。
上の話はあくまでもわかりやすく説明するためだけの例え話です。
それでも上のように説明されると、話がわかりやすいと感じられるはずです。
この全体像が曖昧なまま話を始めるとわけのわからない話になりますのでご注意ください。
状況に応じてこの図を切り離したり、つなげたりしながら話を出来る人が説明の上手い人です。
では、次回はこうした能力をどのように仕事に活かしていくのかをみていきます。

教育というより、ビジネスマン養成講座みたいになってきました・・・。

全体像が見える人になるための3つの習慣 [論理的思考能力]


今回も続編をやります。
これまで何度も説明を試みてきましたが、そのくらい重要だと私が考えていることなので。
本日の内容はかなり長いですが、仕事面でお役に立てる内容かと思われます。
これは私のロジカルシンキングセミナーの内容の一部を無理矢理文章にしたものです。
文章化しているのでわかりにくくなっていますが、論理構成は同じです。

皆さんは「鵜の目鷹の目」という言葉を聞いたことがありますか?
大辞泉で意味を調べると、「鵜や鷹が獲物を求めるように熱心にものを探し出そうとするさま。またその目つき。」とあります。
それはそれで良いのですが、私はこの言葉にはもう一つ意味があるように思えてなりません。
なぜなら、鵜と鷹の視点には決定的な違いがあるからです。
鵜は鳥類にも関わらず、飛びながら獲物を探しているわけではないんですね。
眼前の獲物を凝視しているイメージです。
鷹は違いますね。
広い視野を持って周囲を見渡し、チャンスがあれば一瞬で狩りを行います。
昔の人はこの二者(鳥?)の「獲物を熱心に探す」という共通点のみならず、この対照的な部分にも注目してこの言葉を使ったのではないかと思うわけです。
つまり、全体を俯瞰して見る能力を「鷹の目」、細かい現象を見落とさない注意力を「鵜の目」と表現されているような気がしてなりません。
これまで散々出てきた図を別の角度から表現したのが以下の図です。

鵜と鷹の図.jpg

鵜も鷹もいますね。
高いレベルの思考には、このどちらの視点も必要なんです。
ということで、本日のブログでは「鵜の目鷹の目」の意味を以下のように拡大解釈して使用させていただくことにしました。
「鵜の目鷹の目」とは、
「鵜のように細かい点を見落とさない注意力、鷹のように全体を見渡せる視野を併せ持ち、両方の視点で熱心にものを探し出そうとするさま。」
書いてみて思いましたが、少し面倒で言いにくいので省略されたのかもしれないですね・・・。

さて、今日は教育とは少し内容が離れます。
前述の教育リテラシー版「鵜の目鷹の目」がビジネスでどのように使われるかです。
例えば、こんな言葉があります。
「木を見て森を見ず」
この場合、鵜の視点しか持たない人はまさに森を見ないことになります。
鷹の視点を持つということは森を見よということと同義ですね。
しかし、それがなかなか難しいのです。
鷹の視点を持つことが出来れば、先程の図のように全体を俯瞰してみることが出来ます。
全体の構図を再度確認すると、図の縦方向は論理によってつながっており、横方向は構成要素に分けられています。
縦の論理の流れを示す図を「フローチャート」。
漏れなくダブりなく(MECE)、構成要素を横に並べたものを「フレームワーク」と言います。
ビジネスにおいて、この二つは必須のツールとして位置づけられています。
この全体像に基づいて話をするとわかりやすい。
問題解決もしやすい。
要領も良くなる。
ということで、こうした全体像が見えるようになることが重要なのは共感していただけると思うのですが、これは出来る人は無意識的に行っていることであり、それを出来ない人が意識的に行うのは結構大変なことです。
そこで、今日は自然とこの「鷹の目」が身につく習慣を紹介させていただきたいと思いました。

その前に、前提条件があります。
それは、論理をきちんとつなげて話を出来る能力があるということです。
過去に取り上げた「風が吹けば桶屋が儲かる」で説明させていただくと、→( )内は心の声

結論から言います(→はい、どうぞ)

風が吹くと桶屋が儲かります(→何で?)

順を追って説明させていただきます(→よろしくお願いします)

風が吹くと、砂埃が舞います(→ふんふん)

砂埃が舞うと、目に砂が入る人が増えます(→そうだよね)

目に砂が入る人が増えると、視覚障害者が増えます(→えっ?そうかな?この話何か変!)

こうならないようにしましょうということ。
論理的につながった話をする能力は、普通の大人であれば誰にでも備わっています。
程度のレベルに差があるだけです。
「●●だから、××」と言ったときに、どれだけ客観性を持てるかという点が重要なんですね。
独りよがりの意見で強引に「●●だから、××」とまとめてはいけない。
最も客観的な基準は数字ですから、数字で論理をつなげばほぼ間違いがないわけです。
これまで何度も述べてきたとおりです。
この点を注意すればいいだけなので論理的につながった話をするというのは、実はそれほど難しいことではありません。
レポートや論文を作成する際には、誰もがそれなりに気をつけているはずです。
しかし、全体視野を持って物事を理解しようとしている人はあまりお目にかかりません。
だからと言って、全体視野を持っている人があまり存在しないわけでもないのです。
この点、説明を補足しておきます。
実は大半の人は自分自身の得意分野において、この全体視野を自然と習得しています。
「ぱっと霧が晴れたように物事を理解する瞬間」とか、「急に仕事が早くなる」とか、「点と点が線でつながる」とか、「多面的に物事が見れる」とか、「何でもわかる(ような気がする)」とか、こういう言葉を言うとき、もしくは実感を持つときはありませんか?
このような表現はすべてこの全体視野を持てたときに出てきます。
本日のブログで言うところの「鷹の目」ですね。
普通は、一つの物事を一定期間継続した中で自然に見えてくるものなのですが、「鷹の目」の視点を意識的に持とうと心がけることで、人よりも早くこの全体像が見えるようになります。
何らかの分野において、この全体像がすべて見えている人がその分野を極めている人です。
いったん何かの分野で、全体像が見えてしまうとしめたものです。
なぜなら、この全体像は分野が異なっても構図は似ているからです。
いったん何らかの分野で高い業績を残した人が、他の分野においても高い業績を出す例はたくさんありますが、それはこの全体像が似ているからなんですね。
少し余談になりますが、この典型的な例が語学です。
英語学習で苦労された方は少なくないと思いますが、疑問に思ったことはありませんか?
英語一ヶ国語を習得するだけでも、あれだけ苦労をするのに、世の中にはなぜ何ヶ国語も話す人がいるのだろうかと。
欧米に行くと、5ヶ国語くらいを扱える人にはたまに出会います。
私自身の英語力がその域に達していないので何とも言えませんが、私が想像するに彼らには語学習得に必要なプロセスの全体像が見えているのではないかと思うのです。
母国語以外の最初の言語を習得するまでは私たちと同様に大変ですが、それに成功すると語学習得の全体像が見えるので、その視点を他の言語習得の際に活かしていくわけです。
・・・ここまでが何の説明かと言えば、「全体像が見えることの重要性」です。
しかし、私が本日言いたいのは「全体像を見ようとすることの重要性」です。
(違いはわかりますよね?)
見える日が来るのを待つのではなくて、積極的に見ようとしましょうということです。
前置きが長くなりましたが、そこでお勧めしたいのが、以下の習慣となります。
結論から言えば、以下の習慣をつけていただくことによって、この「鷹の目」が習得出来ます。
普段の会話の中に以下の3つの言葉を取り入れていただきたいのです。

①「結論から言います」
②「今日のお話のポイントは3点です」
③「例えば・・」

なぜ、それぞれの言葉を会話に取り入れることで全体視野が身につくのでしょう?
それについて詳しく説明を加えていきます。
(※長くなりますので、3つの項に分けて説明させていただきます)

■習慣① 「結論から言います」
まず、一点目の「結論から言います」という言葉。
実は、これは簡単そうに見えて結構難しく、そして奥の深い言葉です。
仕事における報告の場面を想像してください。
部下に何かを報告させる場合、上司は暗に以下の2つのうちどちらかの期待を持っています。

●上司の期待
A:具体的なこと(現場の細かい状況、問題の解決策など)を教えて?
B:状況をわかりやすく報告して?

「報告して」という言葉には上の2つのどちらかの意図があるのです。
(※組み合わせたパターンは排除しています)
相手が何を期待しているのかを予想して報告をしなければなりません。
ビジネスの場合、それもなるべく早く簡潔に行うことが大切です。
ここで上司の期待がAだったとしましょう。
その場合の結論は「現象」面となります。
現象面を結論に持ってきて、話を展開すると上司は非常に聞きやすいです。
くどいようですが、「本質」の反対語は「現象」ですね。
この場合、上司の中にはおぼろげながらも全体像はあり、「本質」もある程度つかんでいます。
現場で見えた新しい変化や気付きを知りたいわけです。
ちょっとわかりにくいと思いますので、私自身の体験談で説明させていただきます。
例えば以下のようなケースがAに当たります。

●状況
古株の生徒F君の数学の授業について、R先生からの授業報告
私→F君のことについてだいたいの状況は把握している
知りたいこと→来週の中間テストで点数を取らせるための具体的な案や新しい変化

●R先生からの報告
○ 良い例 ・・・100点の報告
「結論から言えば、来週のテストで点数を取るために必要なのは復習問題の解きなおしです。ですからそれを宿題に出しました。来週の授業はその確認から進めていくべきだと思います。」
「それはなぜ?」(私)
「数学で点数を取るために必要な要素を計算力と応用力にわけた場合、彼の計算力は非常に高く問題はないように思います。なぜなら・・・(中略)・・・。応用力については少し問題があるようでしたので、テストで出題されそうな応用問題をいくつか選んで解かせてみました。今日の授業ではきちんと解けていましたので、後は似たような問題を何回か解きなおしすれば大丈夫です。ワークブックのP73~P75に復習問題がありますので、それを宿題に出しました。」
「OK。報告ありがとう。」(私)

× 悪い例1 ・・・50点の報告
「応用問題をさせてみたところ、問題2と問題3でかなりの時間がかかってしまいました。」
「で、結局正解できたの?」(私)
「いいえ、彼には少し難しいと思いましたので、もう少し簡単な問題をやらせてみました。」
「どうなった?」(私)
「だいたい解けました。」
「どうしたらいいと思う?」(私)
「今日やった復習問題の解きなおしをさせると良いと思います。」
「彼の計算力はどうだった?」(私)
「計算力については問題がないように思いました。」

× 悪い例2 ・・・0点の報告
「このままでは彼の来週のテストの点数はやばいです。」
「何がどうやばいのかもう少し具体的に教えて。」(私)
「応用問題が解けません。」
「解けるようにするためにはどうすればいいと思う?」(私)
「何回も解くこと・・・ですかね?」

良い例の報告では先に結論を持ってきています。
結論は「復習問題の解きなおしをさせるべき」という点で、これは「現象」面と言えます。
「本質」的なことではなく、具体的な事実ですから。
結論である「現象」面を速やかに報告した後、その理由を説明するために、「数学力」という「本質」部分から報告をしています。
「本質」は概ね理解しているが、「現象」が見えていない私にとって、的確な報告と言えるでしょう。
最初に結論を提示した後の説明のアプローチは、「本質」から「現象」にいたる演繹法です。
今度は悪い例に注目してください。
1よりも2の方が重症度は高いですが、両方意外によくあるようなお話です。
まず悪い例の1。
これは報告をさせる際に最も起こりがちな症状です。
特に女性に多い。
目の前に起きた「現象」を次から次へと説明してくれるのです。
他愛のないおしゃべりなら良いですが、時間の限られた仕事の報告でこれはまずい。
授業時間中に起きた「現象」すべてを聞く時間はこちらにはもちろんありません。
目的達成のためには何が必要で、授業時間に集めた「現象」をもとにF君には何が足りていないのかを推測し、その具体的な解決策を報告する。
難しいですが、これこそこちら側が期待していることです。
そのため、こちらの期待に沿った報告が出来るようになるためには、数学の成績アップの方法論についての全体像が見えている必要があります。
ただ、経験が浅い講師にはこの全体像は見えません。
ですので、すでにフレームワークを持っている私が質問を加え、状況を把握するわけです。
例えば、私は「彼の計算力はどうだった?」と聞いていますが、これがフレームワークです。
フレームワークを別の表現で言えば、チェックリスト。
この例では、数学力を計算力と応用力という二つに切り分けて考えています。
R先生の報告では、応用力の部分しか見えなかったから、計算力について質問したわけです。
50点の報告ですね。
悪い例の2。
こちらはずいぶんひどいですが、男性によく見られます。
細かい点への注意力が足りず「現象」を見落としているため、具体的なことを何も言えない報告。
「鵜の目」の欠如です。
ただ何となく漠然と「良くない」という雰囲気だけをつかんで、それを報告してくれたわけです。
いつもの図で言えば、「本質」部分のみを曖昧なかたちで理解しているとこうした報告になります。
良く言えば要領の良い人に多い傾向で、悪く言えばいい加減な人に多い傾向です。
F君の状況が漠然と「良くない」のは私も当然分かっています。
それがどう具体的に良くないのかという点こそ、私が知りたいと期待していることであって、このような報告は何の意味もありません。
細かい点について聞こうにも、「鵜の目」が欠けているので直接授業に関わっていない私以上にF君のことを理解していません。
これでは報告してもらう価値のある情報は一つもないことになります。
0点の報告です。

次はBパターンの説明を進めます。
「本質」を知りたいという期待が上司の中にある場合の報告方法についてです。
ケースで見た方がわかりやすいので、実例に基づいて説明させていただきます。

●状況
新規の生徒G君の数学の初回授業について、S先生からの授業報告
私→G君のことについてほとんど知らない
知りたいこと→G君の数学の実力はいかほどのものなのか?

●S先生からの報告
○ 良い例
「結論から言えば、不安な点もありますが3ヶ月もあれば成績を伸ばしていけると思います。」
「それはなぜ?」(私)
「数学で重要なのは計算力と応用力ですが、彼の場合、計算力は充分にあることがわかりました。話をよく聞いてみるとそろばんを6年やっていたそうです。そのためか授業中計算ミスは1問もありませんでした。応用力については・・・」

悪い例はもういいですね。
この場合、私が知りたいこと(結論)は「新しく入った彼の実力はどうなの?」という本質的なことなので、それを最初に報告してくれるS先生の報告は素晴らしいのです。
「本質」がそうだと結論付けるためには、いくつかの「現象」における気付きが必要です。
そうした細かい「現象」を集めて、こうだと結論付ける論理展開です。
こうした手法のことを帰納法と以前に説明させていただきましたね。

「結論から話す」とは実はこんなに奥深いのです。
本当の意味でそれが出来るようになるためには、
①相手の求めているものを察知し(「現象」を知りたいor 「本質」を知りたい)
②現在分かっていることからその答えを推測し
③その答えにいたった論理の流れを説明する
ことが求められます。
上司が鷹の視点で物事が見えている状態なのか、そうでないのかは報告の際に決定的に重要な前提条件です。
それにより、報告で求められている内容が変わってくるからです。
上司が鷹の視点を持っている場合は鵜の視点に立って細かい「現象」を、そうでない場合は鷹の視点になって全体像を見渡し、「本質」についての説明が出来る必要があります。
いずれにせよ、求められている結論が何かを予想し、結論に至る論を立てるためには全体像の理解が求められているということですね。


■習慣② 「話のポイントは3つです」
全体像を見えるようになるための習慣その2は「話のポイントは3つです。」と切り出すことです。
3つでも4つでも良いのですが、とにかく最初に分けること。
重要なのは、それがMECE(漏れなくダブりがない)に切り分けられているということです。
このように話すためには、図でいうところの横の視点が欠かせません。
それぞれについて話を続けるためには縦の論理のつながりも必要です。
「話のポイントは3つです。」の効果は絶大です。
説明が苦手な人でも、これを冒頭に付け加えることにより説明したい内容の枠組みを意識するようになります。
例えば、自動車を知らない人(アマゾンの奥地にいる原住民)に「自動車について説明してください」と言われた場合を考えてみましょう。

○例1
「自動車とは人々が移動するための乗り物です。移動するための乗り物は大きく分けて3つあります。空を飛んで移動する乗り物、海や川や湖の上を浮かんで移動するための乗り物、陸地を移動する乗り物の3つです。車というのは陸地を移動するための乗り物です。陸地を移動する方法は車だけではありません。これは・・・」
○例2
「人々は二つの理由で自動車を欲しがります。一つは移動のための手段として、もう一つは自分を格好良く見せるための飾り物としてです。」
○例3
「自動車は、大きく分けると次の○つの部品で成り立っています。一番大きな部品は・・」

続いてダメな例。

×例1
「自動車に私たちは毎日のように乗ります。それに乗って仕事に行ったりします。空を飛ぶ飛行機に比べるとスピードは遅いですが、どこにでも行けるので便利です。道路の上を走るので船のようにたくさんの物を積み込むには限界があります。」
×例2
「街には自動車を欲しがっている人がたくさんいます。それに乗ると遠いところに遊びに行ったり出来るからです。自動車の中にはものすごく高い自動車もあります。」
×例3
「自動車を運転するときに握る部品のことをハンドルといいます。ハンドルでどちらの方向に行きたいのかを操作します。スピードを出したいときはアクセルと呼ばれるペダルを踏みます。運転するときには座りながら行います。運転する人が座る席を運転席といいます。」

悪い例に共通しているのは全体像に触れず、細部の説明から入っている点。
人は見たもの聞いたものの印象が強いので、意識しなければこのような説明になってしまいます。
講師の報告例でも取り上げた通り、意識しなければ「現象」面の説明に終始してしまうんですね。
これでは何も知らない相手が「鷹の目」の視点を持つことはありません。
断片的な情報ばかりで結局要領を得ないまま説明を終えられることになるでしょう。
全体像を示しながら説明を行うための強制的な習慣こそ、
「話のポイントは3つです。」
に他なりません。
自分の見聞きした「現象」を枠組みに分類しなければ、ポイントが3つとは言えませんから。
これは簡単な習慣なので、ぜひ身につけていただきたいと思います。


■習慣③ 「例えば・・・」
そして最後の習慣。
「例えば・・・」を使うということです。
私は、説明の上手な人が最も良く使う口癖こそ、この「例えば・・・」だと思います。
教えるのが上手な先生は例外なく例え話が上手です。
そして、物事の全体像が見えている人が多いです。
なぜ例え話を使いこなすことで、物事の全体像が見えやすくなるのでしょうか?
結論から言えば、例え話を使う習慣は物事の「本質」を見抜く力を向上させるからです。
逆説的に言えば、例え話の上手い人は「本質」を見抜く力に優れた人です。
物事の「本質」を見抜く力がなければ、例え話は上手く使えません。
目の前に現れた「現象」においては全く共通点がないようなものの間に、「本質」部分における共通点を見出すことでとても楽に説明が出来るようになるのが「例え話」の利点です。
先程のケースをもとに説明させていただきます。
自動車を知らない人(アマゾンの奥地にいる原住民)に「自動車について説明してください」と言われた場合です。
例え話を使うことで、これがさらに分かりやすくなります。

例1
「例えば、皆さんは漁にいくときにこの船を使っていますね。陸の上をこの船のように自由自在に走り回るのが自動車です。」
例2
「例えば、皆さんは二つの理由でこの▲▲(派手な部族衣装)を欲しがるのではないでしょうか?一つの理由は自分を守る装備として、もう一つの理由は自分を格好良く見せるために。自動車も同じことです。」
例3
「例えば、この牛車を見てください。自動車というのはこの牛が機械になったものと言えます。」

「本質」で共通する部分を活用することで、説明がグンと楽になります。
例え話というのは、相手の頭の中にある全体像を拝借して、別の事象を説明する行為です。
それが出来るようになるためには、物事「本質」を見抜く力も必要ですが、相手の立場に立って物事を考えることの出来る視点も求められます。
実は、例え話を活用するメリットは、「本質」を見抜く力が備わる≒全体像が見えやすく なるだけではありません。
コミュニケーション能力の向上という副産物もあるのです。
相手の立場を理解しようと努めるため、観察力や想像力も養われるわけです。
ですから、「例え話」は積極的に会話の中に取り入れるようにしてください。


かなり長くなりましたが、まとめます。
「鵜の目鷹の目」を使って説明させていただきましたが、物事は「現象」を細部まで注意深く見る視点と、全体像を俯瞰的に見渡し「本質」を見極める視点の両方が大切です。
特に全体像を見ようとする「鷹の目」視点は大切です。
これが見えると物事の理解が一気に進みますからね。
何となく情報を仕入れているだけでも、この全体像が見えることはありますが、なるべく早くこの全体像が見えるように努力しましょうというのが、本日のテーマでした。
そのための習慣として私が提案させていただいたのが、以下3つの口癖です。

①「結論から言います」
②「今日のお話のポイントは3点です」
③「例えば・・」

それぞれの詳細は本文を参照してください。
どの口癖も物事の全体像をつかむ視野を身につけるためのいいトレーニングとなりますので、日頃から積極的に活用していただければと思います。


■おまけ
「自動車について教えて?」という質問への説明例を紹介させていただきます。
(※説明例ですので、内容の正否は気にしないでください)
最初に、自動車について予備知識が全くない人への説明例です。
この場合、相手が知りたいのは「本質」ですから、結論である「本質」を先に述べて、その後「現象」面から帰納法で説明を進めていくことになります。
アマゾンの奥地で原住民の王様に私が報告を差し上げるというありえない設定です(笑)。

「結論から申し上げると、人やモノを移動させるための道具でございます。例えば、あそこにある荷車が機械で動くものと考えていただければ良いと思います。私たちはそれに乗って色々な場所を訪れています。人やモノを移動するための方法は大きくわけると3つあります。空を移動する方法、海や川を移動する方法、陸地を移動する方法ですが、陸地を移動するための方法で最も一般的な手段が自動車による移動となっております。人々は二つの理由で自動車を欲しがっています。一つ目の理由は手軽な移動手段として、もう一つの理由は自分自身を格好良くみせるための手段として、です。例えるなら、この土地の住民が自分の身体を守るためと自分を格好良くみせるためという二つの理由で衣装を着ているのと同じことです。」

今度はそれなりに事情のわかっている相手への説明。
設定は私が自動車会社の社長、相手は全く違う業界の社長。
質問はアマゾンの原住民の王様と同じく「自動車について教えて?」です。
相手に「本質」が見えている場合は、演繹法を使って「現象」面から説明をします。

「結論から申し上げると、今後の自動車の中心となるのは電気自動車だと思います。自動車の動力源には大きく分けると3つあります。一つ目は言わずと知れたガソリンです。二つ目はプロパンガスでタクシーなどの燃料として使用されています。三つ目が電気です。この他にもバイオ燃料などがありますが、実用化という点で未知数なのでここでは説明を省きます。ガソリンやプロパンガスなどの天然資源を動力とするのには問題点があります。例えば、何年か前に航空業界でサーチャージ(燃油特別付加運賃)が問題になりましたが、天然資源であるガソリンを動力とする自動車にも同じ問題があります。産油国の政治情勢などによって燃料代が左右されるという問題です。電気自動車はそのようなリスクが少ないため、今後の主流になっていくものと思われます。」

同じ質問でも回答が全然違います。
結論も逆です。
このように、相手の立場や状況によって、求められている回答が異なります。
どちらを結論にすべきか考えて話すことが大切だというわけですね。


言ってもきかない子供への対応 [生活指導]


今日はひさしぶりに通常記事です。
以下、高校の先生の悩みです。

「高校教師です。1年生の女子生徒で、入学早々スカート丈を異常に短くしている生徒がいます。
スカートだけではなく掃除をさぼったり大声で文句を言ったり、とにかく目立つ生徒なのですが、わかるように話をすれば他のことはちゃんと改めようと努力をします。でも、スカートの丈だけはどんなに注意されても直す気がなく、すぐ人目を盗んで超ミニ丈に戻してしまうので注意してもきりがありません。本人なりにいいところもありますし、誉めて伸びるタイプの子だと思うのでそうしてやりたいのですが、あれだけの超ミニスカートを一人だけ許していると他に示しがつかないという意見もあり、そうなると顔を見るたびにスカートの注意ばかりしなければなりません。目立つのが好きなタイプで、HR委員長でもあり、うまくすればクラスをいい方向にひっぱっていけそうな子なのですが、どう指導していくのがこの子にとって一番いいのでしょうか。」

とても良い題材だと思い、YAHOOの質問から引っ張ってきました。
皆さんならどう指導されますか?
教育の現場ではとっても良くある話なので、私が回答しましょう。

結論から言えば、許すべきではありません。
女子生徒の顔を見るたびに指摘するべきでしょう。
かと言って、無理矢理押さえつけるのもよくありません。
後々に禍根を残しますからね。
ところが、そんな甘い指導では、女子生徒は直さない。
それでは他の生徒に対して「示し」がつかないんじゃないか?
そういう論理だと思います。
誤解していただきたくないのですがこのケース、ちゃんと「示し」はついています。
先生が明確な基準に従って、「これはダメ、これはOK」と言っているのでしたら、それでいいのです。それが「示し」です。
それを先生が見ていないところで守っていないのは、女子生徒の都合です。
周りの生徒もそれがわかっていますので、それ以上とやかくは言わないでしょう。
問題なのは、人によって問題を切り分けているケースです。
同じスカートの丈に対して、「この子はダメ、この子はOK」。
これでは、他の生徒に対して全く示しがつきません。
要するに、先生の中に絶対的な基準を設けて、それをぶらさないようにすれば良いのです。
ただ、指導する立場から言えば、言いやすい生徒とそうでない生徒というのが必ず存在します。
言いにくいから言わないというケースは現場ではよく見かけます。
少しの指摘に異常に反発する生徒などは、他の生徒と同じように指導することは出来ないかもしれませんね。
しかし、そういう生徒は割合にすればごく一部です。
ごく一部の例外を全体的な傾向のように捉えてしまうのは、人間の思考の癖です。
ほとんどの生徒はそんなに神経質ではありません。
理不尽なことには反発するかもしれませんが、明確な基準に基づいて「それはダメ!」と言われた事に対して過敏な反応はしないでしょう。
繰り返しますが、「何で私だけ?」と思うから反発をするのです。
人によって基準をぶらさないことが大切ということです。
それでも気にするような神経過剰なケースは別問題と考えるようにします。
冒頭の質問に出てくる生徒は明らかに普通の生徒。
明確な基準に沿って、きちんと指導をすれば、問題ないでしょう。
自分の意見を持っていると思いますので、面倒がらずになぜダメなのかを語り続ければいつかわかってくれるタイプだと思います。
それを諦めて言わなくなったとき。
そのときが「この子はOK」と暗黙の承認をしてしまったときです。
こうなると、秩序がなくなるので気をつけないといけませんね。

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