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読み手と聞き手 [コミュニケーション]


前回の記事に個人的な話として書きましたが、どうも私の頭は理解力に欠けているようで、子供の頃から人の話を理解するのが苦手でした。
本は理解できるのですが、話を理解するのが苦手だったんです。
この点についてピーター・ドラッカー教授が面白い指摘をしています。
少し長くなりますが、彼の著作からそのまま引用させていただきます。

「読む人間と聞く人間」
仕事の仕方について初めに知っておくべきことが、自分は読む人間か、聞く人間かである。世の中には読み手と聞き手がいるということ、しかも、両方できる人はほとんどいないということを知らない人が多い。自分がそのいずれであるかを認識している人はさらに少ない。しかし、これを知らないことがいかに大きな害をもたらすかについては、いくつかの実例がある。
 第二次大戦中、ヨーロッパ連合軍最高司令官を務めていた頃のドワイト・アイゼンハワーは、記者会見の花形だった。……彼はあらゆる質問に答えられ…状況と戦術の説明は完璧、言葉づかいさえ洗練されていた。
 ところが、その後大統領になったアイゼンハワーは、10年前に敬意を払っていた同じ記者たちから馬鹿にされることになった。まるで道化のようだった。質問には答えられず、関係のないことを口にした。脈絡のないことを文法さえ間違えて話した。
 しかし彼の文章能力は、若い頃、要求水準の高いマッカーサー元帥のスピーチを書いて認められたほど高かった。
 アイゼンハワーは、自らが読んで理解する読み手であって、聞いて理解する聞き手ではないことを自覚していなかった。連合軍最高司令官だった頃は、会見の少なくとも30分前には、広報担当者が記者の質問を書いて渡していた。そのため質問のすべてを掌握していた。
 ところが大統領としての彼の前任者、フランクリン・ルーズベルトとハリー・トルーマンは、どちらも聞き手だった。二人はそのことを知っており、自由質問による会見を楽しんでいた。ルーズベルトにいたっては、二人の有能な閣僚、ジョージ・マーシャル将軍とディーン・アチソンに口頭による小1時間の解説を頼んでいた。もちろん二人への彼の質問も口頭だった。
 アイゼンハワーは、二人の前任者と同じかたちで会見をしなければならないと思い込んでいた。だが、耳では記者の質問が理解できなかった。聞き手でない者のなかには、アイゼンハワーと同じ経験をしている者が大勢いる。
 その数年後、今度はリンドン・ジョンソンが同じく大統領として、アイゼンハワーとは逆に、自らが聞き手であることを知らなかったために、評判を落とした。
 自らが読み手であることを知っていた彼の前任者ジョン・ケネディは、歴史家のアーサー・シュレジンガー、一流記者のビル・モイヤースなど、最高の書き手を集めた。彼は、問題の検討に入る前に、必ず書いたものを要求した。ジョンソンは、それらの書き手をそのまま引き継いだ。彼ら書き手は、次から次へと書面を提出した。しかし、ジョンソンがそれらのものを一度も理解しなかったことは明らかだった。彼は上院議員だった頃はきわめて有能だった。だいたいにおいて、議員というものは聞き手である。
 自分が右ききか左ききかを自覚するようになったのは、先進国においてさえ一世紀ほど前にすぎない。左ききは、まともに扱われなかった。しかも、右ききに転向できた者はほとんどいなかった。彼らの多くは、単に、無能とされ、ときにはその心理的な負担のために、どもるようにさえなった。
 左ききは、おそらく10人に1人にすぎない。これに対し、聞き手と読み手の割合は、ほとんど五分である。そして、左ききが右ききになることが難しいように、聞き手が読み手になることも難しい。同じことは、逆についてもいえる。
 したがって、読み手として行動する聞き手はジョンソンと同じ道をたどる。逆に聞き手として行動する読み手は、アイゼンハワーと同じ運命をたどる。何事も行なえず、何事も達成できない。
~ピーター・ドラッカー著 「明日を支配するもの」より抜粋~

この一文に出会えたことは、私にとってあまりに大きな衝撃でした。
これまでモヤモヤとしていたことを、実例をあげて完璧なまでに説明してくれたのです。
高校に入っても、予備校に行っても、大学に入っても、授業は全然理解できない・・。
しかし、読解力に関して言えば、私事で恐縮ですが、人並みよりもかなり高いレベルにありました。
現代文や国語の文章題に限れば、偏差値が70を下回ることはあまりありませんでした。
大学受験では、古文の勉強を一切しませんでしたが、それは、その部分の得点を現代文でカバーすることが出来たからに他なりません。
(今にして思えば、これは非効率な学習法です・・)
要するに、私は「読み手」だったのです。
「読み手」の人間に話して聞かせることは、右利きの人間に左手で作業させるようなものです。
ドラッカーの指摘通りならば、私が授業を理解できないのは当然の話でした。
さらに・・これは、私の仮説ですが、「ハーマンモデル」の考え方を応用すれば、この偏りにも程度があると私は考えています。
脳の容量を10と仮定すれば、その配分のバランスが人それぞれなんですね。
ある人は、
「読む4:聞く6」かもしれませんし、
ある人は、
「読む1:聞く9」かもしれません。
「利き脳」の概念を以前お話させていただきましたが、それに当てはめれば自分の得意な理解の仕方に偏ってしまっているのではないかと考えています。
つまり、私の場合は極端に読む方に能力が偏っていたんですね。
例えば、このように・・
「読むための能力9:聞くための能力1」
私が授業を理解することが出来なかったのは、こういう理由かとまさに目からウロコが落ちた思いでした。
こういう観点から、子供の教育について考えることは非常に有意義です。
例えば、典型的な「読む」タイプの子供を集団塾に入れることはあまり効果がありません。
なぜなら、授業が理解できないからです。
こういう子供には自主学習か家庭教師のような個人指導が向いているでしょう。
あるいは、典型的な「聞く」タイプの子供に独学を勧めてはいけません。
自分では理解できないので、やはり勉強が嫌になってしまうでしょう。
正直に言えば、私は大学卒業までの22年間、ほとんど授業を聞いていませんでした。
大学にいたっては、ほとんど欠席か講義は寝ていましたし、予備校は自習室に通っているだけの毎日でした。
中学や高校の授業はいつもノートに絵を書いていました。
早く終わらないかなと時計ばかりを見ていたのを今でも鮮明に覚えています。
開き直っていたわけではありません。
頑張ろうという気持ちがなかったわけでもありません。
いつも新学期が始まる度に、今年こそはと授業に臨んでいたのです。
でも、それが出来ない自分にいつも罪悪感を感じていました。
罪悪感はいつしか劣等感になり、こと学業面に関しては私の高校3年間は無に等しい時間となってしまいました。
浪人生活でいくらか取り返したものの、あの3年間は私にとってあまりに大きな損失でした。
ドラッカー教授の言葉は、そんな私を少しだけ認めてくれたような気がします。
自分の子供が「聞く人間」か「読む人間」か?
両方とも出来るに越したことはないのでしょうが、どうしても偏りは出てしまうようです。
それに合わせた指導をすることで、本人は救われるかもしれません。
私はドラッカーの言葉を中学生のときに知りたかったです。
大人の勉強法についてもちょっとだけ触れておきます。
当然のことながら、「読む」タイプは読書による情報収集が向いています。
「聞く」タイプは講義やセミナーによる情報収集が向いています。
「聞く」タイプの人はおそらく読書が苦手で、テレビとかの方が好きです。
「読む」タイプの人はおそらくテレビをあまり見ません。
最近になってようやくオーディオブックというものが一般化してきました。
アメリカなどでは非常に評価の高い学習法なので、私も過去に試してみたことがあるのですが、全く自分には合いませんでした。
なぜなら、私は「読む」タイプだからです。
でもきっと、「聞く」タイプの人が、本の内容を学習するツールとしては優れているのだと思います。
どうしても本が読めないという人は是非試してみてください。

最後に一つだけ。
そんな私でも理解できる素晴らしい授業を行う先生が全くいなかったわけではありません。
一例を挙げれば、河合塾で世界史の講義を担当する青木裕司先生。
この先生は私がそれまでの18年間の人生で初めて出会った「私にも理解できる」講義をしてくれる先生でした(彼の歴史観には共感出来ませんが・・)。
初めて授業を受けたときの感動は今でも忘れることが出来ません。
大学に合格してからも、わざわざお金を払って予備校の授業を受けに行ったほどです。
片手で数えるほどしか出会えていませんが、このように「読み手」に偏ったタイプの人間の心を動かすほどの授業が出来る先生は確実に存在するのです。
そして、その出会った先生達の全員が、講師としては一流と呼ばれる人ばかりでした。
やはり、そのレベルを目指さないのは、講師としての怠慢だと私は思うわけです。

コミュニケーション能力は学校のテストで測れるか? [コミュニケーション]


こんにちは。
10月になって急に息を吹き返したかのように、ブログを頻繁に更新しています。

社会人と学生の「頭の良さ」の違いについて、検証してきました。
その認識のギャップが起きる一点目の要因として、ロジカルシンキングと数学との関係について書いたのが昨日の内容です。
今日は、「コミュニケーション能力」におけるギャップについて考えたいと思います。
※「コミュニケーション能力」には語学力も含んでいますが、それは今日のお話からは除外して考えていきます。

コミュニケーションとは、他者と「何らかの接触を通じて」感情や意志や情報の伝達を行うことです。
最も一般的な手段が「言語」です。
話し言葉や文章などを通じて、私たちは自分の考えや思いを他者に伝えています。
あるいは他者から受け取っています。
しかし、コミュニケーション手段は「言語」に限りません。
むしろ「言語」以外の要素に負う部分が大きいと言えるでしょう。
怪しげなセミナーに行くと、よく「メラビアンの法則」というものが出てきます。
セミナー講師がそこで口にするのが、「コミュニケーションにおける影響の程度は、言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合を占めています」というお話なのですが、そんな馬鹿なお話はありません。
メラビアンがどんな実験をして、この数字を出したのかを調べれば、この説明は明らかに実験内容の拡大解釈であり、理論的な正確性を欠いたものだということがわかります。
(話の本題とそれるのでここでは触れませんが・・・)
しかし、この「(日本版)メラビアンの法則」はインチキだとしても、コミュニケーションを構成する要素が「言語」に限らないというのは本当です。

「怒ってるやろ?」
「怒ってないって!!!!!!(明らかに怒ってる)」

こんな会話は日常的にありえますからね。
20世紀最大の経営学者と言われるピータードラッカーさんはこうおっしゃっています。
「本当のコミュニケーションとは、情報の交換ではなく、知覚(感情)の共有だ」
またこうもおっしゃっておられます。
「コミュニケーションの向上は送り手ではなく、受け手によってもたらされる」
さらに、さらに・・こんなこともおっしゃっておられます。
「コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける能力である」

・・・・・もう一度まとめて繰り返します。

「本当のコミュニケーションとは、情報の交換ではなく、知覚(感情)の共有だ」
「コミュニケーションの向上は送り手ではなく、受け手によってもたらされる」
「コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける能力である」

さすが、ドラッカーさんです。
僕が書きたいことをたった3つの言葉に集約してくれました。
これが、コミュニケーションの本質です。
これらを前提とした上で、言葉や文章、あるいは身振り手振り、その他あらゆる手段を通じて、お互いの共通認識を作り出すことの出来る人間をコミュニケーション能力が高いと言うのですね。
上の言葉に、もう少しだけ説明を補足しておきましょう。

第一に、「情報の交換ではなく、知覚の共有」とはどういうことでしょう?
これは相手と感情レベルで理解し合えということです。
「嬉しい」、「怒り」、「哀しい」、「楽しい」・・
こうした感情を相手と共有できることが大切です。
コミュニケーション能力が低い人間というのは空気が読めません。
空気というのは、場の中にいる人間が作り出す知覚レベルの共通認識のことです。
それを正しく感じ取って共有することが出来る人間であることが大切です。
例えば、誰かのお子様が交通事故で急に亡くなったとしましょう。
そのお葬式で出されたお弁当をむしゃむしゃと全部食べる人。
こういう人は空気が読めない人です。
遺族の気持ちを汲み取って、その感情を共有出来る人ならこういうことはしないです。
例え、自分がその子供に会った事がなくても、悲しくならなくてはなりません。
そのためには、突然子供を亡くしてしまうという悲しみがどれほどのものか、想像できるだけの想像力が必要になります。
はい。ここで大切な事を書きました。
「想像力」というのはコミュニケーションにおける重要なキーワードになります。
あと30秒、覚えておいてください。

第二に、「送り手ではなく、受け手」とはどういうことでしょう?
これは比較的簡単に説明することが出来ます。
例えば、「日本経済の展望」というテーマについて講演会を頼まれたとします。
どこに行っても同じようにしか話が出来ない人はコミュニケーション能力の低い人です。
なぜなら、対象とする相手によって、使うべき言葉、たとえ話、話すスピード、声量・・すべて変化するはずだからです。
どんなに素晴らしい話でも相手が理解していなければ、何の役にも立ちません。
コミュニケーションの成否は送り手ではなく、受け手が決めるのです。
そうした意味で、本当に上手な伝え手というのは、極めて稀です。
相手に応じて変幻自在な伝え手こそ、コミュニケーション上手な人間であると言えるでしょう。

第三に、「相手が口にしていない言葉」についてです。
ここで先に述べた「想像力」が必要になります。
「想像力」がなければ、相手の言葉の背景を知ることが出来ません。
「怒ってないって!!!!!」
という言葉の裏側はこちらが想像するしかないのですから・・。
相手の真意を想像し、それに応じた対応をするのがコミュニケーションの原則になります。
「怒ってないって!!!!!」
と言われて、
「それは良かった。じゃ早速お願いがあるんだけど・・」
とはなりませんよね?

さて、ここまでのお話でコミュニケーションで重要なのは、「言語能力」に限らないということを説明させていただけたかと思います。
もうお分かりだと思いますが、学校のテストで問われるのは「言語能力」に限定されています。
これが学校の「頭の良さ」と、仕事上での「頭の良さ」が区別されてしまう要因の二つ目です。
コミュニケーションにおける「想像力」の欠如は文系職の社会人としては致命傷です。
これがないと、いくら読解力を測る「国語」の成績が優秀でも、「頭の良い」人材とはみなされません。「国語」のテストではこの能力はほとんど測れないわけですから当然です。

ただ、「国語」の名誉のために申し上げておけば、それは必要なことなのです。
なぜなら、日本語という言語を正確に理解する力を育てるのが「国語」の勉強だからです。
言葉を正しく理解する能力があるという前提で、状況に応じて、その言葉の裏側も想像することも出来るというのが大人のコミュニケーション能力なのです。
ゆえに、「国語」の勉強を通じて「読解力」を高めることが無駄だという結論にはいたりません。
言葉を正しく理解出来てこそ、その先があるわけですから。
「国語」の勉強は今も昔と変わらず重要なのです。

傾聴のスキル(レベル4)実践編 [コミュニケーション]

6月21日   

今日は実際に傾聴のスキルを使って、子供の悩み相談に取り組んでみたいと思います。
親と子供の心の動きに注目してください。

■あなたには中学3年生のお子様がいます。夏休み前に突然高校進学しないと言い出しました。

☆子供
「僕は高校に進学しないで働くことにした」
(またどうせ何か文句言われるんだろうな・・。でも絶対高校なんて行くものか!)
★親 
「あと半年で学校生活を終えて、社会に出る・・相当思い悩んでいるのかい?」
(これは学校で何かあったな。相当イライラしているぞ。まずは話を聞こう)
☆子供
「勉強なんて意味がないと思うんだ」
(そっか、あと半年もすれば働かないといけないのか・・それは嫌かも)
★親 
「勉強には意味がない・・何かつらいのかい?」
(そう言えば、模試結果が返却される頃だな。それが悪かったのかもしれないな)
☆子供 
「実は、今日一ヶ月前の模試結果が返ってきてさ。僕に行ける高校はないって
塾の先生が言うんだ。もし行きたいんだったら、夏休みは毎日6時間は勉強しろって。今まで勉強したこともないのにそんなに出来る気がしないよ。」
(今日は本音で話しても大丈夫そうだな)
★親
「そんなに勉強出来る気がしないってわけだ」
(なるほど悩みは分かったぞ。高校に行きたくないわけではなさそうだ)
★親
「でも、実際はそこまで勉強しなくても入れる高校もあるんじゃないかな?」
☆子供 
「僕が行きたいのはそんなに簡単な高校じゃないんだ!バカな生徒と一緒に勉強
するくらいなら働いた方がましだよ!」
(お父さんは何としても高校に行かせるつもりだな!)
★親
「高い目標を持っているからこそ、今の成績が不安だったんだね」
(いけない、いけない。感情的になってきた。もう一度よく話を聞こう)
☆子供
「そうなんだ・・。僕の行きたい高校に行くためにはあと100点必要なんだって」
★親
 「今回は何点取れたの?」
☆子供
「五教科で300点。全然ダメだったよ」
★親 
「なんだ全然悪い成績じゃないじゃないか!」
(確かに前回よりも大幅に下がったな。でも思ったよりひどくもない)
☆子供
「悪いよ!だって山田君は420点も取ったんだよ!」
★親 
「お前より120点も良かったんだ。それは悔しいね」
(また感情的になってるな。今はまだ話を聞く場面だ)
☆子供
「そうなんだ。前のテスト結果は一緒だったんだよ。勉強だって同じくらいしかしていな
いはずなのに、納得がいかないんだ。僕は頭が悪いのかなぁ・・」
(そうか・・僕は山田君に負けたことが悔しかったのかもしれない)
★親 
「テストが取れなかったから頭が悪い。だから落ち込んでしまった。高校に行きたくない
 というよりは、高校に行ける自信を失くしてしまったのかな?」
(何に悩んでいるのかが見えてきたぞ。要するに次のテストで山田君に負けないくらいの点数を取りたいが、そのための勉強に自信がないんだな・・)
☆子供
「そうかもしれない・・。頑張ってやっても点数が上がる保証もないし」

・・・・・

きりがないのでここまでにします。
どうでしょうか?
ポイントを整理して説明しますね。
キーワードは子供の「感情」です。相手が感情的に発言をしているときに論理的な説明をしても相手は決してこちらの言葉を受け止めることは出来ません。

例えば、「悪いよ!だって山田君は420点も取ったんだよ!」という場面。
論理的な返答例とその返答に対する子供の心の中を見てみましょう。

親「山田君はきっと見えないところで努力をしていたんじゃないかな?」
子供(それは僕が努力をしていないってこと?こんなに頑張っているのに)
親「成績には波があるから、今回はたまたま山田君の成績が良かったんじゃないかな?」
子供(僕は、山田君は本当に頑張っていたから点数が取れたんだと思う)
親「受験まで時間はある。120点の差なんてすぐに埋まるよ」
子供(お父さんは勉強がどれだけ大変か分かっているのかな?)

要するに何を言っても無駄なのです。
この段階では話を聞くこと以外に正解はありません。
まずは傾聴のスキルを使って、子供を落ち着かせなければなりません。
徹底的に話を聞くと、子供の感情に変化が訪れます。
今度は、親の論理的なアドバイスを聞きたくなるのです。
どうすれば夏休みに成績を上げることが出来るのか?
他にはどんな進学先があるのか?
お父さんやお母さんは受験のときにどんな苦労をしたのか?
そうしたお話に耳を傾けてくれるのです。
そのお話をしている段階で感情的な反応が返ってきたら、もちろん傾聴に戻らなければなりません。
相手の様子を見ながらこちらの対応を変えるのです。

以前、僕は書きました。
どんな育て方をしても愛情があれば、長期的にあなたと子供の関係は必ず改善されると。
しかし、愛情だけで子供が自立できる保証はありません。
そこにはやはり「育て方」のテクニックがあるのです。
この例で論理的な反応ばかりをこの親が示したと仮定します。
そのとき、子供には高校進学するだけの学力があり、本人も心の底ではそれを望んでいるにも関わらず、高校に行かないという選択を子供がしてしまう可能性が生まれます。
自分の立場を正当化するために、あえて間違った選択肢を選んでしまうんですね。
特に強い自分の意志を持っていて、将来が楽しみな子供にこの傾向が強いです。
これが教育の恐ろしさなんです。
高校進学がすべてではないですし、それ以外の選択肢でももちろん良いのですが、今回の子供の例で言えば、彼が高校進学しないのは正しい選択とは思えません。なぜなら彼自身の本音は高校に行きたいからです。
それを察して上手く導いてあげるのが親の大切な役割でしょう。

このコミュニケーションスキルはもともと大人のためのものです。
ビジネスでも充分に使える内容ですので、ぜひ仕事でも活かしてください。
それではまた。
こうしたテクニックも随時公表していきます。


聞く力 [コミュニケーション]

6月20日

さて、昨日の質問に対しての回答をしたいと思います。
あえて最善の答えを述べるなら、
「あと半年で学校生活を終えて、社会に出る・・相当思い悩んでいるのかい?」
となります。
これって、Bの答えに似ていますよね?
「その理由を話してごらん?」と一体何が違うのでしょうか?
実は、どこに話の焦点を当てているのかが違います。
Bの回答はあくまでも「なぜ高校に進学をしないのか?」についての質問です。
しかし、先の回答はそうではありません。
子供の感情面に対しての質問になっているのが重要なポイントなのです。
高校に行きたいかどうかではなく、子供が今、何を感じているのかを理解しようとするための質問なのですね。

それでは、なぜこのような返答が最適なのかを見ていきます。
人間関係の原則として、
「自分を理解していない人間を理解しようとはしない」
と言えます。
これは親子のような間柄においても例外ではありません。
いえ、むしろ親子だからこそ、より顕著にこの傾向が現れると言えます。
子供が突拍子もないことを言い出すのには理由があります。
まずあなたに求められるべきことは彼や彼女の立場に、自分自身を置き換えて徹底的に理解するように努めることです。特に理解すべきは相手の論理ではなくて、感情です。
このようなことを突然言い出した場合、子供の感情は何かしら波立っています。
感情的になっている相手に、論理でいくら対抗しても火に油を注ぐようなものです。
子供からは自分の考えを正当化するための言葉しか引き出せません。
まずは感情的になっている相手を冷静にしなければなりません。
そこから論理的な話が始まるのです。
しかし、相手の感情を落ち着かせるのは簡単ではありません。
相手の感情を理解するための、話の聞き方として傾聴のスキルを説明します。
あくまでもスキルなので、これが全てだと思わないでください。
傾聴のスキルには4段階あります。
まずレベル1。これが最も簡単です。
それは「相手の言うことを繰り返す」です。
「高校に行きたくないと思っているんだね」
これでOK。
こうした話の聞き方が出来ていなかった方は、このように聞いてあげるだけでもお子様の反応は劇的に改善します。少し子供の心の中をのぞいてみましょう。

子供 「僕は高校に進学しないで働くことにした」
(またどうせ何か文句言われるんだろうな・・。でも絶対高校なんて行くものか!)
母  「高校に行きたくないと思っているんだね」
(えっ!?何で何も言わないの?)
子供 「そうなんだ・・勉強なんて意味がないって思ってさ」
(しっかりやった方がいいかもしれないけど、僕には僕なりの生き方がある!)
母  「勉強には意味がない・・」
(え、えっ!?それを認めてくれるの?じゃ、僕の本音を話してみようかな?)
子供 「実はさぁ・・昨日実力テストが返却されたんだけど、・・」

実際、ここまで簡単にいくかはわかりませんが、まぁこんなものです。
暖簾に腕押しのようなもので、イライラの矛先を見失ってしまうんですね。
これが傾聴の威力です。
相手が感情的な問いかけをしてきたときはまずそれを落ち着かせなければなりません。
そのためには相手の話を徹底的に聞く姿勢が求められるのです。

それでは次に傾聴のスキル、レベル2を説明します。
次の段階は「相手の言葉を自分の言葉に置き換える」です。
これだけでかなり聞き方が洗練されます。
上の例で示せば、こんな具合です。
「中学校で学生は止めて、もう社会に出たいんだね?」
「勉強は将来の役には立たない・・・」
このように相手の言葉を自分の言葉に置き換えて発信するのです。
彼の言葉を感情的に理解している上に、新しい気付きを与えることが出来ます。
オウム返しのように反応するよりも真摯な姿勢も伝わりやすいです。

レベル3になると、少し難しくなります。
この段階では、「相手の言葉の感情を反映」するのです。
つまり、
「相当思い悩んでいるんだね」
「珍しく落ち着きをなくしているみたいだね」
相手の言葉から心情を察して、その心情を反映します。
これは傾聴のスキルでも高等技術です。
なぜならあなた自身が子供の発言の中に含まれている感情的な側面を理解しなければならないからです。
もちろんこの発言に対して、あなたが感情的にならない冷静さも求められます。
あなたが感情的に心情を反映する言葉を投げかけるとしたらどうでしょうか?
「何をイライラしてるのっ!!?」
・・・最悪です。
あくまでもあなた自身が子供の発言に対して冷静でなければこのスキルは使えません。

そして最終段階。傾聴のレベル4です。
これは、「内容を自分の言葉で言い換えて、感情も反映する」です。
すなわち、本日のブログの冒頭で出した例です。
「あと半年で学校生活を終えて、社会に出る・・相当思い悩んでいるのかい?」

なぜこの返答が最適なのか?
明日はこのスキルを使った場合の、子供の心の変化を追ってみたいと思います。



99%の子供の理解を得られるコミュニケーション法 [コミュニケーション]

6月19日

英語学習については前回までで一回お休みします。
初めは色々なテーマでお話を進めたいと思っていますので、しばらくしてからそれぞれのもう少し踏み込んだ内容に入っていきたいと考えています。

今日は子供の理解を得られる究極のコミュニケーション法についてお話します。
現時点で考えられる最高のコミュニケーションスキルです。
スキルなので、技術です。
技術は愛情という土台がなければ、真の効果を発揮出来ませんが、
このようなブログを読んでいただくくらいなので、それは大丈夫だと思います。
僕はこの技術を身につけて人生が変わったと言っても過言ではありません。
対人関係において絶大な効力を発揮します。

分かりやすいように、ケーススタディで説明したいと思います。
今回のケースは大げさに思われるかもしれませんが、実際に良くあるお話です。

★中学3年生の夏、突然子供がこのように言い出したらどうしますか?

「僕は高校に進学しないで働くことにした」
(あなたはもちろん子供には高校に進学してもらいたいと考えています)

これに対しての回答を列挙してみましょう

Aさん 「何を言っているんだ!」(怒り出す)
Bさん 「その理由を話してごらん?」(質問する)
Cさん 「それはいい考えだ!」(同意する)
Dさん 「学校の勉強は無駄だと考えたんだね、でもそれは・・」(解釈する)

さて、正解はどの親の返事でしょうか?

心の中で正解を考えてみてください。
では正解を見ていきましょう。
まずはAさん・・これは問題外ですね。
子供は自分なりに悩んだ結果、親であるあなたに大切な相談をしているのです。
たとえそれが間違った答えであれ、否定してはいけません。
子供はあなたへ相談をする気を失くすでしょう。
確実に親と子の距離が開くと考えてください。最もダメな反応です。
「いや、そんな反応をするはずがない!」
結構皆さんそのようにおっしゃられますが、本当にそうでしょうか?
子供の成績が返却されたときなど感情的に怒っていませんか?
「叱るときは理性的に、ほめるときは感情的に」
これは教育の基本です。怒りたいときほどぐっとこらえてください。
次はBさんの反応ですが、一見いい解答のように思えますよね?
でも×です。今の子供の考えでは高校に行かないことが正解なのです。
その理由を話したところで、それを正当化するための言葉しか出てきません。
そしてその言葉によって、さらに自分自身の想いを強めてしまう結果になるでしょう。
なぜそう思ったのかは後で聞けば良いのです。
次にCさん。これも不正解の反応です。子供の意見に安易に迎合するのは良くありません。
理由も話していないのに、そんなことを言われるとかえってあなたへの信頼を失う要因になります。今後、大切な人生の相談をしようとは思わないでしょう。
最後はDさん。これが正解?
実はこれも×です。残念ながらここに正解はないのです。
Dさんのケースは子供に対しての愛情が深く、頭のいい大人が選びがちな反応です。
でもそれは・・の後にどんな言葉が続くのかといえば、高校に行かないデメリットについての客観的な意見か、自分自身の自叙伝に沿った苦労話です。
例えば、こんな具合に・・
「お父さんも中学校3年生のときに同じことを思ったよ。一時は学校の勉強もすべて止めてしまってねぇ・・でも中学3年生の夏に気付いたんだ。とりあえず行ってみるだけでも悪くないんじゃないかって。入ってから辞めることも出来るわけだし・・・(延々と続く)」
残念ながら、子供はこのような話を求めていません。
いえ、正確には今の段階では求めていないのです。
そういった経験談をお子様に話して聞かせてあげることは非常に重要ですが、子供が何かの相談をしているときにするべきお話ではないのです。

すべて不正解・・。
では、どのように答えてあげるのが、ベストなのでしょうか?

私ならほぼ100%の確率でお互いに望む結論を出せると思います。
別に偉そうにするつもりはありません。
そういう技術を学んで実践してきたからです。
誰にでも出来ることだと思っています。

正解は明日のブログでお話をしていきたいと思います。
お楽しみに。
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