問題解決の事例 [論理的思考能力]


こんにちは。
ソフトバンクの孫正義社長が100億円を寄付するというニュースがありました。

http://www.zaikei.co.jp/article/20110404/70111.html

かっこいいですね。
どんな理由であれ、被災地の方々にとってはありがたいお話なわけです。
影響力の大きな人が、正しい行動に影響力を発揮してくれるのは、とても喜ばしいことだと私は考えています。
名誉や地位を得ることに貪欲な若者が減ってきているように感じます。
その一方で、ボランティアなど人助けに意欲的な若者が増えてきているようにも感じます。
これは日本が豊かになってきた象徴だと思うのですが、上昇志向ともいうべき欲が減ってきていること自体は少し残念なことのように思います。
そうした欲はやはり強烈なモチベーションとなりますし、それが経済の活力の源にもなるからです。
孫社長の義援金を見ても分かるとおり、ある程度の収入や地位がなければ人を助けようと思っても、出来ることには限界があるわけです。
正しい考え方を持った若い人は孫社長のように大きな夢を持つことを忘れて欲しくないなと思います。

さて、本日の内容に入ります。
前回までのやり方による問題解決の事例を紹介させていただきます。
実際の問題解決の場面で、これは「演繹法」でいこうとか、「帰納法」でやろうということをあらかじめ決めておくことはありません。
(※これは私の個人的なお話であり、検証したわけではないのでわかりません)
「演繹法」とか「帰納法」という言葉自体使わないです。
このブログでは思考法の説明をするために使ったにすぎません。
結果的に「演繹法」的なアプローチとなる場合と、「帰納法」的なアプローチとなる場合があるのですが、ほとんどの場合は両方をいったりきたりしながら、同時に思考を行っています。
ただ、思考が始まるきっかけとして、どちらから行うかについては傾向があります。
目の前にある問題を解決したいときは、「帰納法」。
あまりに問題がごちゃごちゃしていて、よくわからないときは、「演繹法」から思考が始まります。
「帰納法」は、何らかの「現象」に対して、「なぜ?」と思うことが思考が始まる契機です。
「なぜ?」という問いかけは、イメージ的には誘爆装置のボタンです。
自分なりに納得できる答えに辿りつくまで思考は続きます。

では、実際の思考がどのように進んでいくのかを、私の例で説明させていただきます。
この例について、最初に結論から申し上げると、私はお礼を言う習慣が身につけば、「気付き力」が向上するという自説を持っています。
これは他の人にとっては、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な意味不明のロジックかもしれませんが、私にとってはきっちりとつながった論理です。
どういう風にして、そのような結論を導いたのか頭の中の思考の流れを追っていくことにします。
以下のケースは例え話ですが、思考の流れは忠実に再現してあります。

塾に慣れていない生徒が休憩時間、教室の中で不安そうにしていました。
A先生はすぐに気付いて声をかけにいきましたが、近くにいたB先生は何も気付かずに、他の先生のところに雑談をしにいきました。
これは、私にとっての「現象」です。
B先生は「なぜ」A先生と同じように声をかけることができなかったのだろう?
この「なぜ?」が思考の誘爆装置のボタンを押したことになるんですね。
「多分、こういう理由だろう」というアイデアが頭の中に次々と浮かんできます。
ただ、この段階で思いつく理由はすべて仮説で、正確性が保証されたものではありません。
ここでの思いつきは、飛躍した論理もあれば、そうでない論理もあり、粒もそろっていません。
昨日までの図で説明すると、

図1.jpg

粒がそろっていないとは、一気にAもBもCも思いついてしまうという意味です。
一例を挙げると、
「たまたま見逃していたから?」
「能力が低いから?」
「しつけがなされていないから?」
「その子供のことが嫌いだから?」
「経験が少ないから?」
「忙しかったから?」
「やる気がないから?」
・・・
このように色々と、その「なぜ?」に対する答えが思い浮かんでくるんですね。
そして、仮にこういう答えが出ました。
本人の「気付き力」が足りないからだ。
その理由は、その講師は他のシチュエーションにおいても似たような行動を繰り返していたからなんですね。
ただ、やる気がない・能力が低いというのはどうも違うような気がしました。
なぜなら、彼は比較的ベテランの先生で、今後の教室のあり方について、頻繁に意見を口にしてくれる先生だったからです。
ですので、「やる気」、「能力」という理由は選択肢から消しました。
さらにその後も彼の観察を続け、「たまたま見逃した」わけでもなく、もちろん「その子供のことが嫌い」なわけでもなく、「忙しかった」わけでもなさそうだというように、消去法でどんどん消していき、妥当と思える答えを導き出したわけです。

生徒を無視した→無視してしまうのは彼の「気付き」力の欠如によるものである

最終的には、このような至極当たり前のロジックが私の頭の中に出来ました。

図①.jpg

そして、また思考が始まります。
「なぜ?」彼の「気付き力」は低いのだろう?と。
ここで思考が止まってしまいました。
「気付き力」が低い原因がわからなかったんですね。
そもそも「気付き力」っていったい何なんだ?
と今度は逆方向に思考が始まります。
その結果、私は「気付き力」には二種類あるように思いました。
B先生に足りないのは、身の回りで起きている事象に対しての「気付き力」ですが、社会や会社の矛盾点を発見する能力といったものも「気付き力」と呼べるのではないか?そういう気がしたのです。
先に述べたように、B先生の場合後者の能力には長けていたのです。
教室をもっと良くするための改善案などについては、比較的良く出してくれる講師でしたし、問題点をかなり正確に把握していることに驚かされることもありました。
このタイプの「気付き力」は分けて考える必要があると思い至ったんですね。
私はそれぞれを、「状況把握力(注意力)」、「課題発見能力」と区別してみることにしました。

図.jpg

そうすると、上手く切れました。
B先生に足りないのは、「気付き力」ではなく、状況把握力とも呼べる能力だったんですね。
ピンク色で示した部分の能力が不足していたわけです。
さらに言えば、彼はゴミを拾ったり、そういう些細なことも苦手でした。
細かい点を挙げればきりがないのですが、とにかくそうした能力全般が欠如していました。
それぞれは「現象」です。
さて、彼に対してどのような指導を行うのが適切なのでしょうか?
生徒がいたら声をかけなさい、ゴミは拾いなさい、新人の先生はフォローしてあげなさい・・
こういうことをその都度指導するのはなかなか大変です。
問題は形を変えて何度でも起こりますからね。
ところが、こうした「現象」を生み出している原因が彼の「状況把握力」の欠如に起因しているものだとするなら、この一点を解決するだけで他の諸問題も同時解決出来るはずです。
「気付き力」を高めるための方法があるなら、もっと多くの問題が同時解決します。
結果的には、いくら考えても「気付き力」全体を高める方法論を思いつくことは出来ませんでした。
「状況把握力」と「課題発見能力」はやはり別々のアプローチで鍛えるしかないというのが私の出した結論です。
では、片側の要素である「状況把握力」はどのようにすれば高めることが出来るのか?
私が出した仮説は「しつけ(特にお礼をいう習慣)」をしっかり行うことで、それは高められるというものでした。
それについては過去に「気付けない人は何が足りないか」という記事を書かせていただきましたので、そちらを参照していただきたいと思います。

http://kisekinokyoiku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-04

記事に書いたとおり、その仮説は概ね正しかったように私は感じています。
自分の教室の中にそうした習慣を根付かせることにより、生徒をほったらかしにするといったケースはかなり減りましたから。
数字による検証をしなかったのが残念ですが、減ったのはほぼ間違いありません。

しつこいようですが、これまでの内容を下にまとめさせていただきました。
繰り返しになりますので、もう理解できたよという方は以下を読んでいただく必要はありません。
次回ブログではもう少し詳しく「しつけ」について考えていきます。

★★★★★★★★★★★★

私の出した仮説は以下のようなものですね。

図③.jpg

「気付き力」を構成している要素をMECE(漏れなくダブりなく)切り分けた結果、「状況把握力」と「課題発見能力」という二つになったわけです。
「状況把握力」が足りないために起こる「現象」はたくさんあります。
「課題発見能力」が足りないために起こる「現象」も同様にあります。
(※概念図では省略してあります)
現象①~⑩までの問題を一気に解決するためには、「気付き」力全体を高めるしかありません。
「気付き」力が改善すると、すべての現象も同時に問題解決します。
図によって説明するとこんな感じです。

図④.jpg

一番上がオレンジ色になることで、それを構成する他の要素もすべてオレンジ色になります。
この方法があればそれが最善です。
そのための方法論を探りましたが、それは見つからなかったわけです。
そこで、「状況把握力」のみに限定し、そちらの問題解決策を探りました。
その結論が「しつけ」だったわけです。

図⑤.jpg

そのことによって、現象①~⑧までのすべての問題が改善されていったということです。
それぞれの現象とは、例えば、生徒に気付かないこととか、落ちたゴミを拾えないこととか、新人の講師のフォローを行えないことなどです。
現象①~⑧それぞれを個別に対応していたのではあまりに時間がかかりますし、「状況把握力」の欠如がもたらす問題は①~⑧以外にも数多くあります。
要領がいいというのは、こういうことです。
「本質」を探り出し、その解決策を発見することが出来れば、こうしたことが可能になるのです。

★★★★★★★★★★★★



この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。