色々な事を思いつく能力 [勉強の役割]


こんにちは。
今日も「発想力」についてです。
学生時代に勉強面でさして脚光も浴びなかった人が、社会に出て活躍することがあります。
活躍するだけではなく、「頭がいい」と周囲の人に言われる人がいます。
そんなとき、その人は決まってこう言います。
「いやいや、学校の成績はいつも悪かったんですよ。」
こうした出来事がなぜ起こるのか検証しましょうというのが、ここ最近の記事です。
なぜこんな事を書くのか?
先の議論が行き着く先のひとつに「学校の勉強には意味がない」というものがあります。
そうは言わないまでも、そう考える大人は意外に多いです。
大人が内心そう考えているのに、子供が自分から積極的に勉強をするはずがありません。
子供は親が考えているよりもずっと親の事を見ています。
だってそうでしょう。
いくら小学生、中学生と言ったって同じ家に暮らしているわけですから。
本音はいつまでも隠しておけないと知るべきです。
では、どうするか?
勉強の有意味性について大人が理解するしか仕方ありません。
そのためのブログですし、そのスタンスは初回から一貫しています。

少し復習を行います。
なぜ大人と子供では、「頭のよさ」の実感がずれるのか?
その理由の一つ目が「ロジカルシンキング」でした。
「ロジカルシンキング」については、中学生まではあまり問われません。
高校数学で主に鍛えられる能力なのですが、高校数学を大学受験レベルまでやりこむ学生は意外に少ないです。
中学生までの数学で重視されるのは、計算力です。
計算力がある=中学の数学の成績が良い=ロジカルシンキング能力が高い
とはなりません。
ロジカルシンキングが出来ると、社会では「頭の切れる」人材とみなされますが、中学数学はその有無を証明しません。
中学数学は高校数学を理解し、ロジカルシンキング能力を高めるための準備期間と位置づけるほうがその役割を正確に表している気がします。
計算が早いというだけで「頭が切れる」とは言われません。
第二に、コミュニケーション能力の問題を取り上げました。
大前提として、日本語を正しく理解できる能力(あるいは外国語)が必要であり、それを学ぶのが国語(英語)です。
しかし、コミュニケーションは言語によってのみなされるわけではありません。
相手の言葉にならない感情までも察し、それに対応の出来る人間が社会では求められています。
それが出来ないとデキナイ奴とか変わり者扱いされてしまいます。
この点でのギャップが、誤解を生む二点目のポイントです。
この二点で充分なようですが、まだ足りません。
なぜなら、社会には、ロジカルに物事を考えることも出来なくて、人とのコミュニケーションも苦手だけれども、「頭が良い」とみなされる人間がごく少数ながらもいるからです。
それが、どんな人か想像してみてください。
もしかすると、科学者とかコンピューターの技術者をイメージされるかもしれませんね。
しかし、そうした人達ではありません。
ロジカルシンキングが出来なければ、検証能力はありません。
どういう事かといえば、アイデアは出せてもそれが正しいかどうかを試す力がないということです。
ですので、こうした人は上記の職には就けません。
僕が思うに、こうした人は芸術家などアーティスティックな世界にいるような気がします。
お笑い芸人とかも含まれるかもしれませんね。
例えば、松本人志さん。
彼のロジカルシンキング能力やコミュニケーション能力を度外視して考えても、「頭がいい」と考える人が多いのではないでしょうか?
次から次へと面白い事を思いつく姿を見て、「松っちゃんは頭がいいなぁ・・」と感心する友人の姿を見たのは一度や二度ではありません。
こういう人たちをどう考えればいいのか?
身も蓋もない言い方ですが、「天才」として特別扱いでいいんじゃないかな?と僕は思っています。
その変わりこういう人は滅多にいません。
身の回りにもいませんし、マスメディアの中にもほとんどいません。
あまりに希少なので、例外として考えて支障はないと思います。
そういう風にはなれないという存在がいることを知ることも大切です。
その一部の例外を普通の人が目指そうとすれば、もちろん不幸なことになります。
前回書きましたが、「発想力」というのは、応用力なので、その前提となる知識や計数能力が高ければ、「発想力」や「創造力」は自然と身につくというのが、僕の考えです。
既存の知識の枠組みを活用し、ほんの少しだけ先のことを想像して、それが正しいかどうかを仮説検証し、また前に進む。普通はこれで充分でしょう。
それは普通の勉強をしっかり頑張った先にある世界です。
まだ反論があるかもしれません。
「ほんの少しだけ先のことを想像する」にも個人差があるのではないかと。
確かにあります。
それもかなりの個人差があります。
しかし、僕はこれを「発想力」や「創造力」の有無ではなく、問題意識や責任感や使命感の問題だと考えています。
経営者を見ていれば分かります。
彼らが新しいことをどんどん思いつくのはやはり、いつも自分の会社の事を考えているからではないでしょうか?
おそらく、「発想力」に大きな個人差はありません(天才は別として)。
四六時中その問題について考えていれば、誰にでも多くの気付きや思いつきはあるものです。
日常、目にする光景の中に、そのような個人差があるとすれば、大部分は仕事への問題意識のレベルの差ではないかと僕は思います。

それを「頭の良さ」という便利な言葉で片付けてしまうのはいかがなものかと思うわけです。

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