神に祈るな! [教育全般]

7月3日  

刺激的なタイトルですね(笑)。
別に宗教を否定しているわけではございません。

皆さんのお子様は受験前に合格祈願に行きますか?
自分の子供なら、僕はこう言います。
自分の人生の一大事を「神に祈るな!」と。
たとえ0.1%でも何か他の力に期待して欲しくないのです。
受験は自分の力で切り拓くものです。誰かが助けてはくれないのです。
自分だけの戦いですし、だからこそ価値があるとも言えます。
人生の厳しさをそこで学ぶのです。
同時にこう思います。
たかだか受験なのです。
そんなもので自分の人生が決まるわけではありません。
ましてや合格したからと言って、幸せが約束されるわけでもないのです。
やりきったのなら、不合格でも充分価値はあるでしょう。
受験という体験を通じて人間的に大きく成長することに意義があるのであって、結果はあまり関係ありません。そこから何を学ぶかが一番大切なのです。
仕事では「結果」を求められますが、受験は子供の成長の「過程」です。
受験という体験を通じて、社会の厳しさの疑似体験をしているのです。
どんな高校や大学に進学しようとそれからの逆転は本人次第で充分可能なのですから。

僕は宗教的に定義すると、「無信仰」であると言えます。
初詣にも行くし、クリスマスもお祝いするといったおそらく日本で最も多い人種です。
つまり、お参りに行くも行かないも自分の意志次第という立場ですね。
そういう人間が神社やお寺にお参りに行ってどんな願い事をするでしょうか?
「今年一年も幸せでいられますように」
「大好きな彼女と結婚できますように」
「商売が上手くいきますように」
・・・・
こんな感じでしょうか?
僕はこういうことを神様にお願いするのはどうかと思います。
現実世界で自分が何を出来るのかを考えるのが、大切だと思うからです。
お参りってあまりにも他力本願じゃないですか?
人のために何かを祈るのであればいいと思いますけどね。

このように自分の期待を「神に祈るな!」とは思います。
でも、お寺や神社には行くべきだと思います。
何をしにいくのかと言えば、「お礼参り」です。
※注)
特定の宗教を信仰されている方々は、このように考えていただく必要はありません。
あくまでも「無信仰」の立場としての意見です。

先の受験の例なら、「合格してからお礼に行きなさい」と言うと思います。
決して、神様を軽んじているわけではないのです。
大切なことを何かに頼るのが嫌なだけです。
僕はあるときから神社で何かを期待して祈るのを一切やめました。
その代わり、神社では「感謝の気持ち」を心の中で述べようと決めたのです。
僕はそれだけでこんなに人生に対しての考え方が変わるものかと驚きました。
よく、「感謝しなさい」と言われますが、僕はその言葉の本当の意味を長い間理解出来ませんでした。
道徳的にそうしたことが大切なのかと思っていたくらいです。
しかし、今は周りに感謝しながら生きることほど幸せな人生はないと考えています。
子供の幸せを願う親の役割として大切なのは、「周りに感謝する」という心を子供に持たせてやれるかどうかです。これは「人や環境のせいにしない」と並んで親が子供に教えるべき最も重要な人生訓とさえ言えるでしょう。
どちらの考えも子供の自立心の育成に深く関わることだからです。
「神に祈るな!感謝せよ!」は非常に効果的な言葉だと思います。
なぜなら、そこには先に挙げた二つの人生訓が二つとも含まれているからです。
子供のときからそう習慣付ければ、「何かに頼るのではなく自分の力で人生は切り拓くもの」という教えと「自分の力でやっているように見えても、人は周りに支えられながら生きている」という教えをあくまでも自然に伝えることが出来ます。

今日はここまでにします。
「感謝すること」が、なぜ幸福感や自立心の育成につながるのかは明日お話しましょう。


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