「読み」「書き」「そろばん」 [国語]

7月1日

今日は国語の知識分野についてお話を進めます。
国語の知識分野と言えば、「漢字や語彙力」と「文法」と「文学史」などがあります。
僕はあまり「文法」には興味はありません。
勉強のための勉強という単元だからです。
教育者以外は社会に出てもあまり役に立たないと思っています。
だから思い切って省きます。
「文学史」は「社会」の一部だと思っているので、ここでは取り上げません。
語彙力は大切ですが、辞書を調べる習慣からということでいいでしょう。
それについては先日お話しました。
・・・というわけで今日のメインテーマは「漢字」です。

特に小学生のお子様を持つ保護者の方にお伝えしたいことがあります。
勉強の出来る子供に育てたいのであれば、「漢字」の勉強はたくさんさせてください。
特に書き取りが重要です。
そうです。ノートに何回も何回も同じ漢字を筆写するアレです。
幼稚園児でも出来る最も原始的で簡単な学習方法です。
昔から言われる言葉に「読み」「書き」「そろばん」というものがあります。
長い間、伝えられる言葉だけあって、これは学習をする上での最も重要な能力について述べた一つの真実なのだと思います。
僕の教育理念にも同様に3つの重要な学力の資質があるとお話しました。
すなわち、「読解力」、「計算力」、「暗記力」の3つです。
これが現代版の「読み」「書き」「そろばん」と言いたいところですが、実は意図するところはほとんど変わらないと思っています。
では、確認してみます。
「読み」は読解力。
「そろばん」は計算力。
これは分かっていただけると思いますが、
「書き」=「暗記力」?
ここに疑問を感じられる方も多いのではないでしょうか?
「書き」というのは作文のような表現力のことでは?と多くの方が誤解されています。
「読み」「書き」「そろばん」を教育指針とした指導の起源は江戸時代の寺子屋にさかのぼりますが、当時の意味するところの「書き」というのは「手習い」のことで、書道による文字の練習のことです。
現代の勉強に当てはめるなら、漢字の書き取り練習が最も近いんですね。
漢字練習が「書き」と言えるのは分かったが、なぜそれが「暗記力」とつながるのか?
今度はこんな疑問が出てくると思います。
実は、暗記方法には二通りあります。
僕の造語ですが、「単純暗記」と「関連暗記」です。
「関連暗記」の方が脳の仕組み上、覚えやすく忘れにくいです。
そして「関連暗記」に基づいた画期的な学習体系こそが「マインドマップ」なのです(※後日紹介)。
今日は「単純暗記」のお話です。
英単語や構文の覚え方についてお話をしたのを覚えておられますか?
五感をなるべくたくさん使って、脳に刷り込ませるように覚えましょうといいました。
脳科学者の茂木健一郎氏が、実際に実践してきた「鶴の恩返し勉強法」という勉強方法を紹介しておられました。なぜ鶴の恩返しかと言えば、勉強している姿を誰にも見せることが出来ないかららしいです(笑)。
机を叩いたりしながら、単語を覚えていたと本人はテレビでおっしゃっておりました。
まさしく「単純暗記」式勉強法の極意と言えるでしょう。
さて、この漢字の書き取りなのですが、まさしく「単純暗記」の典型と言えます。
そして「単純暗記」力は鍛えることが出来るのです。
もうお分かりでしょうか?
そうなのです。「漢字」の勉強は「漢字力」のためだけにあるわけではないのです。
日本に古来より伝わる学問の基本練習、「書き」を通じた「暗記力」の錬成なのです。
中学校1年生まで全く英語を勉強してこなかったが、漢字の成績は抜群のAさんと小学校のときに英会話を習っていたが、漢字は何よりも苦手なBさん。
勉強時間は全く一緒だと過程します。
この二人を並べてみたときに、3年後にどちらの英語の成績の方がいいかと聞かれれば、僕は断然Aさんと答えます。なぜなら勉強の基本が出来ているからです。
塾で長年指導していると奇妙なことに気付きました。
どういうわけか小学校で「漢字」の勉強を頑張ってきた生徒は、英語の成績が伸びる傾向にあったのです。英語と国語はもともと関係のない科目です。
なぜなのだろうか?と検証を進めていた結果、上のような仮説にたどり着いたわけです。
「書き」にしろ、「計算」にしろ、単純な勉強方法だけに最も求められるのは集中力なのですね。それを得意と言えるレベルまで練習を積み重ねた生徒には間違いなく集中力が身についているのです。
集中力のある生徒は「単純暗記」のような退屈な勉強もどんどんこなします。
「勉強体力」がついていると言えるでしょう。
そして、「英語」の学習に最も求められる資質は、そうした粘り強さなのです。
たしかに小学校の間は「英語」の授業はありません(ある学校もありますが)。
しかし、大学受験や高校受験で最も重要視される「英語」の勉強は、小学校から始まっていると言えます。
それが漢字の書き取り学習です。
小学校から興味のない英語を勉強させる必要は全くありません。
嫌々ながら英会話学校などに通っているのであれば、すぐに止めさせるべきです。
そんな時間があるなら漢字の書き取り練習をがんがんやらせてください。
それが一番中学英語の成績につながります。

少し厄介な問題があります。
漢字の勉強は単純作業なだけに飽きがきやすいのです。
一生懸命勉強させるための方法論を二つご紹介します。
漢字学習の利点は自分ひとりでどこまでも学習を進めていける点にあります。「蜻蛉」と小学校一年生が練習したっていいわけです。日記に「今日は蜻蛉を取りました。」なんて書いてあったら先生はびっくりします。
「蜻蛉」なんて大学生でもなかなか読めません。
小学校1年生が三角関数の勉強をするのは無理がありますが、「蜻蛉」の書き取り練習なら出来るのです。
子供は大人でも出来ないことに挑戦することにたまらなくやりがいを感じます。
あえて難しい漢字をたまに覚えさせることで、子供に自信を与えるのが一つです。
もう一つは漢検です。
検定試験という仮のゴールを設定することで、子供のやる気を促すのです。
漢検6級を持っていても社会に出て何の役にも立ちませんが、そうしたやる気の促進方法としては使えます。
ただ、ニュースになっている通り、漢検には色々問題もありますが・・。
まぁ、そのあたりの判断はお任せします。
個人的には「漢検」にチャレンジさせるのは悪いことだとは思いません。

以上、今日は漢字がテーマでした。
「国語」の学習についてはいったんここまでにします。
次は「社会」に入ります。

新タイトル決定! [ブログタイトルの由来]

7月2日

いつも読んでいただいてありがとうございます。
昨日、めでたく学問部門で25位に入ることが出来ました。
ずっと25位以内を目標に頑張っていたので、ものすごく嬉しいです。
前にも書きましたが、本の出版を目標としてこのブログを開設しました。
教育に関して蓄積してきたノウハウはそれなりにあったのですが、いざブログとして書いてみると文章を書くことってこんなに難しかったのかと愕然としました。
文章を書くことは嫌いではなかったのですが、他人に向けて情報を発信することの難しさを痛感しております。いや、本当に難しい。作家やライターを心から尊敬します。

物書きについての定義として、
「簡単なテーマを読みやすく書けて三流」
「難しいテーマを難解に書けて二流」
「難しいテーマを読みやすく書けて一流」
こう思っています。

この定義で言えば、僕の場合、簡単なテーマを難解に書いているので四流です。
それでも読んでいただける方がいるのは、教育についてそれだけ問題意識を持たれている方が多いということでしょう。もっと読みやすく書けるように努力しようと思います。
今、僕が考えているのはベストセラー作家の文章の筆写です。
「これは!」と思う何冊かの本の一部を筆写してみて、文章作成のコツをつかむ作戦です。
しかし、ある程度は慣れだと思いますので、ブログの連載を続けていく中で作文が上手になることを願っています。というわけで、しばらくは読みにくい文章が続くかもしれませんが、気長に付き合っていただければ幸いです。少しずつ改善していきます。

さて、先日のブログでお話していましたが、タイトルが気になっているという件です。
この一ヵ月半、あれやこれやと頭を悩ましてきましたが、ようやく納得のいくタイトルが思い浮かびました。「次世代教育リテラシー」です。
リテラシーとは少し耳慣れない言葉ですが、「読み書き能力。また、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力。応用力。」のことです。お父さんお母さんに「教育」の知識を読み解いて主体的に活用していただきたいという思いから名付けました。
YAHOOやGOOGLEで検索をかけてもほとんどヒットしないので、これでいこうと思いました。唯一、琉球大学の助教授が論文で「教育に賢く接する学習者である」と定義されていますが、これはまさに僕の想いとぴったりです。
というわけで、ブログのタイトルは

「次世代教育リテラシー ~奇跡を起こす教育法~」

これでいこうと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。



神に祈るな! [教育全般]

7月3日  

刺激的なタイトルですね(笑)。
別に宗教を否定しているわけではございません。

皆さんのお子様は受験前に合格祈願に行きますか?
自分の子供なら、僕はこう言います。
自分の人生の一大事を「神に祈るな!」と。
たとえ0.1%でも何か他の力に期待して欲しくないのです。
受験は自分の力で切り拓くものです。誰かが助けてはくれないのです。
自分だけの戦いですし、だからこそ価値があるとも言えます。
人生の厳しさをそこで学ぶのです。
同時にこう思います。
たかだか受験なのです。
そんなもので自分の人生が決まるわけではありません。
ましてや合格したからと言って、幸せが約束されるわけでもないのです。
やりきったのなら、不合格でも充分価値はあるでしょう。
受験という体験を通じて人間的に大きく成長することに意義があるのであって、結果はあまり関係ありません。そこから何を学ぶかが一番大切なのです。
仕事では「結果」を求められますが、受験は子供の成長の「過程」です。
受験という体験を通じて、社会の厳しさの疑似体験をしているのです。
どんな高校や大学に進学しようとそれからの逆転は本人次第で充分可能なのですから。

僕は宗教的に定義すると、「無信仰」であると言えます。
初詣にも行くし、クリスマスもお祝いするといったおそらく日本で最も多い人種です。
つまり、お参りに行くも行かないも自分の意志次第という立場ですね。
そういう人間が神社やお寺にお参りに行ってどんな願い事をするでしょうか?
「今年一年も幸せでいられますように」
「大好きな彼女と結婚できますように」
「商売が上手くいきますように」
・・・・
こんな感じでしょうか?
僕はこういうことを神様にお願いするのはどうかと思います。
現実世界で自分が何を出来るのかを考えるのが、大切だと思うからです。
お参りってあまりにも他力本願じゃないですか?
人のために何かを祈るのであればいいと思いますけどね。

このように自分の期待を「神に祈るな!」とは思います。
でも、お寺や神社には行くべきだと思います。
何をしにいくのかと言えば、「お礼参り」です。
※注)
特定の宗教を信仰されている方々は、このように考えていただく必要はありません。
あくまでも「無信仰」の立場としての意見です。

先の受験の例なら、「合格してからお礼に行きなさい」と言うと思います。
決して、神様を軽んじているわけではないのです。
大切なことを何かに頼るのが嫌なだけです。
僕はあるときから神社で何かを期待して祈るのを一切やめました。
その代わり、神社では「感謝の気持ち」を心の中で述べようと決めたのです。
僕はそれだけでこんなに人生に対しての考え方が変わるものかと驚きました。
よく、「感謝しなさい」と言われますが、僕はその言葉の本当の意味を長い間理解出来ませんでした。
道徳的にそうしたことが大切なのかと思っていたくらいです。
しかし、今は周りに感謝しながら生きることほど幸せな人生はないと考えています。
子供の幸せを願う親の役割として大切なのは、「周りに感謝する」という心を子供に持たせてやれるかどうかです。これは「人や環境のせいにしない」と並んで親が子供に教えるべき最も重要な人生訓とさえ言えるでしょう。
どちらの考えも子供の自立心の育成に深く関わることだからです。
「神に祈るな!感謝せよ!」は非常に効果的な言葉だと思います。
なぜなら、そこには先に挙げた二つの人生訓が二つとも含まれているからです。
子供のときからそう習慣付ければ、「何かに頼るのではなく自分の力で人生は切り拓くもの」という教えと「自分の力でやっているように見えても、人は周りに支えられながら生きている」という教えをあくまでも自然に伝えることが出来ます。

今日はここまでにします。
「感謝すること」が、なぜ幸福感や自立心の育成につながるのかは明日お話しましょう。


「ありがとう」を一日100回言わせましょう [教育全般]

7月4日

「どうすれば子供が幸せな人生を送れますか?一つだけアドバイスをください」

誰かが自分の子供の幸せを心から願っていたとします。
その人が僕にこう尋ねたら僕は間違いなくこう答えます。
「感謝する心を育ててください」と。
道徳的なお話をしているのではありません。これは事実なのです。
今日はその理由を考えてみたいと思います。

まず初めに、「感謝する心」は「自立」の第一歩と言えます。
たまに、こういう若者がいます。
こちらが食事などのお金を払ったにも関わらず、お礼を言えない人です。
こういう人たちは確実に「自立」していません。
なぜなら誰かが何かを与えてくれるのが当たり前の状態から抜け出せていないからです。
無条件に何かを与えてくれる存在というのは、ほとんどの場合において親です。
よく過保護の親のもとにこうした子供が見受けられます。
「自立」している人は違います。
それに気付いてお礼を言うのはもちろんですが、後日必ず何かお返しをくれます。
人生において誰かに「借り」を作らないように心がけているのです。
こういうお話があります。

ある会社の役員が、その年の新入社員を集めた入社式でこう言われました。
「あなたが一番お世話なった人で、一番恩を返せていない人間を想像してください。ほとんどの方にとっては、それは自分の親だと思います。そこで、最初のお給料では何かを買ってプレゼントしてあげて欲しいと思います。必ずそうしてください。」
その役員の方は後々出世されて、超有名人になられたそうです。

残念ながら、このエピソードを紹介された本の著者の方が名前をふせておられたので、誰かは分かりませんが、この方が言いたいことはまさに「自立せよ」ということだと思うのです。それだけの方が入社式で全く関係のないお話をするとは思えないからです。
お世話になった方に何かをプレゼントすることで、「借り」を少しでも返すのです。
そうした行動が「自立心」の育成につながると考えておられたのではないでしょうか?
いつまでも「自立」出来ない子が幸せになれない理由は説明するまでもないと思います。

次のお話をします。
人は「心が満たされていない状態」だとなかなか他人のことを考える余裕は生まれません。
僕の考える充実した人生を送る人の好循環のサイクルです。

①人や環境に感謝する

②「めぐまれている」自分を自覚出来る

③幸福感を得られる

④「自分のために」の先にある「人のために」の気持ちが芽生える

⑤「人のために」なる行動を自然に取れる

⑤仕事や普段の生活で人に感謝される

①or③へ

最も、大切なのは②なんですね。
周りに感謝の心を持つことで、今の自分自身の置かれている状況を肯定出来るのです。
「当たり前」の幸せというのは、意識的に過ごさなければ実感できないのです。
それを意識的に行う習慣付けが、「感謝すること」と言えるのです。
神様の前で「無事に生きられること」を感謝するのもその一つと言えるでしょう。

自分が恵まれていると感じれば、自然と人にも優しくなります。
人に優しいがゆえに人からも優しくされるという好循環がここに生まれるのです。

こういう人生が一番素敵だと僕はいつも思います。
「感謝する」心は常日頃の習慣からと言いました。
まずは一日100回「ありがとう」を言えるように意識させてみてください。


「社会」は覚えるだけ? [社会]

7月5日

さて、今日から「社会」に入ります。
その前に問題を出題します。
必ず一緒にやってみてくださいね。
では、いきます!!
今から30秒で下の数字を覚えてみましょう。

「916412022145」

いいですか?
それでは30秒数えます。終わったら紙に書いてみてください。



・・・




















はい、終了。
皆さんの答えはどうなりましたか?
ちなみに解答は「916412022145」です。
覚えにくいですね。
ここで見事正解された方は喜んでください。あなたは「暗記力」があります。
子供にもためしてみてください。
もし正解であれば、あなたの子供の「暗記力」は優秀と言えます。
「単純暗記」式勉強法が向いているかもしれません。
そうです。
五感をフルに使いながら「鶴の恩返し」の鶴のように勉強する例のアレです。
例えば、「武家諸法度」という単語を声に出しながら、ノートに10回書いてみるとか・・。
漢字や英単語を覚えるようにどんどんノートに筆写していきます。
こうした子供は教科書丸写し勉強法でも効果が期待できます。
その際、重要な語句の欄を空白にして、書き写しましょう。
後からそれを自分用のテキストとして何回も確認しなおします。
あとはテスト前に問題集を最低3回やればそれでOK。最低でも平均点は取れるでしょう。

覚えられなかった方。
ちょいと工夫が必要になります。
こう覚えてみると、どうでしょうか?
「1964年 12月2日 21時45分」(最初の1と9を逆に覚える)
試しにもう一度チャレンジしてみてください。
今回は数えませんがいいでしょうか?
僕はたくさんの生徒にこの問題を出してきましたが、不思議なことに年号日付にすると、覚えられる生徒の数がかなり増えます。
もし疑われる方がいれば、周りの人間で試してみてください。
こういう状態のことを僕は「意味付け」と呼んでいました。
意味の分からない数字の羅列が「意味付け」されることで暗記しやすくなるのです。
塾で働いているとよくこういう言葉を耳にしました。
「社会なんて覚えるだけですから、受講しなくてもいいですよね?」
もうしょっちゅうです。
「社会なんて覚えるだけ・・・???」
果たしてそうでしょうか?
実はこれは大きな間違いなのです。
子供にとって社会の語句とは意味のない語句の羅列です。
「916412022145」をそのまま覚えるようなものです。
しかし、授業を受けることで多くの語句が「意味付け」されます。
それで格段に覚えやすくなるのですね。
食材を「調理」するようなものです。
生で食べてもお腹を壊さない人もいますが、火を通して「調理」をすることで吸収しやすくなります。
生でしか食べないものもあるのと同じように、そのまま覚えるしか仕方のない語句もたくさんありますが、ほとんどの語句は「調理」可能です。
しかし、社会の語句の「調理」は結構難しいです。
これは何を言いたいのかというと、「社会」の指導は難しいということです。
ですので、優秀な先生でなかったという理由で、あまり授業を受けても効果がない場合もあります。
個人的には五科の中で一番指導が難しい科目だと思っています。
しかし、もし極上の「調理」の腕を持った社会の先生がいるのであれば、「社会」の授業を受けさせる価値は充分にあります。「社会」って結構安易に考えられがちな科目ですが、得意になるといいことが多いですよ。
だいたいにして大学の文系学部なんてほとんどが「社会」関係です。
「法学部」、「経済学部」、「経営学部」、「国際関係学部」・・・このように。

先の数字が覚えられなかった方は、「意味付け」してから覚えた方がいいタイプです。
「調理」しないとお腹を壊してしまう人です。
社会の語句の「調理」は誰かにやってもらうのが一番いいのですが、自分でも出来ます。
それがノートまとめなんですね。
ノートに分かりやすくまとめることで難解な語句が何倍も覚えやすくなります。
しかし、ここで注意点を一つ。
女の子に多いのですが、ノートまとめをして試験勉強を終えてしまう子供がいます。
これでは点数が取れませんよ!
「調理」しても、食べなければ栄養になりません。
美味しそうな夕食を作って、ほったらかしにするようなものです。
では、「食べる」作業って一体何なのでしょう?
ここで初めて「鶴の恩返し」勉強法の登場です。あるいは問題集を解くのです。
食べやすく「調理」されていますから、格段に覚えやすくなっていますし、忘れにくくもなっています。
どんどん問題集を解いてください。
ここで重要な注意点を述べます。

「テキストは一冊を何回もやりこんでください!」

これは鉄則です。
違う問題集を1回ずつやるよりも、同じテキストを3回やるほうが効果があります。
テキストの使い方については次回も確認したいと思います。


私事ですが、転職し、関西から関東へ引越しをすることになりました。
環境が整うまでブログ更新がおぼつかなくなるかもしれません。
毎日更新出来なくなりますが、お気長に付き合っていただれば幸いでございます。
いつも読んでいただいている方々、申し訳ございません。


問題集の使い方 [社会]

7月10日

こんにちは。
ブログ更新が遅れてしまい、申し訳ございません。
少しずつでも進めていきます。

さて、今日も「社会」についてですが、他の教科にも当てはまる原則を説明します。
テキストは「少数精鋭」が基本です。
よくいるんです。
同じ教科だけで5冊とかテキストを持っている子供が・・。
そんなに買う必要は全くありません。
同じテキストを何回もやりこんだほうが効果的なのです。
特に暗記系の科目はそれが鉄則になりますので、気をつけて欲しいと思います。
先生の授業や「ノートまとめ」で難解な語句を「意味付け」した後は、「単純暗記」式勉強法で語句を覚えなければなりません(前回のブログ参照)。
「ノートまとめ」しかしないのは、食材を調理して、食べないのと一緒です。
自分の脳に新しい知識を吸収しなければ意味はないのです。
社会に関しての理想的な学習パターンは、
①学校の予習として「ノートまとめ」
②テスト2週間前から復習としてテスト範囲の「ノートまとめ」
③そして、テスト一週間前にテスト範囲の問題集を最低3回
この手順です。
①は時間のない子供には厳しいかもしれません。英語や数学の勉強を優先して欲しいので、時間に余裕があれば取り組んでみるのが良いと思います。語句を知っている状態で学校に行くと格段と理解は深まります。
③は絶対に取り組まなければなりません。①と②はやらなくても点数になりますが、③を省くとほとんど点数にはなりません。問題集は買ってください。
学校の先生が空欄補充式のプリントを配布されているのであれば、それをするのが最も効果的です。その際、プリントに答えを書き込まないように注意が必要です。必ずノートに答えを書くようにしてください。解答を書いてしまうと何回も出来ませんからね。

問題集の取り組み方には色々な方法がありますが、僕はこの方法をお勧めします。

テキストを解く(解答はノートに書く)

答え合わせをして、間違えた問題に「/」と印をつける(テキスト)

「/」のついている問題だけを解く(2周目)

答え合わせをして、間違えた問題に「\」と印をつける(「/」と重ねて「×」になる)

「×」印のついている問題だけを解く(3周目)

これで3回同じテキストを解いたことになります。
3回目でも解けなければ、覚えにくい語句であると言えるので、少し工夫が必要になります。
英単語を覚えるように覚えなければなりません。何回もノートに書くのです。
絵に描いてみるなど工夫をしても良いでしょう。
どうしても頭に入りにくい語句というものが誰にでもあるのです。
そして、すべての語句を完全に覚えたという自信が生まれたら、いよいよ4回目のチャレンジです。
今度はテストだと思って、すべての問題を解いてみてください。
それでも全問正解には至らないと思います。
4回目でもダメだった問題を5周目で確認します。
・・・

このように不正解が0問になるまで何回も繰り返し同じテキストを解くのです。
同じテキストを最低3回は行わなければ、テスト勉強をしたとは言えません。
「社会」のテスト勉強に問題演習は必須なのです。
赤い下敷きで文字を隠しながらとか、カードを作って確認しながらとか方法は何でも構いませんが、とにかく「問いに対して解答する」という作業だけが点数につながると言っても過言ではありません。それを何回繰り返したかの差です。
社会が苦手だと言う子供達を見ていると、この手順が圧倒的に足りていないのです。
原因としては、テスト終了時にある「ノート提出」に向けた「ノートまとめ」をテスト勉強だと錯覚している可能性が考えられます。

何回も申し上げましたが、「ノートまとめ」だけではほとんど点数にはつながりません。
「ノートまとめ」という意味付けをして覚えやすくした語句を、テキストやカードを使って「単純暗記」していく。
これが「社会」の勉強の基本だと思ってください。

次回からは社会の勉強法「応用編」に入ります。


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