今の教育で英語は話せるようにならない [英語]

6月11日

今日は英語の勉強法についてのお話から進めていきます。
英語の勉強法に関してだけは他の教科との決定的な違いがあります。
皆さんお気付きでしょうか?
英語の勉強法に関連した書籍だけは書店に山のようにあるのです。
それも専門書の棚だけではなく、ビジネス書コーナーなど色々な場所にあります。
英語の勉強法に関連した書籍がベストセラーになることも多いです。
つまり情報量に関しては充分なものがあると言えるのですね。
他の教科に関しては、勉強法などに関してそれを扱っているものが少なすぎるという問題意識から、このようなブログを書き始めましたが、英語に関して言えば、どうやら情報の取捨選択が必要なようです。
自分自身が英語を話せるようになりたいという思いから、それこそ英語の勉強法に関しては一番勉強をしてきました。英語よりも英語の勉強法を学んだ時間の方が長いのでは?と思ってしまうくらいです。
英語の勉強法に関しては、本によって全く違うことを言っていたりするので、ややこしいことこの上ないのですが、色々な著者がおっしゃられていることを総合的に判断し、僕なりの結論を5つ見つけ出すことが出来ました。
それをここで発表させていただきます。

①学校で習う英語だけでは話せるようにはならない
②中学生までの勉強法と高校生からの勉強法は違う
③大学生までの勉強と社会に出て使う英語の勉強法も違う
④大学生までの英語の勉強は全くの無駄にはならない
⑤最も重要なのは方法論よりもモチベーションの維持である

以上です。
まず、一番注目していただきたいのが①の学校で習う英語だけでは話せるようにはならないということですが、これは歴然とした事実です。そうであるなら東大生や京大生は全員英語が流暢でなければおかしいからです。しかし、現実には東大生や京大生全員がそこまでのレベルに達しているとはとても思えません。
社会に出て使える英語力とはネイティブと支障なく会話が出来るということです。
つまり日本の英語教育では英会話力が身につかないと言えます。
僕は英語力に関してこんなイメージを持っているんです。
大学受験までに習う英語の知識というのは、料理で言えば材料なんです。
材料がなければ、料理は出来ないのですが、調理をしなければ食べることは出来ません。
モノによってはそのまま食べることが出来ますが、それでは優雅さに欠けますよね?
知っている単語を言うことくらいは出来ても、それを組み合わせた素晴しい文章が会話として出てこない。
こういう状態だと考えています。
つまり、日本の英語教育というのは材料を揃えることにしか目がいっていないということです。
英語の調理方法が教育のプログラムからごっそり抜けているのですね。
またここに大きな問題があります。材料は腐ってしまうのです。
せっかく長い時間をかけていい材料を揃えても、長年調理しなければ材料はどんどん腐っていきます。
社会人になって英語を勉強しようと思ったときには、再び材料の調達から始めなければいけない
・・そんなことが起こってしまうのですね。
それに対して調理方法はあまり忘れません。
一回作り方のコツを覚えてしまうと、場合によっては一生その方法を覚えていることが出来ます。
僕が考える英語の最善の勉強方法は大学受験までは受験勉強方式で勉強をしまくって、大学入学と同時にそれを調理していくというやり方です。
僕は学生の頃からたくさんの途上国に行ってきましたが、現地の人たちで観光に従事する人たちは非常に英語をよく話します。日本の東大生よりもよく話します。聞いてみると、英語だけでなく、それ以外に3ヶ国語くらいは話せるという人も珍しくありませんでした。
なぜなら、彼らは必死に毎日語学の調理方法を学んできたからなんです。
それに対して日本の学生は材料だけ。英語に使った勉強時間はおそらく負けてはいないのでしょうが、英語を調理した経験がほとんどないので、いかんせん彼らの英語力に劣っているような気がしてしまいます。
実は、受験英語の勉強を頑張ってきた人は、上手くやればすぐに彼らの英語力を超えることが出来ます。
なにせ材料の質において格段の差がありますので、調理法さえ学べば彼らには負けないはずなのです。

それなのになぜ話せるようにならないのか?
その点を含めて、次回以降お話していきたいと思います。


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